第11話 白兎のお散歩 1
『隷属の首輪』とは、一度嵌められれば王の手で外されぬ限り、死してもなお開放されることのない奴隷の証だ。
『国王の玩具』という異名を持ち、王は自由に扱うことができるのだが……。
いつものように裸で寝台に入っても、アージェスはいっこうに寝付くことができなかった。
外泊について問い詰めようとしていたが、結局聞き出せないままだった。
一体真夜中にどこへ行っているのか。
気になってしかたがない。
昨夜はいなくなったルティシアを待ち続けて、一睡もしていないのだが、時間が経つにつれて目が覚めてくる。
そうして真夜中になる頃。
何度も寝返りを打ち、溜息をついていると、遠くで扉が軋む音が聞こえてきた。
アージェスは敏感に物音を聞き取ると、すぐに寝台から降りた。
素早く寝衣を着て寝室を出る。
隣室にはルティシアがいなくなっていた。
廊下に出て彼女を追う。見つけるのは容易だった。
薄暗い廊下の先に、ルティシアが寝衣姿でフラフラと歩いていた。
捕まえて咎めようかとも思ったが尾行する。
どこへ行くのかが知りたかった。
夜の城は暗く、静寂の中で夜鳥の鳴き声が不気味なほど低く響いている。
ルティシアは、それらを恐れることなく長い廊下を歩き、階段を下りると裏庭に出た。
夜の空気は湿気を含み、吹く風は肌寒い。
前を歩く小柄な姿は寒さえ気にする様子もなく、木々の合間を縫うようにして奥へと進んで行った。
巨大な本殿もさることながら、それを囲む庭はもっと広い。
裏庭を奥へ奥へと進んでいく。
その先には騎士たちの訓練場があり、兵舎がある。
ルティシアは否定したが、アージェスには彼女が他の男に会いに行くとしか思えなかった。
彷徨い歩くような足取りで、彼の心配をよそに、それらの施設を更に越えて進んでいく。
どこまで行くのかと不審が不安に変わる頃、木々が開けた場所で立ち止まった。
木の陰に隠れ、アージェスはその様子を見守る。
ルティシアはまるでお祈りでもするように、両手を胸の前で組み、空を仰いだ。
月の光が優しく華奢な全身を照らす。
しばらく佇んでいたルティシアは、やがてその場に座って草の上にゆっくりと身を横たえた。
それっきり、いくら待っても彼女は死んだように動かない。
いてもたってもいられず、アージェスは近づく。
屈んでルティシアの顔を覗くと、静かに寝息を立ているではないか。
(一体どうなってるんだ?)
頭の中が疑問符だらけになって、アージェスは呆気に取られた。
抱きかかえて部屋へ連れ帰ると、起きる様子のない彼女を寝台に寝かせ、丁寧に毛布をかけてやった。そして彼自身は、隣室の長椅子に身を横たえた。
月の下でルティシアを抱き上げたとき、華奢な身体はすっかり夜気で冷え切っていた。
腕に抱きかかえて歩く間、アージェスはこれまでのことを思い出していた。
記憶の欠片が一つずつ合わさる。真実が見えたとき、ルティシアの心からの笑顔を見てみたいと、願わずにはいられなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『夜中に歩き回るだなんて、気でも触れているんじゃない』
ルティシアの夜の散歩を知った者達は、心底気味悪がって、決まって同じことを言った。
『昨夜はどこへ行っていた?……』
寝る前に王に問われ、ルティシアは近頃特に酷くなってきた中傷を持ち出した。
話を逸らして追求から逃れたかっただけなのだが、先日殴られたときと同じく、アージェスは胸を熱くさせるほどの頼もしい言葉をくれた。
できることならずっと隠しておきたかった。
たった一人、悪魔と蔑まれるルティシアに優しくしてくれる人だ。
そんな彼に、先日殴られて以来惹かれるようになっていた。
奇怪な行動で、アージェスにまで白い目で見られたらと思うと、辛くて堪らなくなる。
目が覚めるとルティシアは、見知らぬ場所にいた。
シーツが敷かれ、毛足の長いふわふわの柔らかく温かな毛布が身体に掛けられていた。
小部屋ほどの広さに、天井から下ろされた幕で四方が仕切られている。そこは、天蓋つきの寝台の中だった。一体何人ぐらい寝られるのか、見たこともない大きさだ。
寝台もさることながら、その部屋自体もちょっとした広間ほどの広さがあった。
寝起きでぼんやりとした頭で、国王の寝室だと気がついた。
それは同時に、ルティシアの夜の散歩が知られたことを如実に語っていた。
いつまでも王の寝室にいるわけにはいかない。
部屋を出なければと、居室に繋がっているであろう扉を見て気が重くなる。
頭の中に聞こえてくる。
『お前のような悪魔がいつまでも陛下の愛妾でいられると思うな』
『輝かしい陛下の名誉を、お前の穢れでどれほど汚せば気が済むのか』
『地獄に落ちろ』
王を慕う者達の声。
分かっている。
自分などが王の愛妾ですら相応しくないことを。
傍にいるだけで邪魔になっていることを。
ただ、物珍しいだけですぐに飽きられていつかは捨てられる。
初めて会ったときからルティシアを普通に扱ってくれたアージェス。本当はずっと忘れられずに覚えていた。王宮で再会できたことも、覚えていてもらえたことも、嬉しかった。
姉達ではなくルティシアだけを選んでくれたことも、首輪一つでアージェスのモノにされたことも、身体を望まれたこともそう。
アージェスになら何をされても良いと思えるほど、本当はすごく嬉しかった。
(でも私はあなたに相応しくないから。
……これで今度こそあなたに嫌われる。
それでいい。
……でもせめて謝りたい。隠していたことを。何かしでかしたであろうことを。許してもらえなくてもいいから、謝らせてもらいたい)
ルティシアは扉をそうっと開く。
静かに開いたつもりでも、蝶番の金属が掠れて耳障りな音が鳴る。
開いた先は、やはり見知った王の居室で、近頃ルティシアの居場所になっている長椅子には、陛下が寝そべっていた。
首だけ巡らせたアージェスと目が合う。
「起きるにはまだ早いだろ? もう少し寝てこい。それとも、俺の寝台では眠る気にもならんか?」
そんなことを言われても、はいそうですかと、戻れるほど厚かましくなれない。
質問には答えられないが、自然に頭が下がる。
「……申し訳ありません。……教えてください。私は陛下に何をしてしまったのでしょうか?」
アージェスは軽く見開いたが、すぐに興味が失せたように、顔を背けてしまった。
「おまえは何もしていない。寒そうに震えていたからベッドで寝かせただけだ」
アージェスはルティシアが夜中に何をし、どこで寝ていたのか見たはずだ。
淡々とした口調には、感情らしきものは伺えない。
そうだと言われれば、全く意識のなかったルティシアには否定することはできなかった。
「そう……ですか」
「俺はもう少しここで寝る。悪いが、おまえは奥の部屋で寝ていてくれ」
ここは彼の部屋だ。頼まれたら、ルティシアに断ることはできない。
コクリと頷いて引き下がった。