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第21話 吐息と涙の甘い遊戯 1

 ルティシアが生まれてすぐのことだった。

 母方の祖父が生後一月のルティシアを見るなり、突然発作を起こして倒れてそのまま帰らぬ人となった。一緒にいた侍女が祖父の異変に気づいた直後、赤子の目の色にただならぬ衝撃を受け、泡を吹いて息を止めた。

 そして八歳のとき、生まれた妹がルティシアの目の前で亡くなった。

 度重なる身内の不幸に、屋敷の者達は口を揃えて、ルティシアを悪魔と呼ぶようになった。


 

「そこで、何をしているんだ」


 窓辺に立ち、仄かにともされた灯りが点在する城下を、見るともなしにぼんやりと眺めていた。

 いつの間にか、執務を終えた王が居室に戻ってきていた。

 ここのところ欠かさず陛下を出迎え、挨拶をしていたルティシアだったが、己の思考に囚われるあまり気がつかなかった。

 声をかけられて初めて王に気づき、けれどこれで良いのだと思い直す。

 罪悪感に胸がちくりと痛んで、ルティシアは顔を俯けた。


「何も」


 振り返りもせずに、小さく答えた。  


「……『おかえり』と言ってくれないのか?」


 今日も優しい陛下は、少しも咎めることも不機嫌になることもなく、静かに声をかけてくれる。

 ルティシアに優しくしてくれる人。彼がいたから、ファーミアにも出会えた。

 こんなふうに声をかけてもらえるだけで、嬉しくて、申し訳なくて、涙が溢れてくる。

 後ろめたさに耐え切れず、ルティシアはおずおずと体の向きを変えた。

 頭を深く垂れる。


「おかえりなさいませ、陛下」


 努めて涙声にならないように気をつけると、酷く弱弱しく声が震えた。

 陛下が腰を下ろして、下から俯くルティシアを覗き込もうとしてくる。

 涙ぐむルティシアは、顔を見られたくなくてそむけた。


「もしかして、今朝俺がキスしながらルルのおっぱいを触ったことを怒ってるのか?」


(お、おっ……)

 

 ふざけた台詞に一気に熱が急上昇する。


「ち、ち、ち、違いますっ」


 思わず声を上げて否定し、振り向きかけて慌てて下を向く。

 無骨な手がルティシアの頬に伸びてきた。 


「なら、なぜ泣いてる?」


「あの、これは……」


 目にごみが入って。

 そう言おうとして、アージェスに遮られる。


「誰かに何か言われたのなら、正直に話せ。俺がそいつを罰してやる」


 一変した低く剣呑な声音に、ルティシアはすぐにふるふると首を左右に振った。

 

「違います、陛下。目にごみが入っただけです」


「本当か?」


 ルティシアがコクリと頷くと、腕をつかまれて胸に引寄せられる。

 温かな王の腕に抱きしめられ、初めて自分の体が冷え切っていたことに気づく。

 アージェスは立ち上がると、開け放たれた窓を閉ざした。


「何かあったら、俺には隠さず話せ、良いな?」  


 昼間、姉のイリスに会ったこと。

 イリスに言われたこと。

 話せば、ルティシアが祖父と侍女、妹のマドレーヌが自分のせいで死んだことまで話さなければならなくなる。

 言えない。

 言えるわけがない。

 かといって、姉が命じたように、不興をかうような言葉も出てこない。 

 ルティシアは唇を引き結んでコクリと頷くことしかできなかった。


「おいで」


 アージェスに肩を抱かれて長椅子へと誘われる。ルティシアは大人しく従った。

 毛布を肩に掛けられ、腕の中に閉じ込められると、心地よさに何も考えられなくなっていく。

 

「私室では敬語も尊称もなしだ。アーシュと呼んでくれ」


「陛下をそのようには呼べません」


 誰からも嫌われたルティシアに、こんなにも優しくしてくれるアージェスは、まるで神様に等しい。

 陛下はお気に召されないようで、溜息をついた。


「ここは俺の私的な場所だ。自分の部屋にいるときまで『陛下』と呼ばれたんじゃ気が休まらないではないか。おまえの為じゃない、俺の為に言ってるんだ」


 そう言われても、ルティシアは困る。


「王様ってそんなに大変なのですか?」 


 ルティシアの目には、重臣らを相手にアージェスは一歩も引けを取ることなく、若いながらも堂々と彼らの主君として君臨してように見えた。

 彼女が王宮中の者達から敵視されていても、こうしてアージェスの傍にいられるのは、一重にアージェスの庇護があってこそだ。

 口でどれほど罵詈雑言を並べられても、決してルティシアに触れてくる者はいない。過去に何度か平手打ちを受けた姉ですら、手を上げることはなかった。

 奴隷の象徴である首輪が、皮肉にもルティシアを常に守ってくれていたのだ。

 傍にいられなくても、いかに大きな存在であるかを、ひしひしと感じさせられる。

 凄い人だ。それでいて王であることを鼻にかけない。


「そうだな。ずっと好き勝手にしていたからな。玉座に縛られて政務に追われる毎日だ。窮屈で仕方がない」


「でも、陛下がおられるから、この国は平和でいられるのではないのですか?」


「俺だけの力ではない。この国を支える有力な者達がいてこそだ。その力ある者達を制御し統括するのが王の務めだ。舵取りを誤れば、大国に挟まれたこの国は、あっという間に侵略されて王家は滅ぶだろう。首輪はなくとも俺も繋がれた身だ。……逃げ出すことは簡単だが、俺は何があろうとも放り出したりしない。なぜだかわかるか?」


「先王陛下の最後の遺児だからですか?」


「それもあるが、守るべき者達がいるからだ。大事な友と、大事な女……」


 膝の上に無造作に置いていた手に、王の大きな手が包むように重ねられて、そっと握り締められる。


 トクンと鼓動が跳ねた。

 近くなる王の顔に、ルティシアの胸はドキドキと早鐘を打つ。


「お前のことだ、ルル」


 甘く囁いて額に口づけられる。胸が震えて、喜びと恐れが入り混じる。

 

(優しくしないで)


 込み上げる想いを封じて、自嘲する。


「ご冗談を」

 

 アージェスに頤を捉えられて顔を上げさせられる。

 雄大な空のような青い瞳に、ルティシアは呑みこまれるのを恐れて視線を逸らした。


「冗談ではない、本心だ」


 涙が盛り上がって淵から流れ落ち、また溢れてくる。

 一度その温もりと心地よさを知ってしまったらもう、アージェスの(かいな)からは逃げられない。

 彼の唇が、目尻に押し当てられて涙を吸い、慰めるように、顔中にいくつもの軽い口づけを降らせる。


(優しくしないで)


 喉まででかかっても声にならなかった。

 胸が苦しく喉が塞がれる。

 顔をそむけようとすれば、逃がすまいとぎゅっと抱きしめられて、唇を重ねられた。

 身体に手が這わされ、羞恥でますますどうしていいのか分からなくなっていく。



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