恋をしない妻の、二度目の結婚
「離婚してほしい」
ジュリアンは、向かいの椅子に座るハリエットをまっすぐ見て言った。
怪我から戻って以来、彼が自分から妻の部屋を訪ねたのは初めてだった。歩くときには、まだ脚をかばっている。
「エディス嬢と結婚なさるためですか」
「……そうだ」
ジュリアンは、ハリエットの返事を待ってから続けた。
「彼女を愛している。だが、不貞はない。君との婚姻を解消してから、正式に申し込みたい」
「分かりました」
思いのほか、声は普段どおりに出た。エディスが怪我をした彼を献身的に看病したことは、ハリエットも知っている。
「……驚かないのだな」
「驚いております」
「そうは見えない」
ジュリアンは言葉を探すように、少し間を置いた。
「私たちの結婚は、互いに恋愛を求めないという約束から始まった。いわば契約だったのだから、君にも特に問題はないだろう」
ハリエットは返事をしなかった。
恋多き男と、男嫌いの鉄仮面。二人の結婚が決まったとき、社交界はにわかにざわついた。
ハリエットは男性を嫌っていたわけではない。ただ、誰かに恋をしたことがなかった。友人が好きな人の言葉ひとつに喜んだり、眠れないほど悩んだりするのを見て、その気持ちを大切なものだとは思った。けれど、求愛されても同じ気持ちにはなれなかった。
まだ相手に出会っていないだけだと言う人もいた。そうかもしれないと思って過ごしたが、年頃になっても変わらなかった。やがて、期待を持たせるような返事をしない彼女は、鉄仮面と呼ばれるようになった。
貴族の娘として、いずれは結婚する。ハリエットは父母に、家のための婚姻で構わないと伝えていた。相手が年の離れた男性でも、暴力を振るわず、妻として尊重してくれるなら、それなりにやっていけると思っていた。
そこへ、ジュリアンから縁談が持ち込まれた。
彼は女性との噂が絶えない男だった。だが、親しくした女性の誰にも、本気で恋をしたことはないと言った。親から結婚を急かされているものの、妻に恋を約束することはできない。互いに恋愛を求めず、友人として暮らさないか、と。
ハリエットには、有り難い申し出だった。
結婚後はほかの相手と関係を持たないこと。いずれ家を継ぐ子が必要になれば、夫婦として務めを果たすこと。それまでは寝室を分けること。二人はそう決めて結婚した。
約束を守る暮らしは、窮屈ではなかった。ジュリアンとは話ができた。彼が怪我をしたと聞いたときは無事を願い、帰ってきた姿を見て安堵した。恋をしていなくても、これから長く一緒に暮らせると思っていた。
だから、二人で決めて過ごした一年を「契約だったから問題はない」と言われたことには、失望した。あの時間を大切に思っていたのは、自分だけだったのだろうか。
「もちろん、離婚によって君が不利益を被らないようにする。父にも私から話す」
ジュリアンの声に、ハリエットは顔を上げた。
「ありがとうございます。離婚には同意します」
彼の表情が緩んだ。
「君なら理解してくれると思っていた」
ハリエットはうなずいた。離婚を望む理由は理解できる。ただ、自分がこの結婚で得たと思っていたものまで、同じように理解してもらえたとは思えなかった。
*
ジュリアンがエディスと出会ったのは、怪我をしたときだった。
領地へ向かう途中、雨で緩んだ道で馬車が横転した。脚を折ったジュリアンは近くのフェンウィック男爵家へ運び込まれ、高い熱も出た。医師からは、しばらく動かさないようにと言われたという。
男爵家の娘エディスは、医師や侍女たちとともに彼を看病した。ハリエットのもとにも知らせは届いたが、崩れた道を迂回しなければならず、夫のもとへ着くまでに数日かかった。
到着したとき、ジュリアンの熱はようやく下がったところだった。
「奥様がいらしたのですね。よかった」
エディスは医師から聞いた注意をハリエットに伝えた。疲れた顔をしていたが、礼を言うと、彼女は「屋敷の者たちと医師が力を尽くしたのです」と答えた。
ジュリアンが帰れるほど回復するまで、ハリエットも男爵家に滞在した。その間もエディスは彼の様子を気にかけ、医師の言葉を伝えに来てくれた。
怪我をして心細かったジュリアンが、献身的に看病してくれたエディスに惹かれたとしても、おかしくはない。
ハリエットとジュリアンは、家のために子が必要となる時期までは、寝室を共にしないと決めていた。今、二人の間に子はいない。別れるなら今しかないと、彼も考えたのだろう。
エディスはまだ十七歳だ。ジュリアンが彼女との結婚を望むなら、既婚者のまま親密な関係を続けるわけにはいかない。
ハリエットには、彼の選択が理解できた。だからといって、別れが寂しくないわけではない。ジュリアンと話す時間も、同じ家で暮らす日々も、彼女は好きだった。
ジュリアンの申し出を受けて、両家の親がマーサー伯爵家に集まった。
ウィットモア伯爵は怒っていた。娘に落ち度はなく、両家が認めた婚姻をわずか一年で解消する理由が、夫の恋だという。
「ハリエットに対して、あまりに理不尽ではありませんか」
マーサー伯爵は息子に厳しい目を向けた。伯爵夫人も、ハリエットには申し訳ないと繰り返した。
ハリエットは両親を案じていた。ジュリアンとの結婚を喜んでくれた二人に、こんな話を聞かせることになったのだから。
「お父様。私は離婚に同意しています」
「お前が同意したからといって、ジュリアン殿の申し出が正当になるわけではない」
「ええ。そのことは分かっています」
父は、それ以上ハリエットを説得しなかった。
ジュリアンも、自分の希望で婚姻を解消する責任は認めた。持参金を返し、ハリエットに非がないことを両家の間で明らかにする。彼女の名誉と今後の暮らしについて話し合い、正式な離婚の手続きを進めることになった。
話し合いを終えると、父がハリエットに「帰ろう」と言った。衣装や本などの荷物は、後日、実家の使用人が取りに来る。
玄関には、父母の馬車が待っていた。ジュリアンも杖をついて見送りに出ている。
「ありがとう、ハリエット」
離婚に同意したことへの礼だろう。ハリエットはうなずいた。
「お怪我を、どうぞお大事に」
ジュリアンには幸せになってほしい。その気持ちは変わらなかった。
馬車に乗ると、母が隣に座った。向かいの父は、まだ険しい顔をしている。
父はジュリアンとの離婚に納得していないのだろう。それでも、ハリエットが同意したと告げてからは、考えを変えるよう求めなかった。
馬車が動き出した。窓の外で、ジュリアンの姿が遠ざかっていく。
実家へ帰るのは一年ぶりだった。父母が一緒にいることを心強く思いながら、ハリエットは、もうあの家へは戻らないのだと考えた。
*
離婚が成立して、二か月が過ぎた。
ハリエットは母とともに、ラングリー侯爵家の演奏会に招かれた。招待してくれたのは、娘のルイーザだ。ハリエットとはデビュタントの頃からの友人で、結婚後も手紙のやり取りを続けていた。
帰り際、ハリエットは侯爵夫人に礼を述べた。そばにはルイーザの兄、ベネディクト・ラングリーがいる。二年の国外赴任から戻ったばかりで、ハリエットが顔を合わせるのはデビュタント以来だった。
「お久しぶりです、ハリエット嬢」
ベネディクトが先に声をかけた。
「ラングリー様。ご帰国なさったとは、ルイーザ様から伺っておりました」
「私も、妹からあなたのお話を聞いていました」
ルイーザが何を話したのだろう。ハリエットは気になったが、ここで尋ねるのも妙だった。
「今日はお招きいただき、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「それはよかった。どの演奏がお好きでしたか」
ハリエットが曲の名を挙げると、ベネディクトは頷いた。彼も同じ演奏が印象に残ったという。短い会話だったが、音楽の話をするのは久しぶりで、ハリエットは話し終えてから侯爵夫人にも礼を述べた。
「素敵な演奏会でした。侯爵夫人とルイーザ様のお心遣いにも、感謝しております」
母に呼ばれ、ハリエットは馬車へ向かった。
■■■
「お兄様、ハリエットと何を話していたの?」
客を見送り終えたベネディクトに、ルイーザが尋ねた。
「今日の演奏のことだ。また話してみたいと思った」
「ハリエットは離婚して、まだ日が浅いの。中途半端な気持ちでかき回すのはやめてね」
ルイーザの言い方は厳しかったが、友人を案じているのは分かる。ベネディクトはデビュタントで会った日のハリエットを覚えていた。今日、話してみて、彼女への関心は増した。だが、それを理由に軽々しく会う機会を作れば、彼女に噂が立つ。
「分かっている」
「本当に?」
「次に会うなら、まずウィットモア伯爵に話をする」
ルイーザは兄の顔を見た。
「それは、どういう意味?」
ベネディクトは答えを急がなかった。父親に話をするという言葉の重さは、自分でも分かっていた。
■■■
ジュリアンがエディスに求婚したと聞いたのは、離婚が成立して間もない頃だった。
それから、夜会へ出るたびに二人のことを尋ねられた。怪我をしたジュリアンがエディスの家で看病されたことも、求婚が早かったことも、噂になっているらしい。
「お二人にやましいことはなかったと思います」
ハリエットは、聞かれればそう答えた。エディスが彼を看病していたときのことを知っているし、ジュリアンの言葉も信じている。
ただ、同じ返事を繰り返すうちに、夜会へ行くのが少し億劫になった。ジュリアンとの結婚は終わったのに、会う人の関心はまだその話に向いていた。
そんな日々が続いたある日、父から話があると呼ばれた。
「ラングリー侯爵家のベネディクト殿が、お前との結婚を望んでいる」
ハリエットは驚いた。侯爵家の次男とはいえ、ベネディクトは国外赴任の功績で自らも爵位を得ている。先日の演奏会では、少し言葉を交わしただけだった。
「ルイーザ嬢から、何か聞いていたのか?」
「いいえ、私は何も」
父も意外だったらしい。ベネディクトはまず父に面会を求め、ハリエットが望むなら、結婚を前提に会う機会をいただきたいと伝えたという。
「お前の気持ちを聞いてから返事をするつもりだ」
「一度、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
演奏会でのベネディクトは感じのよい人だった。だが、なぜ自分との結婚を考えたのか、ハリエットも聞いてみたかった。
*
数日後、父母はハリエットを交えて、ベネディクトを応接間に迎えた。挨拶が済むと、父が切り出した。
「娘にも話をしました。まずは、ベネディクト殿のお考えを伺いたい」
「ハリエット嬢との結婚を望んでおります」
「娘とは、先日の演奏会で少し話しただけだと聞いています」
ベネディクトは父の問いを受け止めた。
「はい。私も帰国し、結婚を考えておりました。ハリエット嬢とは以前、妹のデビュタントでお会いしています。そのときから好感を持っていました」
「それで、演奏会のあとに申し出を?」
「再びお話しして、もっとこの方を知りたいと思いました。今日、結婚の返事をいただくつもりはありません」
父は続けて尋ねた。
「ならば、なぜ今、結婚を望むとまで伝えたのですか」
「ハリエット嬢が私と会うかどうかを決める前に、私の意図を明らかにしたかったのです」
ベネディクトはハリエットのほうを見た。
「私はあなたと話すのが楽しかった。またお会いして、互いのことを知る機会をいただけませんか」
父がハリエットに向き直った。
「お前は、どう思う」
「私も、もう一度お話ししてみたいと思います」
父は、家族の同席する場で会うことを認めた。ベネディクトが礼を言ったとき、その声は先ほどより少し弾んでいた。
それからベネディクトは、何度かウィットモア伯爵家を訪れた。
二人は演奏会や舞台の話をした。ベネディクトが国外で観た芝居には、ハリエットが戯曲だけ読んだものもある。結末について意見が分かれた日は、日が暮れるまで話し込んでいた。
次の訪問で、ベネディクトはその戯曲の新しい版を持ってきた。
「先日の話をしてから、あなたにも読んでほしくなったんです」
「私はもう読んでおりますよ」
「知っています。巻末の解説が面白かったので、ハリエット嬢ならどう思うか聞きたくて」
本を贈られることより、話の続きを覚えていてくれたことが嬉しかった。ハリエットは礼を言い、読み終えたら感想を伝えると約束した。
ハリエットは、彼と話すのが楽しかった。ベネディクトも、次に会う日をいつも楽しみにしていると言う。その言葉を聞くたびに、伝えておかなければならないことがあると思った。
ある日、母が同席する客間で、ハリエットはベネディクトに切り出した。
「私は、これまで誰かに恋愛感情を抱いたことがありません。あなたと過ごす時間は楽しいのです。でも、それが恋なのかと聞かれたら、違うと思います」
ベネディクトは話を遮らなかった。
「結婚すれば変わる、とはお約束できません。それでも私との結婚をお望みですか」
「望みます。あなたがそういう方だと知ったうえで、結婚したい」
ベネディクトの返事に迷いはなかった。ハリエットは、伝えるべきことを伝えたうえで返事ができることに安堵した。
「ありがとうございます。私も、あなたと結婚したいと思います」
両家の父親が婚姻の条件を整え、二人の結婚が決まった。
*
婚約が決まってから初めて訪ねてきた日、ベネディクトは花束を持っていた。ハリエットが以前、庭で好きだと話した花だった。
「覚えていてくださったのですね」
「ええ。あなたに差し上げたいと思って」
ハリエットは花束を受け取った。彼と庭で話した日のことまで思い出し、嬉しくなった。
「ありがとうございます。部屋に飾ります」
会えない日には手紙が届いた。ベネディクトは読んだ本や聴いた音楽のことを書き、ハリエットも返事をした。次に会うと、手紙に書ききれなかった話ができた。
婚礼が近づくと、ベネディクトはハリエットを新居へ案内した。母も同行して部屋を見て回る。庭に面した一室で、ハリエットは足を止めた。
「ここは午後も明るいのですね。本を読むのに良さそうです」
「では、あなたの部屋にしましょう」
「まだ、ほかの部屋を見ておりませんよ」
ベネディクトが笑ったので、ハリエットも笑った。
婚礼の日、二人は家族や親しい人々に見守られて誓いを交わした。式を終えて並んで歩くとき、ベネディクトがハリエットに手を差し出す。彼女はその手を取った。
これからは、昨日の話の続きを明日もできる。ハリエットはそれを嬉しく思った。
婚礼を終えたハリエットは、ベネディクトが王都に構える屋敷へ入った。
屋敷の者たちに迎えられ、婚礼の衣装を着替える。支度を終えたハリエットが夫婦の寝室へ入ると、ベネディクトが待っていた。
「ようやく二人になれました」
彼がハリエットの手を取る。今夜のことは、結婚前に話していなかった。
「お聞きしてもよろしいですか。今夜は初夜を迎えるのでしょうか」
「私は、そのつもりでした」
ベネディクトは驚いたようにハリエットを見た。
「あなたは、違ったのですか」
「子どもが必要になるまでは、寝室を分けるのかと思っていました」
前の結婚では、そう決めていた。ベネディクトとは同じ約束をしていないのに、ハリエットは今夜まで、その違いを考えていなかった。
「ジュリアン殿とも、寝室を分けていたのですか」
「ええ。子どもを作る必要がある時期までは、と」
ベネディクトが言葉を止めた。何を尋ねたいのか、ハリエットにも分かった。
「夫婦として過ごしたことはありません」
「……そうだったのですか」
驚かれたが、ハリエットも、彼の考えを初めて聞いたばかりだ。
「私は今夜、あなたと一緒にいたい」
ベネディクトは握っていた手を離さずに言った。
「子どものためだけではありません。あなたを愛しているからです」
ハリエットは彼を見た。自分が恋をしていないと伝えたとき、ベネディクトはそれでも結婚したいと言った。けれど、彼自身が恋をしているのか、尋ねたことはなかった。
「あなたには、これまで本当によくしていただきました。私も、あなたと一緒にいるのが好きです」
ベネディクトと夫婦になりたくて、結婚した。触れられることが嫌なのではない。ただ、彼の言葉を聞いて、以前から胸のどこかにあった不安を口にしたくなった。
「でも、これが恋なのかは分かりません。あなたと同じ気持ちを返せないまま、いつか失望されるのが怖いのです」
ジュリアンは恋を知り、ハリエットのもとを去った。ベネディクトも、恋を返してくれる人と暮らしたくなるかもしれない。
「あなたに嫌われたくありません」
ベネディクトはハリエットの手を握り返した。
「私が悲しむかもしれないと、心配してくださるのですね」
「ええ。あなたを大切に思っていますから」
彼は嬉しそうに笑った。
「その気持ちを聞けて、嬉しいです」
ハリエットはまだ不安だった。だが、ベネディクトと一緒にいたいという気持ちは、はっきりしている。
「今夜、私もあなたと一緒にいたいです」
ベネディクトが彼女を抱き寄せた。ハリエットはその背に手を回した。
■■■
ジュリアンとエディスの結婚生活は、初めのうち順風満帆だった。
エディスは彼の帰りを喜び、ジュリアンも彼女に会うために帰宅を急いだ。二人で出かければ、馬車の中でも話は尽きない。怪我をしてフェンウィック男爵家へ運ばれた日を、幸運だったと思った。
半年ほど経つと、ジュリアンはエディスと芝居を観に行った。彼が気に入った作品だったが、帰りの馬車でエディスは言った。
「少し難しかったわ。次はもっと笑えるものがいい」
ジュリアンは、彼女が芝居に慣れていないのだと思った。次は筋の分かりやすい演目を選び、幕間に分かりにくそうだった場面の話もした。エディスは困ったように笑い、「次のお休みには何をしましょう」と尋ねた。
本も勧めてみたが、エディスは礼を言って受け取るだけだった。何日かして感想を聞くと、「まだ途中なの」と答え、友人から届いた手紙の話を始めた。
それからジュリアンは、自分の観たい芝居には友人と行き、本も一人で読むようになった。
一方、エディスは友人や親族に会うとき、ジュリアンも誘った。初めは彼も喜んで同行した。彼女が親しくしている人々を知るのは楽しかった。
ある日、エディスが友人夫婦からの招待状を見せた。
「今度はあなたも来られる?」
ジュリアンは日付を確かめた。予定はない。
「もちろん」
夕食は和やかに済んだ。帰りの馬車でエディスは、友人たちがジュリアンを気に入ってくれたと喜んだ。ジュリアンも、彼女の友人と親しくなれたのが嬉しかった。
その後も同じ友人夫婦との夕食に招かれ、エディスの親族を訪ねる日もあった。どこへ行っても歓迎されたが、回を重ねるにつれ、彼は次の招待を楽しみにしなくなった。
ハリエットとは、家同士の付き合いには二人で出て、友人とはそれぞれに会っていた。芝居を観た帰りには、馬車の中で結末について話したものだ。
次の招待状を持ってきたエディスに、ジュリアンは聞かれた。
「この日も一緒に来られる?」
日付を見た。その日は空いている。
「悪いが、仕事がある」
「そうなの。残念だわ」
エディスは招待状をしまった。ジュリアンは訂正しなかった。
会食の日、仕事は早く終わった。ジュリアンは帰宅を遅らせたが、エディスに行きたくないとは言わなかった。
*
やがて、二人に子どもが生まれた。ジュリアンは我が子を可愛がり、エディスが子どもの成長を話すのを楽しみにした。
子どもが歩くようになると、エディスは友人や親族のもとへ連れて行きたがった。ジュリアンも誘われ、何度か同行した。皆が子どもを褒めてくれるのは嬉しい。ただ、休みの日をそのために使い続けるのは疲れた。
「次のお休み、母が子どもに会いたいそうなの。一緒に来てくれる?」
「君と子どもで行っておいでよ」
「あなたにも会いたがっているわ」
ジュリアンは返事に詰まった。以前のように仕事だと嘘をつけば済むが、今度は子どももいる。
「……分かった。一緒に行くよ」
エディスは喜んだ。ジュリアンも、彼女を愛していないわけではない。怪我をした自分に付き添ってくれたときの気持ちは、今も嘘ではなかった。
ただ、芝居や本の好みは合わず、人付き合いでも疲れるようになった。結婚前、女性との交際を重ねても得られなかった恋を、エディスには感じた。
休みの過ごし方を話し合えばいい。そう分かっていても、ジュリアンはエディスに嫌だと言えないまま、誘いを断る口実を探していた。
二人目の子が生まれた頃、ジュリアンは一人で劇場へ出かけた。開演前の広間でハリエットを見かけた。見知らぬ男と並んでいる。
ジュリアンが見ていると、ハリエットもこちらに気づいた。
「ジュリアン様。お久しぶりです」
「お久しぶりです」
隣の男は、彼女の再婚相手だろう。
「夫のベネディクトです」
「ベネディクト・ラングリーと申します」
ジュリアンも名乗った。ベネディクトは彼が誰かを知っているらしく、改めて説明を求めることはなかった。
「お子さんが生まれたそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。今日は義母が見てくれています」
ハリエットが子どもについて話すのを、ジュリアンは初めて聞いた。彼と暮らしていた頃には、まだ子どもを作る時期ではないと二人で決めていた。
「出かける前に、私も何度も子どもの部屋へ行って、母に追い出されました」とベネディクトが言った。
「帰ってからも見られるでしょう、と言われていましたね」
ジュリアンも二人目の子が生まれたことを伝え、祝いの言葉を受けた。
「今日はお二人で芝居を?」
「ええ。私は原作を読んでいますが、夫は舞台で初めて観るんです。結末については、帰りまで話さない約束です」
「昨夜も危うく聞かされるところでした」
昨夜も二人で芝居の話をしていたのだ。ジュリアンも原作を読んでいる。ハリエットと結婚していた頃なら、彼女が舞台をどう観たか、帰りに聞くのを楽しみにしただろう。
開演の鐘が鳴った。
「それでは、よい観劇を」
ハリエットはベネディクトと客席へ向かった。
芝居は、原作とは違う結末を迎えた。
幕が下り、客席が明るくなっても、ジュリアンはすぐには立たなかった。ハリエットはあの変更をどう思っただろう。だが、帰りに彼女の感想を聞くのはベネディクトだ。
劇場を出ると、二人が少し先を歩いていた。ハリエットが何かを話し、ベネディクトが答える。声は届かなかった。
ジュリアンも彼女となら、今夜の結末について話せたはずだ。あの一年を終わらせたのは、自分だった。
■■■
帰りの馬車で、ハリエットは芝居の結末について話した。ベネディクトは原作を読んでいないので、舞台で観たときの驚きを話してくれる。
「帰ったら、原作を貸していただけますか」
「ええ。でも、先にあなたの感想を聞かせてください」
結末に至るまでのどの場面が好きだったか、二人の意見は分かれた。理由を聞こうとしたところで、馬車が屋敷に着いた。
ベネディクトが先に降り、ハリエットに手を差し出した。
「どうして、あの場面がお好きなのですか」
「話すと長くなりますよ」
「では、部屋で続きを」
ハリエットは彼の手を取った。
END




