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第15話 甘酸っぱい夜

 友人に護衛された国王アージェスは真っ直ぐに城へと戻る。

 月が高く上る時刻。

 気にかかるのは黒髪の少女のことばかり。

 ルティシアの夢遊病に気づいてからというもの、アージェスは徘徊に付き合っている。それを彼女は気に病んで何度か放っておいて欲しいと頼まれたが、気になってそうもいかない。しかし、以前は毎晩のように出歩いていたのだが、近頃は減ってきている。ここ二日は出歩いておらず改善の兆候が見られた。


(今夜も部屋で大人しく眠ってくれているといいんだが)

 

 城門を潜り、本殿までの整えられた道の半ばで、馬の足をゆるめ、木々の合間へと入っていく。

 後ろを友人たちが怪訝な顔をしながらついてくる。

 誰もいないことを願いながら、開けた場所へ出た。

 アージェスは馬から降りることになる。

 細い下弦の月が薄く照らす先に、小さな塊が定位置に横たわっていた。

 後から来た友人たちも、寝衣姿で蹲るようにして眠る少女に気がついたようだ。

 主と同様に彼らも馬から降りて、互いの顔を見合わせている。

 眠るルティシアの傍らに膝をつくと頬に触れてみた。

 滑らかな肌は冷たくなっていた。

 どれぐらいここにいたのかと想像すると溜息が出る。

 外套を外し、ルティシアを包むようにかけて抱き上げた。

 何か言いたげな友人らを無視して、乗り馬の前で抱いているルティシアを無言でセレスに押し付けた。

 馬に乗り、彼女を受け取るが、すっかり熟睡しているルティシアは全く起きる気配がなかった。



 私室の寝台にルティシアを寝かせると、アージェスは隣室で待たせている友人たちに向きあった。

 ルティシアの秘密を知られた以上黙っていることもできず、アージェスは彼らにルティシアの夜の徘徊のことを伝えた。

 聞き終えた友人たちは揃っていやらしい笑みを浮かべた。

 長年の付き合いだ、彼らが何を言いたいのか百も承知だ。だから知られたくなかったというのに。

 個人というものがない職業にはうんざりとさせられる。


「言っておくが、俺は飼い始めた兎の世話をしているだけだ」

 

「そんなことあえて言わなくても分かっているさ。わざわざ言い訳するなんて、らしくないな」


 軍の部隊長が冷やかし、近衛の副官が黙っていられず付け加える。


「どおりで夜遊びが減ってきているわけだ」

「これを機に不用意にご婦人に手を出すのはやめてもらいたいな」

「まったくだ。すぐに飽きて捨てられるご婦人達に、俺達近衛が何度腹いせに殴られたことか。いい迷惑だ」


 セレスが加わり、副官から不満が漏れる。

 それをトルテがやんわりと止めに入った。


「そんなこともやっとなくなるね。ご自分のお部屋に、こうも留め置いて寵愛なさっているんだから」 


 クスリとトルテが笑い、ほかの男達も揃って頷いた。

 アージェスは気恥ずかしさで、もうまともに友人たちの顔が見られなかった。



 友人たちを帰らせると、アージェスは着替えた。

 裸ではなく、きちんと寝衣を着込んで、ルティシアのいる寝台に上がる。

 半月前の夜、徘徊からルティシアを連れ帰った後、思い切って同じ寝台で寝たのがきっかけだ。

 以来、夜を共にしている。

 とはいえ、数日間は広い寝台で体は寄せず、ルティシアから離れて眠っていた。

 目覚めた彼女は、同衾の連続に驚きはしたが、怒ることはなかった。

 それどころか朝の挨拶をしてくれた。

 これは大きな進歩だ。

 夜がくるたび、ルティシアの様子を慎重に窺いながら、アージェスは意図的に距離を少しずつ狭めていった。

 

 セレスの屋敷から帰宅した夜は、もう体が触れ合うほどに身を寄せた。

 布越しにルティシアの温かい体温が伝わってくる。

 込み上げてくる愛しさを感じながらも、アージェスは小さな体に触れることを堪えた。

 穏やかな寝顔を見下ろし、細い手に手を重ねる。

 冷たくなっていたはずの手に温もりが戻っていた。

 これまで数多の婦人と肌を重ね、夜を共にしたが、離れがたく感じたことは一度もなかった。

 どんなに美しく魅惑的な四肢を持つ婦人を抱こうとも同じことだった。

 ゆえにアージェスは妻を持つことに後ろ向きだった。

 毎日同じ顔を見ることに耐えられる自信がなかった。

 飽きてしまうのだ。別の婦人を求めてしまう。

 だが今はどうだ。

 トルテの言うように、一人の女を飽きもせず傍に置いているではないか。

 傍から見ればそれはもう『寵愛』と取れるのかもしれない。

 彼自身、一人の女(ルティシア)とこうも長く一緒にいられることが不思議でならなかった。

 飽きない。離れたいとも思わない。

 むしろ、傍にいてやりたいという気持ちにさせられた。

 ルティシアが使っている枕に彼も頭を乗せて、間近で見つめる。


 無防備で、花弁のようにふっくらと盛り上がった唇が、甘くアージェスの心を揺さぶる。

 今夜はまだ口づけはしない。

 それよりも、明日の朝、この距離にルティシアがどんな反応をするのかが待ち遠しかった。 

 焦ることはない。

 ゆっくりとルティシアが心を開き、受け入れてくれればいい。

 穏やかな気持ちで眠ろうとしていると、不意に小さな身体が身じろぐ。

 アージェスに擦り寄ってきた。

 女慣れしているはずのアージェスが、ドキリとさせられる。

 思わずどうしたのかと覗き込もうとしたが、うずくまるように胸に額を押し付けられて、顔を見ることはできなかった。

 静かな寝息を立てているところをみれば、起きてはいないようだが、普段の素っ気無さからは想像できない懐きようだ。

 小動物のように可愛らしく甘えられて、相好が崩れる。にやけながら艶やかな黒髪を何度も優しく撫でた。



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