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第25話 嵐の夜に 2

「ですからどうか、他のご婦人を……ふっ」 


 アージェスはルティシアの口を手で塞いだ。

 特定の婦人を持たず、一人の女に執着しない。次から次へと別の女に本能の赴くままに渡り歩いてきた。それがアージェスだ。だが気がつけば、ルティシア以外の女を相手にしなくなっていた。ルティシアのことばかりが脳裏を占めて、目の前にいくら魅惑的な良い女がいても素通りだ。

 自分でも信じられないほど、他の女を抱くという概念がすっかり消えていた。

 それもこれもすべて、思うように自分のものになりきらないルティシアに、意識が向いているせいだ。これまで女に悩まされたことも、振り回されたこともない。まして、ここまで本気にさせられたことなどなかった。

 愛を告げたのもルティシアが初めてだ。

 それをルティシアはあろうことか受け流した。

 更には、これまでなら他の女のことを聞かされてもいささかも気にならなかったのだが、今は酷く腹が立つ。 

 

「そんなに俺が嫌なら嫌だとはっきり言ったらどうだ」


 ルティシアの目にぶわっと涙が盛り上がって首を左右に振る。

 アージェスは口を塞いだ手を離した。


「だったら俺をどう思ってる?」


 ボロボロと涙を零し、ルティシアは下唇をかんで頑なに口を閉ざした。 

 今朝までは拒むことなくキスに応じていた。

 昨夜も、その朝もその前も。


(求婚のせいか)


「……お許しください、陛下」


 毛布を握り締めて嗚咽するルティシアに、性欲も向き合う気力も一気に削がれ、アージェスは盛大に溜息をつく。


「もういい、寝てしまえっ」


 不貞腐れた声が天幕内に響き、アージェスはさっさと背を向け、内心で叫ぶ。


(なんでだっ! なんで、あと一歩が進まないんだっ!)


 抱くことさえできれば、ルティシアを存分に愛して、身も心も満足させてやれる自信があった。愛し合えば結婚願望も芽生え、ついでに、ガンガン抱いて懐妊させれば、煩い重臣どもも黙らせられるって算段だ。

 国内の安定と隣国間の緊迫。それ以上にアージェスにとって厄介なのは、監視の目だ。

 重臣らは、アージェスがルティシアに夜伽をさせていないことを知っていた。 

 毎日、シーツからアージェスとルティシアの寝衣や下着に至るまで、侍女らが検めて情事の跡を毎日細かく確認して、宰相に報告をしている。

 それがベルドール王家の慣わしだとかで、王のアージェスですら口を出せない。

 今のところは、奉仕から教えているのだろう、と下世話な憶測が行き交っている。

 無論、奉仕の『ほ』の字もさせていないが、実情に大差はないのでそのあたりは好きなように言わせている。

 これが長引くと今度は寵愛を疑われることになる。 


 ルティシアを守る為にも、早く抱いてやりたいのだが、何も分かっていない娘に細かく説明して事に及ぶなんて、野暮なことはしたくない。いや、散々女をものにしてきた色男の名にかけて、なんとしても自分の魅力で落としたい。

 そこまで考えて、たかが一人の女に何を躍起になっているんだと、馬鹿馬鹿しくなってくる。

 しょうもない男の矜持と、それを冷静に見るもう一人の自分がせめぎ合う。


 寝付けずにうだうだと考えていると、背後で寝台が軋んだ。

 すぐ後ろにあったはずの気配が遠ざかり、寝室の扉が音を立てて開閉した。

 身を起こしたアージェスは、苛々と髪を掻き毟った。



 国王の私室前では、扉を挟んで警護している騎士が、室内から主の愛妾が静かに出てくるのを見ていた。

 顔を俯かせ、癖のない真っ直ぐな長い黒髪が、彼女の顔を隠している。時折彼女が夜中に徘徊することは、彼らも承知していた。

 しかし、その夜の様子は、いつもの徘徊時とは違っていた。殆ど足音も立てず、まるで幽鬼のような陰鬱な気配に、勇猛な彼らでさえ思わず身構えるほど不気味だった。


 王の愛妾が階下へと降りた後で、主のアージェスが部屋から出てきた。

 主人が現れたことに騎士は安堵して口を開きかけたが、王は張り詰めた表情で口元に指を立てた。


「騒ぐな。いつものことだ」


 青い瞳は供を許さぬ鋭さが含まれている。

 敏感に空気を読み取った騎士は頷いて、主を見送った。



 ルティシアを追ってアージェスが屋外へ出ると、冷気を含んだ風が吹きつけてきた。

 アージェスは身震いして、裏庭の草むらが生い茂るその奥を見据えた。

 壁面につけられたランタンの光が届かないその先は、暗い闇に閉ざされ、ルティシアは灯りも持たず、闇を恐れることなく歩いていた。


 空を見上げると、雲間に小さな光の粒が瞬いている。

 今宵は新月ではないが、月は雲に隠れて見えない。

 頼りなげな後姿を目で追いながら、雲が払われることをアージェスは願わずにはいられなかった。

 歩き続けて目的の場所へと辿り着くと、ルティシアが祈るように両手を組み合わせて天を仰ぐ。

 空は雲ばかりで、星さえ見ることが叶わなくなっていた。

 待てどもいっこうに晴れる気配はなく、それどころか唸りをあげて厚い雲が垂れ込めてくる。

 やがて、雫が落ちてきた。


 ルティシアが、胸元から何かを取り出した。

 手にしたものは、棒状の細長いものだ。

 覆いを外し、剥き出しになった尖った先端を己の喉下に向ける。

 木の影で成り行きを見守っていたアージェスは飛び出した。

 柔肌を傷つける寸前で華奢な手首を捉えて捻りあげる。

 悲鳴を上げたルティシアの手から短剣が落ちた。

 アージェスは落ちた短剣を忌々しく睨みつけて、足で踏みつけ、湧き上がる怒りを抑えつつルティシアを羽交い絞めにする。

 

「いやあああ! 離してっ、離してッ!」


 錯乱したように暴れてルティシアが叫んだ。

 轟く雷鳴が響く中で、アージェスは華奢な彼女の腹の底から上げた悲痛な声を、確かに聞いていた。

 本格的に降ってきた雨が、瞬く間に二人を濡らす。


「離してっ、もう私を死なせてッ!」


 アージェスの頭のどこかで何かがぷつりと切れる音がした。

 狂ったように泣き叫んで暴れるルティシアから、スッと手を放すと、アージェスは無言でみぞおちを打った。

 一瞬大きく見開くと、前のめりに崩れる。

 倒れる体を両腕で受け止め、激しくなる雨の中、意識を失った愛妾を、アージェスは部屋へと連れ帰った。 



 気絶させた少女を私室へと連れ帰ったアージェスは、ルティシアを寝台へ横たえた。

 雨で己の肌に纏わりつく濡れた服を脱ぎ捨てると、同じくずぶ濡れになっているルティシアから寝衣を剥ぎ取った。

 自害しようとした姿が目に焼きつき、雨の中でルティシアが叫んだ言葉が耳の奥にこびりついていた。

 細身の四肢を上から下まで眺めると、深い眠りに落ちた頬に触れる。

 夜風と雨に晒された頬はすっかり冷え切っていた。

 同じように冷気に当てられたはずの彼の体は、対照的に火照っていた。

 熱くなる体を、冷えた小さな体に絡めていく。

 柔らかな肌に吸い付くような手つきで撫でさすり、唇を這わせる。

 嫌われようと、鬼畜と罵倒されようと、もはやどうでもよかった。


「お前は俺のものだ。死ぬことなど絶対に許さん」


 甘く香る肌を余すことなく堪能した後、いよいよ我が物にしようとしていた。

 このとき、アージェスはルティシアの顔を見なければ良かったのかもしれない。

 見なければ、更なる苦悩に苦しめられることなどなかったに違いない。

 細腰を引寄せようとして、妻にと望む女の顔を見た。

 そこにあったのは疲れきった顔だった。

 薄暗い部屋で、はっきりとは見えなかったが、そんな風にしか目に映らなかった。

 アージェスは額を手で押さえた。

 深い溜息をゆっくりと吐き出すと、ルティシアを離した。

 重く感じられる体をのろのろと動かし、毛布を手繰り寄せ、その中で眠る裸体を抱きしめた。

 これほど拒まれているというのに、アージェスは諦めて離れることさえできない。

 女々しい己を罵り、ルティシアを哀れに思いながら瞼を閉じた。



 翌朝、アージェスが目覚めると、隣にいたルティシアが既に起きていた。

 上体を起こし、一糸纏わぬ己の胸元や腕を眺めて目を丸くしている。

 白い肌には、紅い花びらのような痣が点在していた。


 腕にもいくつかあり、恐る恐る毛布の中を覗いてその下を確めている。 


「なんですか、これは?」

 

 ルティシアの疑問にアージェスは真顔で答えてやる。

 

「マーキングだ。背中や尻、内太腿、身体中につけておいた。全部俺のものだ」


 信じられないといわんばかりに眉根を寄せて、細い腕で自分自身を抱き締めた。

 そんな顔をされなくとも、己がいかに野蛮な変態であるか自覚はある。

 上体を起こしたアージェスは手を伸ばして、細い首にかけられた金色のリングに指を掛けて引き寄せた。

 捕らえた獲物を見下ろす支配者の視線を向ける。


「隷属の首輪がある限り、お前の身体も命も俺だけのものだ。持ち主であるお前の意思など認めない。お前には、四六時中見張りをつけておく」


 青ざめて凍りつくルティシアの唇に、アージェスは優しい口づけを残した。



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