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第20話 忍び寄る魔手

 昼食後、ファーミアに散歩に誘われて、ルティシアは渋々外へ出ることにした。

 せっかくなので一つしたいことを思いついて、裏庭を歩く。


「庭園は反対側ですよ」


「いいの」


(私なんかが行ったら王宮の人たちが嫌がる)


「ルティシア様は陛下のご愛妾なのですよ。もっと堂々となさるべきです」


 そんなお説教をしてくれるのはファーミアだけだ。

 姿を見られるだけで、出る杭のように上から打ち付けられてきたルティシアには、顔を上げて歩くことすらできない。所詮、反逆者の娘でありながら、王の愛妾など、はじめから分不相応なのだ。


(おまけにいわく付き)


「私はこれでいいの。それにこっちにね、行きたい場所があるのよ」


「そうでしたか。それなら宜しいのですが」


 しばらく雑木林を歩いた先に木々が開けた場所がある。

 草が生えただけの何もない場所。

 ルティシアは空を見上げた。

 そこは、夜に徘徊するたびにルティシアが来ていた場所だった。

 もっぱら近頃は、陛下に添い寝されて、心地よく寝させてもらえているせいか、夜の外出はぴたりとなくなった。

 ルティシアが何年も悩まされていた夢遊病を、アージェスが治してしまったのだ。


 物心がついた頃はまだ夜の徘徊などしていなかった。

 思えば、きっかけはあった。八歳のときに妹が目の前で死んだ直後のことだ。祖父と侍女、そして今度は生まれたばかりの妹まで死なせた。そのことを家族らに激しく責められ、罵られたルティシアは、誰にも縋れず部屋に篭もって、泣き続ける日々を過ごしていた。そんなある夜、ただ優しく光を注いでくれる月に惹かれて、夜中に屋敷を抜け出した。

 月がよく見える場所まで出て祈った。

 もう誰も私に呪い殺されませんように、と。

 何日か続けていると、やがて部屋で眠っていても、体が勝手に起きだして、月を見上げに行くようになってしまった。そうしてアージェスに出会い、彼は死なずに生きてくれている。それはルティシアにとっては奇跡のような出来事で、月が願いを叶えてくれたのだと今でも信じている。


 侍女と開けた場所に来たルティシアは、月がよく見えそうな場所でしゃがみ込むと、手ごろな石を見つけて掘り始めた。


「何をなさっていらっしゃるのですか?」


「青い鳥をね、埋めるの」


「え?」


 午前中に仕上がった刺繍の青い鳥だ。怪訝な顔をするファーミアを他所に、ルティシアは手が汚れることも構わず、穿った土の中に丁寧に折りたたんだ布を入れて埋めた。


「どうしてそんなことを? あんなにきれいに仕上がったではありませんか、もったいないですよ」


「ここはよくお月様が見えるから。きっと願いを叶えて下さるわ」


(私の願いを叶えて陛下を助けてくださったように。これで、陛下は幸せになれる。陛下が幸せになれるなら、私は……)


「ルティシア様……」


 苦しげに、ファーミアが眉根を寄せていた。


「私、お手を清める水を汲んできます、ここでお待ちください」


 そう言うとすぐに踵を返した。


「い、いいのよ。自分で行くから、ファーミアっ」 


 止めようとしたが、ファーミアはあっという間に行ってしまった。

 

(こんな私に、なんて優しい子)


 家臣らの逆風など、歯牙にも掛けないアージェスがつけただけのことはある。少しも嫌な顔をせずに良くしてくれる。だからこそ、こんな自分に付き合わせることが殊更申し訳なくなってくる。


 しばし、ぼんやりとしていると、不意に近づく足音が聞こえて、ルティシアは身構えた。

 

「あらやだ、こんなところでお前に会うなんて」


 眉をひそめて声をかけてきたのは、亡きメリエール伯の六女イリスだった。

 ルティシアと同母の姉である。


 イリスは、美しい容姿と魅惑的な肉体美を誇り、先の戦で武功を挙げた将校の一人に嫁していた。

 夫となった男は、五十を過ぎ、三度の離婚暦を持っていた。人前では貴族らしく品格のある振る舞いをし、妻に迎えたイリスを大切にしていた。しかし、屋敷に帰ればまるで侍女のように乱暴に扱っていたのだ。少しでも夫に逆らえば食事は与えられず、酷いときは地下牢に何日も閉じ込められた。

 冷遇されていたのはイリスばかりではない。他の姉妹も同様に嫁ぎ先で、反逆者の娘として非道に扱われていたのだ。そんな彼女たちから見れば、末の妹だけが国王という国の最高権力者に引き取られ、王宮で暮らす様は優雅に映った。

 この日、王城では将校らの婦人会による茶会が催され、イリスは登城していた。その帰りに偶然にもルティシアを見かけたイリスは、屋敷に向かう馬車を止めてやってきたのだった。



 ルティシアは怯えるように身を縮めて俯いた。


「ごきげんよう、お姉さま」


 背の低い妹をイリスは威圧するように見下ろした。


「ごきげんよう。そのような禍々しい姿で、厚かましくもまだ陛下のお傍にいさせてもらっているようね。貧相な身体で、一体どんな閨房術で陛下を惑わしているのかしら? お前がその恐ろしい魔眼で、お爺様に侍女、マドレーヌを呪い殺し、父上を狂わせたことを忘れたわけではないでしょうね?」


 つもりに積もった不満が、恨み言となってイリスの口から吐かれ、それは氷の槍となって牙を剥き、ルティシアの胸に突き立てられる。

 蛇に睨まれたカエルのように小さくなって震える妹に、止めを刺しにかかる。

 ルティシアの脇に立つと、はらりと扇子を開いて口元を隠した。

 赤い紅を引いた唇から、紡がれる猛毒がルティシアを襲う。

 

「お前は恐れ多くも陛下を呪い殺すつもりなの?」


「い、いいえっ」 


 萎縮して硬くなる喉をルティシアは無理矢理こじ開けた。

 

「ならば早く、陛下のご不興でもかって処刑してもらいなさい」


「は、はい、必ず」


 妹の返事を聞いた姉は、満足げに口の端を引き上げると、扇子を畳んで背を向けた。

 



    ◆    ◇    ◆    ◇    ◆




「どうなさるおつもりですかな? このままでは先方は業を煮やして兵を挙げかねませぬぞ」


 広間で居並ぶ重臣らを前に、宰相のパステルが国王に詰め寄った。

 青地に金獅子の紋章を掲げたタペストリーを背に、玉座のアージェスは感情を押し殺して平静を顔に張り付かせていた。

 脇に控える近習のトルテが盆を掲げて控え、そこに載せられた二つの書状を目だけを動かして睨む。


 一通は十日前に東のモントロベルより届けられ、もう一通は西のタルタロゼルより今朝届けられた。

 双方共に、未婚のベルドール国王への婚姻の申し入れだった。

 親書が両国から届いたのはこれが初めてではなく、この三ヶ月の間に再三届いていた。

 それを彼らが全く無視していたわけではない。

 王の婚姻問題として幾度も議会にかけられたが、アージェスの答えは変わらなかった。

 結果、両国には断りの親書を出したわけだが、どちらの王家からも意に介さぬ婚姻の申し入れが再び送られてきた。それにはベルドール王宮の大臣らも唖然とし、執拗さに半ば脅迫観念を抱き始めている。

 王の反応を確かめた上で、大臣の一人が進言する。


「東のエリザベス王女は、自国のご政務に携わられる知性溢れる姫君。西のリュゼリア王女は十八歳になられたばかり。大層美しい姫と窺いますぞ」


 どこに不満があるのだ、とでも言いたいのだろうが、大いにある。


 エリザベスはモントロベル国王の第三王女で、二十歳のときに他国の王家に嫁いだ。二年も経たずに離婚し、母国へ戻って八年。頭は切れるが男を立てることを知らない気位の高い女だ。

 リュゼリアは、タルタロゼル王の末姫で、絶世の美女と謳われるだけあり美貌の持ち主だ。いかんせん、全く男というものに興味を持たぬ同性愛者だ。

 アージェスは内心で詳細に情報を分析していた。そう、彼は二人の王女に既に会っていた。

 王位を継ぐ以前の遍歴だ。流浪の旅先でそれぞれが住まう城に立ち寄り、言葉を交わしたこともあった。

 せめて己の在位中の平和が約束されるのであれば、例え醜女で気立ても悪かろうと、己を犠牲に結婚する覚悟もできる。

 しかし一見、戦の絶えない三国間で同盟を結ぶための縁談と銘打ってはいるが、厄介払いという目論見が含まれているような気がしてならない。

 そんな婚姻で交わした平和条約に、期待する方がどうかしている。


「くどい。何度書状が届こうとも同じことだ。婚姻一つでこの国が戦場にされないという確証はどこにもない。むしろ、隣国の姫を迎えたことで隙を作り侵略を許しかねん」


 覇気のある口調に、家臣らの目に光が戻る。 

 宰相に命じる。


「両国に書状をしたためろ。あくまでも丁重にな」


「御意」 


 即座に宰相が頭を垂れたが、切れ者で名を馳せる男は主君に釘を刺すことも忘れない。


「これに懲りて、一刻も早いご成婚を願いますぞ」

 

「承知した」


 今朝のルティシアとの甘い一時が過ぎり、脳内のチェス盤を前に出すべき駒に目星をつけた。



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