第28話 抑えがたい欲求
先の戦から半年が過ぎ、ベルドールは平穏に包まれていた。
いまだ抱くことのできない愛妾を、アージェスは飽くことなく傍に置き続けている。
ある日の夕食時、銀の酒杯を手に左隣で食事をしているルティシアを眺めていると、そこへ血相を変えた伝令が駆け込んでくる。
「陛下、一大事でございますッ!」
「何事だ。騒々しい」
寛ぎを邪魔されたアージェスは顔をしかめた。
汗と砂に塗れた騎士は、王の機嫌など気にする余裕もないようだ。
肩で息をしながら切迫した面持ちで、アージェスの前で片膝をついた。
「申し上げます、東のモントロベルと西のタルタロゼルが、それぞれの国境を越えて同時に我が国に侵攻しております」
「誠か、それは!」
座っていた椅子を蹴り飛ばさんばかりに立ち上がって叫んだのは、同席していた重臣の面々だった。
アージェスは渋面のまま押し黙っている。
「誠にございます」
「で、敵方の兵力は?」と、重臣の一人が質す。
「モントロベルが五千、タルタロゼルが一万近くに及ぶと」
伝令の騎士が言い終わると同時にアージェスは立ち上がった。
同じく沈黙を保っていた宰相に命じる。
「パステル、早急に出陣の仕度を整えよ。第1、第2部隊を東と西に早々に偵察に向かわせろ。残りの将校を招集し、軍議を執り行う」
軍議は深夜にまで及んだ。
こうしている間にも国土が荒らされているかと思うと、アージェスは怒りで体中が熱くなってくるようだった。
国主でさえなければ、今すぐにでも馬に跨り戦場へ飛んでいっているに違いない。
湯浴みを済ませて寝衣を纏っても、とても眠る気にはなれなかった。
誰もいない居間に入ると、酒樽から杯へとぶどう酒を注ぐ。
不意に寝室が気になり、手にした酒杯をテーブルに残して扉を開いた。
部屋の中央に置かれた天蓋付の大きな寝台の隅には、小さな麗人が眠っている。
離れた場所からでも静かな寝息を耳ざとく聞いてしまう。
嵐の夜に、肌に口づけの跡をいくつも散りばめて以来、ルティシアはすっかりアージェスに怯えるようになってしまっていた。
だが、自分の立場を弁えてのことか離れていこうとはせず、寝台で寝ろという命にも素直に応じていた。
辛うじて逃げられることを免れたアージェスは、再びルティシアに触れることを耐えていた。
そんな彼を、知ってか知らずか、近頃羽化した蝶のように、とみに美しくなり、アージェスは彼女から目が離せなくなっていた。
滑らかな白磁の肌からは、甘い香りを漂わせ、添い寝することさえ難しくなるほどだ。
花の蜜へと誘われる羽虫のように、アージェスは寝台へと近づいた。
長い髪を波のように広げ、少女が毛布の中で体を丸めて眠っている。
僅かに身じろぎ、小さな唇から悩ましげな吐息をつく。
もう、限界だ。
アージェスは寝台へと上がった。手を伸ばし、ルティシアの顔を自分に向けさせる。
顔を寄せると、ふっくらと盛り上がる花弁に己の唇を下ろした。
柔らかな感触に、たちまち抑え難い欲情が沸き上がる。上体を抱き上げ、呼吸を奪うほどの激しさで、唇を貪った。
眠りを襲われたルティシアは、目を覚まして息苦しさにもがく。
「ふっ……んっ!」
鼻で上手く呼吸ができないのか、苦しげに呻いた。
唇を解くと、アージェスは上半身の寝衣を脱ぎ捨てた。
ルティシアは息を切らしながら怯え、アージェスが手を離した隙に逃げ出す。
寝室の出口は一箇所しかない。
反対側から寝台を下りたルティシアを、アージェスは手前で待ち伏せ、逃げ道を塞ぐ。
「やめてください。お願いです、陛下」
心もとなげに胸元に手をあて、泣いて必死で嘆願する。
(俺を受け入れないルティシア。
以前は、キスも許していたくせに。
何が気に入らない。
俺の何が……)
嵐の夜に死のうとしたルティシアが、目に焼きついて今も脳裏から離れない。
これほど愛して、優しくしてやろうとしているのに。
すべてのものから守ってやろうとしているのに。
受け入れようとしない。
(死を望むほど、俺を受け入れるのは嫌か)
「戦場へと向かわねばならぬ兵士が何を望むか、わかるか?」
怒りで胸の奥底は煮えたぎり、声は低くなる。
ゆっくりと近づくアージェスに、ルティシアは震えて後ずさった。
「……分かりません」
「女の身体だ。一度戦場に出れば、生還の保証はどこにもない。だから死ぬ前に女を抱いて子孫を残そうとする。それが男の本能だ。もっとも、俺は死ぬ気などないが、子は残しておくに限る」
ルティシアが背を向けて駆け出す。
王の寝室は無駄に広い。何かあったときに家臣らを召集する為だ。
追いかけっこをするには充分な広さだろうが、普段からほとんど運動をしないルティシアの足など、たかがしれている。
すぐに追い詰められて、足をもつれさせたルティシアは、転倒して手をついた。追ってきた鬼を、身を反転させて警戒して見あげる。
アージェスは最後の警告を放つ。
「優しくしてやるから抱かせろ」
(お前を守るのは俺だ。身も心も俺のものになれ)
「嫌です。絶対にっ……やッ」
床に倒れたルティシアに、アージェスは静かな怒りを滾らせて馬乗りになった。寝衣の胸元を掴むと、乱暴に引き裂く。
(もう容赦はしない)
ルティシアが息を呑んで、恐怖に顔を強張らせた。
唇を奪おうとして、顔を背けて暴れだす。
「おやめください。私には無理、やっ、いやッ、許してくださいッ、許して……ふぐッ」
胸を押し返して逃れようと激しく抵抗するルティシアから、アージェスは寝衣を剥ぎ取った。
抱こうとして自殺を図った女だ。抱いている最中に舌を噛まれて自殺などされたら、たまったものではない。残った下着を剥ぎ取り小さく丸めると、煩い口に突っ込んでやる。それを抜き取らせぬように奪った寝衣で、細い両手首を後ろ手で縛り上げた。
乱雑に寝台へ転がすと、泣いて怯えるルティシアの目の前で全裸になった。
「今まで許してやってただろ? だがもうお遊びはおしまいだ。滅茶苦茶に愛してやるから覚悟しろ」
冷たく言い捨てた。
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