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第8話 逆鱗の触れ方

「おまえは俺のことを、狼か何かだとでも思っているのか?」


 ルティシアは王の居室の長椅子で、本を読んでいた。

 執務を終えて戻ってきた王を見るなり、出迎えも挨拶もせずに、反射的に開いた本で顔を隠した。露骨な態度に、王は呆れた声でそう言ったが、彼を怖がったわけじゃない。

 婦人なら見境なく手を出す野蛮さは、まさにそのものだが。

 顔を、というか、目を隠すのはルティシアの癖だ。作法を教えてくれた侍女長官には申し訳ないが、ルティシアは礼儀を弁えるのをやめた。

  

 奴隷の首輪を嵌められたルティシアは、一体どれほど狭く汚い部屋を宛がわれるのかと思っていたのだが、まさかの部屋なしだった。かといって奴隷らしく床に寝させるわけでもない。寝台も用意されず、かわりに、猫足にビロードが張られた極上の座り心地を提供する、最高級の長椅子を貸してもらっている。しかも、ふわふわの温かい毛布をつけて、そこで寝ろと命じられた。

 首輪といい寝床といい、扱いは飼っている動物に等しい。『愛妾』という名のペットだ。

 王がルティシアを『奴隷』ではなく『愛妾』と公言したものだから、殿内は大騒ぎになっている。


『陛下に一体どんな手を使ったのか』


 その疑問は直接問われるまでに、聞こえよがしな陰口と共に何度も聞かされていた。

 ルティシアは俯いた顔をいっそう俯けると、着せられたドレスの裾を掴んで駆け出した。

 迫ってきた手に、腕を掴まれかけた。


『よしなさいっ!』


 背後から聞こえてきた鋭い制止に、ビクッと震えて立ち止まる。


『ルティシア、あなたのことではありませんから、お行きなさい。ただし、走ってはいけませんよ』


 侍女長官の冷静な声だった。

 ルティシアは背を向けたままコクリと頷くと、ほっと息を付いて振り向かずに歩いた。

 背後で、侍女長官がルティシアに触れようとしていた侍女に、叱責をしているのが聞こえてくる。


『いいですか、「隷属の首輪」を嵌められた者に触れて良いのは、陛下だけです。他の者が不用意に触れれば、厳罰に処されます。ここで働きたいのであれば気をつけなさい』

『分かっていますっ。分かっていますが、陛下があんな気味の悪い魔物のような貧相な小娘を、気に入っておられるのかと思うと、……許せなくてっ』

『口を謹みなさい。陛下は、物珍しい娘との戯れを楽しんでいらっしゃるだけです』


 取り乱して泣き出した侍女を、長官が冷静な声で宥めていた。

 聞きたくないことまでもがそうやって聞こえてくる。

 『愛妾』も『寵愛』も事実無根で、望みもしない格上げに、迷惑を被っているのはこちらも同じだ。

 それに言われなくとも、ルティシアは自分の体型も、気味の悪い容姿であることも自覚している。初めの夜以来、ルティシアは王を警戒し続け、機嫌を損なうように努力中だ。

 一日でも早く処分を受けて今の状況を変えなけらばならない。姉達の為にも。 



 王を前に、ルティシアは不機嫌を装い、しゃべりもせずにコクリと頷いた。

 本から少し顔を出すと、恐れ多くも国王陛下を軽蔑の目で睨む。


 王は部屋の中央まで歩み寄ると、ルティシアが睨むからか、立ち止まってそれ以上近づいてこなかった。


「手近に女がいればそれを抱く。これは俺の性分だ。今更どうにもならん。だが、おまえが望むなら一切お前に近づくのをやめてもいい。但し一度で良い、優しくしてやるから抱かせろ」

 

(まだ言うか)


 ルティシアはうんざりした。

 宮殿中の者達がルティシアを嫌がっているのが、どうして肝心の主には伝わらないのだろう。

 ルティシアの身は清いまま。噂を誠にしたいのか。

 本を閉じて脇に置くと、手近にある毛布を引寄せて就寝体勢に入るという、あからさまな非礼を見せ付ける。


「……それほどなさりたいのであれば、『蝶の婦人』でもお召しになってはいかがですか? 私は廊下にでも出ておきますので、どうぞお命じください」

 

 ちらりと盗み見た王の涼しげな顔が不快げに歪んだ。


「俺の性欲処理の為だけに、常駐している女達の通り名をよく知ってるな。誰の入れ知恵だ?」


 冷めた物言い。

 慣れているはずの張り詰めた空気。

 本意であるのに胸にチクリと痛みが刺さる。


「誰かではございません。廊下を歩いていると、陛下のお噂を頻繁に耳にします。どなたかの侍女をお相手になさったとか、昨夜は都のどこぞの夫人に会いに行かれたとか。次はどこぞのご婦人あたりを狙っていらっしゃるとか」


 自分に対する中傷と同じくよく聞こえてくる。

 王はお前だけを相手にしているのではないと、言いたいのだろう。生憎、死にたくなるような自分の陰口を聞くよりも、王のどうでもいい浮いた話を聞いている方が、ルティシアにはよほど気が楽だった。

 普段、ほとんど誰とも口を利かず、話すのは苦手なはずなのに、自分でも不思議に思えるぐらい饒舌になる。


「姉達の事も噂で聞きました。一切お手を付けられず、ご家臣に下げ渡されたとか」


 女なら誰でも見境なく寝台に誘う野蛮人だと思っていた。だから、てっきり後から姉達も王に召し上げられるものだと思っていたが、アージェスはそうしなかったらしい。

 ルティシアだけを傍においた。それももっとも身近な場所に。

 アージェスは部屋の片隅にある長椅子と同じ、上質なビロードが背もたれと座るところに張られた椅子を持ってきて、腰を落ち着かせた。


「俺とて好みぐらいある」


 疑わしいほど許容範囲が広いようだが。

 いや、そんなことが聞きたいわけじゃない。

 ルティシアは疲れを覚えて深く息をつく。


「……そろそろ首輪を外して頂けませんか? 私がいては邪魔でしょうから」


「この状況でよくそんな殊勝な解釈ができるもんだ。おまえは俺の寵を得て、子を産みたいとは思わんのか?」


「なぜ、私が?」 


(『ちょう』ってなに? 体の何倍も大きな羽根で、ぱたぱた飛んでる虫のことでも言ってるの? 殊勝なのはどっちなんだか)


 そんなことを言われるとは思ってもいなかった。

 そんなことを考えるような厚顔な女と、思われていたことの方が心外でならない。

 

 不快な顔をしたルティシアを、アージェスが何も分かっていないのかと言いたげな顔をして、疲れたように溜息をついた。


「俺の子を産めば、お前の立場は今よりもはるかに安定する。子が男児であれば、なおのことだ」


(そんなこと、天地がひっくり返ったって、私は望まない。何も分かっていないのはあなたの方よ、ばかアーシュ。何も分かろうとしていないじゃない。ご家臣らが声を大にして訴えているというのに)


 話が終わらないうちからルティシアは、首を左右に振っていた。

 自分などが陛下の子を産むことなどあってはならないことだ。とても聞いていられなかった。


「考えられません。……首輪を外して下さい。もう飽きられたでしょう?」


「全然。俺をここまで拒絶するお前に俄然興味が沸いてきた。そこらの婦人よりもお前の方がよほど面白い。……そんなに開放されたいなら、なおのこと俺に抱かれろ。身体の相性だけでも早く確めてみたい。相性が悪ければ即解放してやる」


「ご冗談はおやめ下さい」


 ルティシアは頭痛を覚えた。話が全く通じない上に、言っていることが意味不明だ。

 姉達が怒り狂い、王宮中の誰もが不快に思っている。

 アージェスが首輪を外して解放したとたん、自分はどうなるだろう?

 そんな恐ろしいことには目を逸らし、一刻も早く『奴隷』から、いや、『愛妾』から解放されたかった。多くの者達から憎まれ、蔑まれることから逃れたかった。

 

(なのに……なのにっ!)


 内心で叫びながら、何度言われようとルティシアの意思は変わらない。

 ぴしゃりとはねつけると、アージェスが面白くないと言わんばかりに、真似をするように不機嫌な顔をした。

 

「冗談ではないが、まあいい。そこまで言うなら、何もしないと約束してやる。だから、今日のところは俺と添い寝しろ」


「ご命令ですか?」


 ここまでアージェスが食い下がるとは思っておらず、ルティシアは内心で驚きながらも、張り付かせた無表情で問い返した。


「そうだ。逆らうことは許さん」


 アージェスは真顔で立ち上がった。

 歩み寄り、手を差し伸べてくる。

 しかし、ルティシアはその手を取ることなく、静かにけれど決然と紡ぐ。


(これで良いの、これで)


「殺される覚悟はできております。従わぬ無礼者をお手討ちになさいませ」


 刹那、アージェスの顔から色が失せ、次の瞬間、部屋に乾いた音が響いた。

 一瞬何が起こったのかわからなかった。

 直前に見えたアージェスの振りあがった手、それが今は下ろされている。

 頬にしびれる痛みを感じて、彼にぶたれたのだと気づいた。

 鷹揚で、いくら非礼を働いても受け流していたアージェスが、下ろした手で握りこんだ拳を怒りで震わせていた。


「俺は人を平気で蔑むやつは嫌いだが、自分の命をすぐに諦めるやつはそれ以上に許せん」


 怒らせるために命令に逆らった。当然の結果ではあるが、覚悟を告げたことに対して、怒り出すとは思ってもみなかった。

 何をそんなに怒っているのか、分からない。

 呆気に取られてまじまじと見上げると、彼は不機嫌に背を向けた。


「もう良い、一人で寝る」


 言い捨てて、荒々しく扉を閉めて寝室へ引っ込んだ。

 一人残されたルティシアは、アージェスが消えた扉を見つめ続けた。

 

『お前がいるからこんなことになるんだ』

『お前など早く死んでしまえばいいのに』

 身内に何か不幸がある度に、そう言われ何度も殴られてきた。

 殴られることに慣れているというのに、アージェスに打たれた頬がじんじんとして、ルティシアは手を当てた。

 痛くはなかったが、熱を持っていた。

 ずっと周囲から疎まれ、死を望まれてきた。なのに、アージェスは生きることを諦めることを許さなかった。そんな人は、今まで誰もいなかった。

 誰も。誰一人として。

 


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