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第27話 激情にのたうつ

「ですからその件は、ロード卿が引き受けられて、後のことは何も知らないのです。その日は家族と一緒でどこにも出かけておりません」


 城の大広間に呼び出された男が、必死になって弁明する。

 それに対し、男を囲うように正装をした宮廷の役人が口々に彼を責めた。


「ロード卿は身に覚えがないと申されておる」


「ご本人はその日の夜、ベルネ伯の城で催された舞踏会に出席され、何人もの目撃者もいる」


「ロード卿の家臣らについても行動を全て調べたが、殺された商工業者のドルブの家を訪れた形跡も証人もいない」

 

 男は青ざめて膝を折り嘆願する。


「私は本当に殺していません。信じて下さい」


 執行されている裁判を、奥の玉座でアージェスは苛々と眺めていた。

 裁判を王宮で開くことも、王が裁判官を務めるのも王の仕事の内だ。

 開廷されてからまだ半時間も経っていないというのに、大人しく座っていることが限界に達する。


「家族は証人として認められない。他に……」

 

 役人が男に突きつけるのを、遮るように裁判官を務める国王は立ち上がった。


「調べなおせ」


 鋭く言い放つと、被疑者が一瞬笑った。

 悪意に満ちた笑みを、目の端で捉えていたアージェスは付け加える。


「そいつが犯人だという証拠を徹底的に探してやれ」


 冷酷な眼差しに男が震え上がる。


「これにて閉廷。解散」

 

 金髪の裁判官は、肘まで伸びた癖のある髪を揺らして早々に広間を後にした。 




 国王が廊下に出ると、扉の外で待機していた近習が素早く歩み寄る。

 羽織っている煩わしい法服を脱ぐとトルテに渡した。

 足早に歩く主を、近衛の副官ローガンが追いかけてくる。


「お早い閉廷でしたね。お急ぎでどちらへ?」


「無粋なことを聞くな」


 不機嫌に答えると、ローガンが溜息を漏らし、家臣から友人の顔になる。


「近頃変だぜ」


 零した独り言をアージェスは耳ざとく拾った。


「近頃も何も、どうせ俺は野蛮な変態だ。今更治るかっ」


 不機嫌に開き直るアージェスは、ローガンにはどうかすると子供のように拗ねているようにも見えた。

 主は訓練場へと入っていく。

 広場の外周を、薄着になった男たちが汗を流して走っていた。それを彼らの教官が手に槍を持ち、仁王立ちで怒鳴りつけている。


「遅いッ! 叙任を受けた騎士だからといって、いつでも馬に乗れると思ったら大間違いだ。馬がやられりゃ自分の足で走るしかないっ。生き残りたければ死ぬ気で走れッ!」


 ローガンは友人の熱血ぶりに横槍を入れる。


「やってる、やってる。お前にしごかれたらたまったもんじゃないぜ。久しぶりの指導に熱くなりすぎじゃねぇの?」


 声をかけられたセレスが振り返る。


「やつらのためだ」


 セレスがアージェスへと視線を移した瞬間、副官はギョッとした。

 アージェスが携えている長剣を抜き放ち、剣尖を向けられたセレスは既に後方に飛びのいていた。

 苛立ちを隠そうともせず発しているアージェスの剣に、反応が少しでも遅れていたならセレスは切られていただろう。

 唐突の出来事にセレスは驚いた顔をし、広場を走らされていた騎士たちも、指導者の異変に気づいて足を止めている。


「真剣勝負を所望する」


 セレスの目の色が一瞬で変わる。

 射抜くようなアージェスの視線を受け止めるように見返すと、セレスは相棒兼部下のローガンを振り返った。

 ローガンは心得たように苦笑した。


「俺が鬼教官の代わりを務めてやるぜ。あと、念のため御殿医も呼んでおいてやるよ」


 セレスが手にしている槍を相棒に預け、ローガンはすぐさま訓練場に散らばる騎士たちをその場から離れさせた。


 



 一時間後に立っていたのはセレスだった。

 二人とも汗まみれになって息を乱してはいたが、アージェスはもう立つこともままならないほどに疲れきっていた。

 戦が終結してから五か月もの間、振り返ってみればアージェスはその間、剣を握ることもなければ、肉体を鍛えることもしていなかった。

 まだまだ若いとはいえ、以前に比べれば筋力は衰え、動きが鈍くなっていた。

 それに比べ、王室近衛隊長であるセレスは、日々の鍛錬も仕事のうちだ。

 なおかつ、セレスはアージェスの単なる気の合う友人ではなく、武勇に長け、その実力で近衛隊長の座を掴んだ男だ。

 以前は互角に剣を交えていたのだが、鍛錬を怠っていたのでは勝てるものも勝てない。

 

 仰向けでひっくり返ったアージェスは、逆にそれで良かったとつくづく思った。

 そうでなければ、身のうちを焦がすように猛る凶暴さで、親友に怪我をさせていただろう。

 セレスはいきなり理不尽な怒りをぶつけてきたアージェスに、嫌な顔をすることもなく、冷静に応じていた。

 主人を傷つけないように気遣う場面も、アージェスには見て取れた。

 おかげでアージェスも無傷で御殿医の出る幕はなく、胸中で渦巻いていたやり場のない苛立ちと、有り余った体力は幾分発散できた。


「何があった?」


 案じながら手を差し伸べるセレスに掴まり、アージェスは上体を起こした。

 何をどう話して良いのか分からず、アージェスは項垂れる。

 アージェスはルティシアの行動が理解できず苦しんでいた。

 ルティシアは、抱擁や口づけを受け入れたが、彼女から愛情表現らしいことをされたことがない。いつもルティシアは受身で、アージェスの一方通行だ。

 それはただ、立場を重んじるルティシアがその許容範囲の中で、許せることと許せないことの線引きをしているだけで、本当は微塵も愛されてなどいないのかもしれない。

 そう思うと、たちまちやりきれなくなる。

 こんなにも愛しているのに、どうして愛してもらえないのかと。 

 愛されたいという強い欲求が、大切にしたいという思いやりを、いつしか凌駕して憎しみさえ抱かせる。

 想いが膨らみすぎて、自分を抑制できないでいた。

 

「ルティシアが俺を受け入れない」


「で、我慢できずに襲ったわけか?」


「そのつもりだったが、最後までできなかった」


「おいおい、アレだけ派手に痕つけといてそりゃないだろ?……ま、マジかっ」


 大仰に驚かれて、アージェスはうんざりしながら天を仰いだ。


 やれやれとセレスが溜息をつくと切り出す。


「本気なんだな?」


「ああ、そうだ。だから求婚した」


「……断られたのか?」


 隣に座ってセレスが短く問い、アージェスは盛大に息をつく。


「他に相応しい相手はいくらでもいると嫌がった挙句、自殺を図った」


 額に手を宛てて渋面になる親友に、アージェスはむくれた。


「言っておくが、求婚するまでは良い感じだったんだ。嫌がらずにキスも身体も触らせてくれていた」


「要するに、お前の立場をおもんぱかってのことなんだろう? ……自殺は非礼を詫びて、といったとこか」


『離してっ、もう私を死なせてッ!』


 嵐の中、ルティシアの悲痛な叫びがまだ耳にはっきりと残っている。

 短い言葉の中に窺える。何度も何度も死を考え、もう限界だと悲鳴を上げているようだった。

 命を絶ちたくなるほど王妃にはなりたくないということか。

 あるいは、立場上仕方なく身体を許しただけで、本当は嫌われているのか。


「……わからん。アレは自分のことすらまともにしゃべらん女だ。何を考えているのかさっぱりだ」


「少し、距離を離したらどうだ? ……なんならうちで預かるぞ」

 

 武勇に長け、そこそこの男前である友を一瞥すると、アージェスはぷいと顔を背けた。


「申し出はありがたいが、やめておくよ」


「どうして?」


「既婚男は多少醜男でも若い女には魅力的に見えるもんだ。ルティシアがお前を気に入ったら困る」


「まあ、俺は、浮気はしないが、ほどほどにはモテるからな」

 

 クスクスとおかしげにセレスは笑ってくれるが、アージェスからしてみれば笑い事ではない。多くの家臣はルティシアを「悪魔」と嫌悪して近寄りもしないが、そんな愚か者ばかりではないのも事実だ。

 もしルティシアがアージェスの立場だけで避けているのだとしたら、セレスに勝てる気が全くしない。口ではなんと言おうと、セレスは男のアージェスが見ても悔しくなるほど良い男だ。誠実で優しい。自分が女なら、間違いなくセレスを選ぶだろうとさえ思うぐらいだ。

 この国は男の数の方が少なく、一夫多妻が推進されている。妻がなんと言おうと、セレスの気が変われば、ルティシアを二番目の妻として迎えることができるのだ。


(ただし、王の首輪を外せば、の話だがな。俺はそうなってもルティシアを手放せないだろう)

 

 一昨日の夜に見た可憐なルティシアが忘れられない。甘くアージェスを愛称で呼んだ。

 陶酔した可憐な姿を思い出すと、それだけで欲情させられる。その愛しい女が他の男を好きになったらと考えただけで、アージェスはやりきれなくなる。



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