第6話
第六話
麻耶は無言でドアを開け部屋に入る。部屋の中はうっすら明かりがあるものの薄暗く、部屋の全体を見渡すことはできなかった。今までと同様に所々に本棚があるが、数は少なく感じる。
「やっぱり他の部屋とは少し雰囲気が違うわね」
麻耶は慎重に少しずつ奥に向かっていく。少ししたら広間に出る。そこには多数のPCが置かれており一人の人物が椅子に座り黙々と作業をしていた。PCがある事がますますこの地下は別時代である感じがする。足音から誰かが入ってきたことは分かりそうだが、一向にこちらを振り向く気配はない。どうやら作業に夢中で気づいていないようだ。
「あなたがアークライトさん、ですね…?」
その人物に恐る恐る問いかけるが返事は無い。麻耶は構わず話しかける。何せチルノの命がかかっている。躊躇っている暇はないのだ。
「あなたにお願いがあります。ここに来た少女が牢に閉じ込められているんです。開放していただけませんか? 彼女は私の友人なんです。お願いします」
相変わらず彼からの返事は無く、黙々と作業を行っていた。
「アークライトさん、返事をしてください!」
麻耶は段々心に焦りを覚え、声を荒げた。
「アークライトさん、お願いします!」
頭を下げ、必死に訴えかけると
「なんだね、騒々しい」
荒げた声でやっと自分以外の人物が入ってきた事に気づいたのか、こちらに顔を向けやっと返事をした。実際のアークライト氏の顔を見ることができたのは初めてだが、その顔は多少やつれているものの、まだまだ若々しいもので、写真と殆どが変わりのないように思えた事は驚きだった。写真で見たときもそうだったが、彼があのような事をしでかすとは到底思えないと感じたのは相変わらずだった。
「アークライトさん、牢に入っている私の友人を返してください。チルノは大切な私の友人なんです」
麻耶は再び彼に訴えると
「そうか…、彼女はチルノというのか」
と呟き、再び黙ってしまった。麻耶は彼に精一杯の思いをこめて
「お願いします!」
と頭を下げた。
「君の願いはわかったよ」
と笑顔を浮かべた。麻耶はほっとし
「じゃあ開放してくださいますね?」
と問うと
「駄目だ」
一瞬にその顔から表情が消えうせ、再び作業に没頭し始めた。
「な、何故なんですか? 私の願いを聞いてくれるんじゃないですか!?」
麻耶は思わず彼にしがみつき訴えた。しかし彼は全く表情を変えることなく
「何故? そんな事決まっているだろう。彼女はミリアの研究に必要な素材なのだよ。しかも彼女はどうやら普通の人間とは違うようだ。ふふふ…私は運がいいな。あのような素材はなかなか手に入らない。これで研究も進むだろう」
そう言うと彼は愉快そうに笑い始めた。それは人の心を持っているとは思えない、酷く歪んだ笑いだった。
「お願いします! 友達を返してください!」
麻耶はなんとか訴えようとするが
「離したまえ。私は君みたいなクズとは違って忙しいのだよ。ミリアの為にこんな下らない時間を割いている場合ではないのでね」
と話し、麻耶を払いのけた。それは人では考えられないほどの力であり、振り払われた私の体は物凄い速さで壁に叩き付けられた。
「うっ!」
体に来る衝撃に呼吸が止まり、その場にうずくまることしかできなくなる。彼は一瞬興味が無くなったかのような素振りを見せたが、
「ふむ…」
と考えたような仕草を見せこちらに振り返る。
「くっくっく…。娘よ、神に感謝するんだな」
「感謝…ですって…?」
「そうさ。私の研究にはある程度歳のいった女が必要でね。もうこの辺りの素材は狩りつくしてしまったんだ。君はその素材になれるのだ。これが感謝をしないでどうするというのだい?」
彼はニタニタ笑いながらこちらに近づいてくる。
「くっ!」
本能が危険であると悟りは必死に体に動くよう命令するが、壁に打ち付けられた衝撃が思った以上だったこともあり、体が思うように動かない。
「さて…」
彼はしゃがみながら麻耶の顔を覗き込み
「君にはミリアへの生贄となってもらおう。何苦痛はない。一瞬で終わるさ」
と笑みを浮かべる。麻耶は思いっきり睨み付け
「あなたは…人の心というものが無いの!? こんな事をしてもミリアさんは喜ばないわ! そんな事あなただって――――」
そこまで話した途端、一瞬にして呼吸が止まる。彼が麻耶の首を突如つかみ上に持ち上げたのだ。
「貴様に何が分かる!」
「っ!」
麻耶は必死に彼の手を離そうとしたが、一向に離せる気がしない。それほどまでに彼の力は強かった。
「知能が低い貴様には分かるまい! 私の研究が成功すれば必ずミリアは帰ってくるのだ。あの可愛らしいミリアが! 私の研究は誰にも邪魔はさせん!」
彼は再び麻耶を壁に叩き付けた。
「うっ!」
二度の衝撃により段々と意識が薄れていく。
「おお…、愛しのミリア…。もうすぐだからね? もうすぐ会えるから」
彼は愛しそうに写真立てに話しかけていた。恐らくその写真立てにはミリアの写真が入っているのだろう。その写真を見ている時が唯一穏やかな顔をしていた。
「はやくチルノを助けないと…」
麻耶は必死に体を動かそうとしたが、そこで意識を失うこととなった。
再び目を覚ますと麻耶は牢の中にいた。辺りを見渡してみるとそこには誰もいない。どうやらチルノとは別の部屋に放り込まれたようだ。
「ここは何処なのかしら? 今まで入ったことのない部屋だということは分かるけど…」
辺りを見渡すとその部屋は全くといっていいほど物が無かった。今までの部屋は例外なくどの部屋も本棚があったが、この部屋には一切ない。部屋の大きさも今まではいた中で最も狭く、寂しい部屋だった。
「この先どうしよう…。チルノを助けたいけど、このままじゃ何もできないし…」
駄目元で牢のドアを開けてみようと試みるが、さすがに開いているわけも無く、ガシャガシャという音が空しく部屋の中に響いた。
「ですよね~」
麻耶は壁に寄りかかりながら腰を下ろした。
「この先どうしようかしら…。体の自由が利くというのは助かるけど、どうにかしようにもまずこの部屋を出ないとどうしようもないし…」
何もやることができない以上下手に動くことは愚策と判断し、今までのことを改めて整理してみることにした。
「まず上の館はアークライト氏の居住区、そして地下のフロアは研究所ね。研究所では人体の解剖といった怪しげな研究が行われていてその目的は不明。ただしそれにはミリアという人物が大きく関わっており、それはアークライト氏にとってとても重要な人物である。また、先ほどの件でミリアという人物はなくなっている可能性が高いということかしらね」
こうして口に出しながら整理していくと新しくある過程が見えてくる。それはミリアという人物を取り戻す研究――
「まさか…死者の蘇生の研究?」
あまりに突拍子もない事で普段なら一笑に付す所だが、そう考えていくと辻褄が合う気がしてくる。しかしそんなことが可能なのだろうか。しかしよくよく考えてみると麻耶がこの場所に存在することすらそもそも不可思議な現象なのである。簡単に不可能と断言していいのであろうか。
「だとしたら何としてもこの場を早く脱出しないと」
スクープの種を失うのは残念だが、命あってのものである。チルノを何とか救出し、早々にこの場を脱出することが最善だろう。
「そうと決まったらなんとかこの檻を…うん?」
先ほどまで気づかなかったが、チョイチョイと牢の外で手招きしている少女がいる事に気づいた。よく見ると先ほどパスワードが書かれている事に気づかせてくれた少女のようだ。
「あなた…さっきの子よね?」
麻耶は恐る恐るその少女に問いかけると、少女は何を応えるわけでもなく笑顔で手招きをするだけであった。
「残念ながら、そんなに手招きをされても私ここから出られないのよね…」
そう言うと、今度は少女は無言で牢のドアを指差した。
「ん? ドアがどうかしたの?」
少女が指差すのにつられドアに向かい手を掛けると、不思議なことにドアは何事も無く開いた。
「あれ? さっきは開かなかったのに…」
檻から出ると少女は笑顔で部屋の外に消えていく。
「夢ってわけでもないわよね。現にこの扉が開いてるわけだし…」
とりあえずここにいてもできる事は無いし、少女についていけば何か分かるような気がして部屋の外に出てみることにした。
部屋の外に出ると相変わらずそこは無機質なコンクリートの廊下だった。どうやらここは地下の部屋の一室だったようだ。ふと辺りを見渡すと先ほどの少女がこっちを見て手招きをしながら先のほうへ行ってしまった。
「ち、ちょっと待って! あなたは一体誰なの?」
とにかく彼女に問いかけるが少女はニコニコ笑うだけで返事は無い。麻耶はとにかく彼女を追いかけるとそこは先ほど乗ったエレベーターの前だった。
「館に戻れって事なのかしら?」
正直チルノを残し、この地下室を離れたくは無い。先ほどアークライト氏が言ったのが事実であれば間違いなくチルノの身は非常に危険である。だがこの地下に居たところでまだチルノを助ける術は自分には無いのも事実。ならば少女の言う通りにしてみれば何か解決策が見えるのではと考え、麻耶は意を決しエレベーターに再び乗り込んだ。