聖女ですがブラック企業に勤めてます
どうしてこうなった。
「アリシアさん、午後の会議資料出来てる?」
「あ、はい。ただいま作成中です」
「アリシアさん、別件で頼みたいことあるんだけど」
「あ、後ほど……」
「アリシアさん、リンクステージ株式会社の湯船さんからお電話です」
「あ、いま出ます……」
「アリシアさん、今日終電何時まで?」
「あ、徒歩圏内です」
「オッケー。じゃあ行けるよね、残業」
「あ?」
私はアリシア・アシュフォード。
神と魔法が存在する世界『アースガルド』で暮らしていた聖女である。
そして今はこの世界で、ブラック企業に勤めている。
◯
私は生まれた時から三女神の加護を受けた聖女だった。
「おぉ、この子は……」
「光をまとっているわ……!」
どこにでもいる農家に生まれた私は、光に包まれて生まれてきたらしい。
父と母は私を女神に祝福された聖女として大教会へと引き渡した。
教会で聖女として育てられた私は、やがて女神より与えられていた特別な力を開眼させる。
周囲の時の流れを遅くする時の力。
生命力を回復させる生命の力。
身体能力を向上させる全能の力。
これらの力を駆使することで、今まで数多くの人々を救ってきた。
私は、選ばれし人間だった。
「聖女様、ありがとうございます。お陰でこの子の病気は治りました」
もっと感謝しろ。
「聖女様、この間の助言のお陰で無事に隣国との外交もうまく行ってくれました」
もっと私を讃えろ。
「あぁ、初めて聖女様にお会いできて光栄です。外見だけでなく中身まで美しいとは」
もっと私を崇め奉れ。
そのような思考を持っていたとしても決して口には出さない。
なぜなら私は聖女。
何を考えようと表に出さなければ決してバレることはないのだ。
しかしもちろん、ただの聖女で終わるわけがない。
私には野望があった。
私を神として崇める神聖アリシア大国を建国するという野望が。
私を称える民草。
私に身を捧げる金髪美少年。
私の智恵で潤う土地と収入、そして途絶えることのない富。
やがては私の意のままとなる理想郷を作ってみせる。
そんな私の思考を民は知らない。
しかしながら筒抜けだった存在がいた。
女神である。
『アリシア……アリシア……』
「ふがー、ふがー」
『アリシア、起きなさい』
その日、眠る私の枕元に不思議な声が響いた。
「ううぅ……誰じゃ。せっかく人が気持ちよく寝とんのに」
私が眠気眼を擦りながら目を覚ますと、そこには世にも美しい三人の女性が立っていた。
『アリシア、ようやく起きましたか。二時間は起こしましたよ』
「えーと、何方様でしょうか?」
『私たちはあなた達が三女神と呼ぶものです』
「はぁ、何の御用でしょうか」
『私たちは生まれた時からあなたのことを見守っていました。あなたの穢れた心の声を、ずっと耳にしていたのです』
「はぁ?」
どうやら生まれながら私の思想はすべて女神により盗聴されていたらしい。
女神は悪びれもせず続ける。
『あなたはまだまだ聖女として未熟です。そこで私たちは考えました』
「考えるって、何を」
『あなたを修行に出すことにします』
「修行?」
『見知らぬ土地で暮らし、そして聖女としてふさわしい人になってください』
「え、嫌ですけど……」
『それでは行ってらっしゃい』
反論する私を無視して女神はパンと柏手を打つと、私の意識を何処かへ飛ばした。
次に目覚めた時、私は全然知らない土地にいた。
硬い石に包まれた道と塀。
鉄でできた高速で走る箱。
見たこともない服装をした人々。
私は、元の世界とは別の世界に飛ばされていた。
「はぁ? はぁああああああああああ!?」
私は叫んだ。
「来たかい、聖女様」
道端でオーガのように咆哮する私の肩を誰かが叩く。
そこに立っていたのは一人の老婆だった。
もちろん会ったことはない。
「待ってたよ、あんたのことを」
「えーと、あなたは?」
「あたしは梅原トメ。この世界で言う巫女で、あんたの言う『聖女』だよ。案内するからついといで」
道すがらトメさんは詳しい事情を聞かせてくれた。
彼女の生家は寺院で、生まれた時から神様の声を聞くことができたらしい。
「女の神様に頼まれたんだよ。聖女を行かせるから面倒見てくれって」
「はは……。で、これどこに向かってんです?」
「あんたの家だよ」
案内されたのはボロ家だった。
二階建てで、ドアが六つついている。
集合住宅だろう。
「このアパートは私の持ち家でね。二階があんたの部屋だよ」
「めちゃくちゃ古いですね」
「築五十年は経ってるからね」
するとトメさんは何やら紙を渡してくれる。
どこかへの地図だった。
ここから歩いて近いのが何となく分かる。
「明日からその場所で仕事しな。私が昔世話した子がやってる会社でね。話は通してある」
「はぁ……」
仕事か。
聖女のころも仕事はしていたが、椅子に座って来た人の悩みに答えるという楽なものだった。
まさかこの私が勤めに出る羽目になるとは。
「じゃ、あたしゃもう行くよ」
「あのー、何でこんなに良くしてくれるんですか?」
私が尋ねるとトメさんはニヤリと笑った。
「神様の言うことは聞いといて損ないのさ」
現在進行系で私は損しているのだが。
そんな異論を唱えたかったが、さっさとトメさんは帰ってしまった。
◯
「今日から一緒に働いてもらうアリシアさんです」
次の日、私は地図に書かれた会社に来ていた。
本来なら礼装なのだそうだが、この会社は私服で良いらしい。
ちなみに服はトメさんに貸してもらった。
詳しいことはよくわからないが、こうなったらこの世界でのし上がるしかない。
全知全能の私の力を使えば、民草の心を掴むことなど容易。
仕事でも成果を出してあっという間にのし上がってやろうではないか。
だが。
「アリシア・アシュフォードです。皆さん、よろしくお願いしますねぇ」
私の極上の聖女スマイルにもかかわらず、室内はシンと静まりかえっていた。
全員こちらをチラ見したあと、死んだ魚のような目で何かをカタカタと打っている。
おかしい、思ったのと違う。
前の世界ならば、私が笑顔一つ振りまけば老若男女問わず目にハートを浮かべていたというのに。
今私の前にいる人たちは、まるで心が死んでいるかのように目が黒ずんでいた。
困惑する私に責任者と思しき人が声をかける。
「さ、席について、アリシアさん。君の席は一番奥の窓際。木下さんの隣だから」
「は、はい……」
言われるがまま窓際の奥の席へと座る。
気を取り直そう。
隣に座るメガネで三つ編みの女性にニコリと笑いかける。
「よろしくお願いします。アリシア・アシュフォードです」
「ども、木下です」
仏頂面で彼女は言うと、訝しげに眉を顰めた。
「アリシアさん、外国の人ですよね? 日本語上手いっすね」
「え? えーと……たぶんそうです」
「何でこんな会社入ってきたんですか?」
「な、何で?」
「ここ、最悪のブラック企業ですよ」
「ブラック……企業?」
言ってる意味がよくわからない。
困惑していると「ま、いいですけど」と彼女は再び何かに向かってカタカタとボタンを押し始めた。
そんな彼女に私は尋ねる。
「ところで、私、何やったら良いんでしょうか?」
「パソコンの電源つけてください。それあなたのなんで」
「パソコンって何ですか?」
「はっ?」
◯
そんな訳で私の新生活が始まり、現在に至る。
今やすっかり仕事にも慣れ、当初彼らがカタカタと打っていたものがパソコンであることを後に知った。
そして私の勤めた会社が株式会社バベルという崩れた塔の名前を持つIT企業で、この世界の法を完全に無視するGGGランクの過酷な職場であることも知った。
何で社名に崩れた塔の名前なんてつけるんだ。
そして私は。
「ぐふふ、やはりこのカップリング、たまらないわねぇ」
オタクになっていた。
この現代世界に来て半年。
聖女の『全知全能』の力を使うことで生活や基礎常識には素早く適応することができた。
電子機器の扱いにも慣れ、スマホ端末を手にした時、マンガという文化に出会った。
それが沼だった。
もらった給料をほぼ費やし、ネットスラングを使いこなし、かつての聖女としての気品ある姿はもうない。
更に最悪なことに私の持つ三つの聖女の力はこの過酷な労働環境に完全に適合した。
周囲の時の流れを遅くする時の力は無茶な過密スケジュールをこなすことを可能にし。
生命力を回復させる生命の力は無限に働ける精神と肉体を実現し。
身体能力を向上させる全能の力はほぼ全ての仕事を一度でマスターさせた。
それだけ仕事できたら他の会社行ったほうが良いっすよと隣の席の木下さんに何度も言われたが、私の戸籍はこの世界には存在しないのだ。
身元不明の外国人を疑いもせず働かせるのはこのブラック企業くらいしかない。
私はこの会社でなければ、まともに勤めることすら叶わないのである。
更に言えば、私のスマホ契約はこの会社に勤め続けることを条件にトメさんにやってもらった。
そう、私に逃げ道はないのだ。
私がスマホを見ながらグフグフ言っていると、隣に誰かがやってくる。
「おはよっす。アリシアさん、またサボってマンガ読んでんですか?」
「おはよう木下さん。昨日はよく眠れた?」
「眠れるわけないでしょ。終電退社始発出社なんだから。こちとら睡眠四時間っすわ。アリシアさんは?」
私は目から光を消して薄笑いを浮かべた。
「もう五日家に帰ってないわ」
木下さんは「なんかすいません」と言った。
「んで何読んでんですか?」
「ハイキューよ。もう男の子たちの青春と友情が尊くて尊くて」
「あぁ、良いっすね。アニメもクオリティ高いっすよね」
「アニメ……? アニメ化してるの?」
「知らないんですか? 結構有名ですけど」
「まだその領域には足を踏み入れられてないの。戻ってこれなくなりそうだから」
「確かに……。アリシアさん声優ドハマリしそー」
「ところで今、Vtuberが気になっているのだけど」
「そこに手を出すと死ぬぞ」
隣の席の木下さくらさんとは趣味が合い仲良くなった。
何でも彼女はWeb小説を連載するのが趣味らしい。
私のオタク知識はすべて彼女から得たものだ。
彼女と緩い話をしていると部長が「アリシアさん」と手招きした。
五日寝てないフラフラの体で部長の元へ行く。
そろそろ帰宅命令が出るだろうか。
徒歩圏内なのだからせめて一度帰ってお風呂だけでも入りたい。
聖女の力で体臭を限界まで抑えているが、それでも無理がある。
積み重ねた垢までは抑えられないのだ。
「何でしょう。帰宅命令でしょうか」
「いや、仕事をお願いしたくて」
「……」
「あの、笑顔のまま無言で立たれると怖いんだけど」
「何のお仕事をすればよいのでしょうか」
「ちょっと営業課から頼まれて」
「営業課って、いつも無茶苦茶なスケジュールで案件引っ張ってくるあの営業課ですか?」
「言うようになったねぇ。いやね、これから向かうのが我が社随一のお得意さんなんだけど、先方が女好きらしいんだよ。それで、商談を円滑に進めるためにきれいな女性に付き添ってほしいんだとさ」
「五日間会社に泊まり込みさせた女性社員にあなたはそんなセクハラ紛いの指示を出すんですね?」
「アリシアさん、殺意漏れてるから!」
入社当初は清楚で優しいを貫いた私も、この会社の無茶苦茶な労働環境にはさすがにキレていた。
民草の心を掴む?
誰だそんな戯言吐いてるやつは。
消し炭にするぞ。
◯
「どもー。営業課の水卜です。よろしくー」
「アシスタントの戸沢です」
会社の入口で営業課の人と待ち合わせる。
スーツ姿に身を包んだきれいな女性と、仏頂面で大柄の男性だった。
水卜という名前は聞いたことがある。
確か営業課のエースで、やり手という話だ。
そして私の所属する制作課ではトップクラスに嫌われている人物でもある。
持ってくる案件が毎回無茶苦茶なスケジュールなのだ。
「制作課のアリシアです」
「名前は聞いてるよぉ。すごい仕事できるらしいねぇ。どの部署でも通用するから今度スーパーアシスタントとしてアリシアさん専門の特命課作ろうかって社長が言ってたよぉ」
「あら、そうなんですね。うふふ」
笑えない。
しかしこんな人が本当に制作課の敵なのだろうか。
緩そうだし、猫みたいにも見える。
ちょっと信じられない話だ。
三人でタクシーに乗り営業先へと向かう。
かなり大きな会社で、当たり前だが社内の人は全員スーツだ。
私だけ私服にジャケット姿なのでかなり悪目立ちしていた。
急だったから仕方がないものの、本当にこんな状態で来てしまってよいのだろうか。
大きな部屋に通されてしばらく待つ。
すると水卜さんがYシャツのボタンを開け始めた。
何やってるんだ。
「水卜さん」
「んー?」
「あの、胸元見えちゃいますよ」
「見せてんだよー?」
「えっ?」
唖然としていると、部屋の入り口から男性が入ってくる。
四十後半から五十歳くらいの、ヒゲの生えた上役っぽい太った人だ。
男は室内に入るや否や、私と水卜さんをジロジロと舐め回すように見てくる。
正直気分は悪い。
「いやぁ、すいません。お待たせしてしまって。水卜さん、相変わらずお美しいですなぁ」
「どもー、よろしくお願いしますぅ」
水卜さんは頭を下げるついでに前かがみになる。
開いた胸元を見て、対面に座った取引先の男は嫌らしい顔を浮かべた。
そこで何となく察する。
この人、こんな風にして営業取ってたのか。
「今日は新しい方もご一緒なんですねぇ。こちらもとてもお美しい」
「うちの制作部のアリシアですー。すごいやり手で、勉強も兼ねて連れてきましたぁ」
「アリシアです、よろしくお願いします」
私がお得意の聖女スマイルを浮かべるとゲヘヘと眼の前の男がデレた顔をする。
徹夜五日目の精神には中々クる顔だ。
水卜さんは構わず資料を取り出す。
「んで、先日お話してた商談なんですけどぉ、今日は決めさせて貰えればと思いましてぇ」
「あぁ、できるんでしょう? このスケジュールで」
差し出された資料を見て思わず「えっ?」と声を出す。
かなり重いデザインの発注とホームページの制作。
普通に考えれば一ヶ月はかかりそうな案件が一週間となっている。
無茶だ。
今でも既存の案件にかなり追われているのにこなせるはずない。
しかし。
「んー……大丈夫ですぅ」
水卜さんは書類を見て何事もなさそうに笑みを浮かべた。
「全部ウチで引き取らせていただきますねぇ」
「さすが水卜さん。そう言ってくれると思った」
「いえいえー」
思わず私は「水卜さん」と小声で声をかける。
「流石にこの期間は無茶です」
「えー? でも前にこの期間で上げたことありましたよねぇ?」
「それはみんなが無理したから……」
私が言うと、水卜さんはにやりと猫みたいな笑みを浮かべた。
「無理すれば、できるってことですよねぇ?」
「この――」
ブラック企業が!
と叫びそうになるのをなんとか抑え込む。
拳を握りしめる私に、取引先の男が首を傾げた。
「水卜さん、何か問題ありました?」
水卜さんはパッと営業スマイルを浮かべると、相手に向き直る。
「いえいえー、何も問題ありませんよぉ」
「そりゃ良かった。あ、契約書の作成は念の為、男性社員にお願いしても良いかなぁ? ほら、女の人だと色々心配でしょ」
「もちろんですー。こちらの戸沢が担当しますのでご心配なさらないでくださいー」
「はは、流石だなぁ。それじゃあ良い取引ができたということで、また懇意にさせてもらいますよ」
「ありがとうございますー」
水卜さんは何でもなさそうに相手と握手を交わしている。
何でこの人はこんなヘラヘラしていられるのだ。
悔しくないのか、ここまで舐められて。
すると取引先の男はそっと私にも手を差し出してきた。
「良ければアリシアさんも、今度弊社の飲み会に来てください。華があると皆も喜ぶ」
「あ……はは。ありがとうございます」
掴んだ手を両手で撫で回される。
思わず鳥肌が立ったがなんとか聖女スマイルで誤魔化すと、私は全身全霊を使って体内の魔力を練り、男に流し込んだ。
俗に言う呪いである。
私は聖女だ。
聖女は人を呪うと反動が来る。
具体的には次の日下痢になる。
だが、この男だけはここで始末しておかねばならないと思った。
「では、失礼しますね」
私は心からの聖女スマイルを浮かべた。
この下品な男はまだ知らないのだ、今夜寝ている間に家がゴキブリとトコジラミだらけになることを。
地獄の中で暮らせ。
◯
商談を終え、取引先を出ると私は水卜さんにズイと迫った。
「水卜さん、一体どういうことなんですか!?」
「んー? 何がぁ?」
「この案件ですよ! それにあの担当者の人! セクハラに、無茶な納期の押し付け、挙げ句に女性差別までされてるのに! 悔しくないんですか!」
「悔しい? 何言ってるのぉ?」
「あなたにプライドはないんですか!?」
「プライドぉ?」
するとスッと水卜さんが氷のような冷たい表情を浮かべる。
「プライドで営業は取れないよ? アリシアさん」
今までの水卜さんとは違う、冷たい口調だった。
「私は制作が以前同じ納期でこなしたからできると言っただけ。数字に繋がるならセクハラも受けるし女の武器も使うよぉ? ちょっと胸元見せるだけで何千万単位の取引になるんだし、可愛いもんじゃん」
「だけど、あんなやり方間違ってます!」
「うちの会社の経費、予算、百人以上の社員の給料を賄うために誰が案件引っ張ってきてると思ってんの? うちみたいな中小企業、スピードかクオリティを売りにしないとすぐに切られるんだよ。営業は金稼ぐために魂売ってんの。それを無茶だから断れ? 制作のみんながしんどい? 当たり前でしょ、仕事ってしんどいものなんだから。無茶くらいしろって言ってるんだよ、私は」
思わずぐっと言葉に詰まる。
「でも……!」
何か言い返そうと思った。
しかし言葉が出ない。
何をどう言えばよいか分からなかった。
聖女の力を使って彼女を屈服させることは簡単だ。
だけどそれはきっと違う。
私は美しくて、全能で、選ばれしものだと思ってたのに。
自分の狭い世界を出たら、こんなに簡単に言い負かされてしまうのか。
すると様子を見ていた戸沢さんがスッと私と水卜さんを引き剥がした。
「そこまでにしておきましょう。水卜さん、若手をあまりいじめないでください」
「戸沢は真面目だなぁ。冗談じゃーん。ね? アリシアさん?」
私はぐっと拳を握りしめると、水卜さんを指さした。
「水卜さん、私にも聖女としての意地があります」
「聖女?」
何のこっちゃ、と言わん顔。
そう言えば私が聖女であることを知ってるのはトメさんだけだった。
まぁ、良い。
どの道もう止まるつもりはない。
「この無茶クソな案件、制作部の威信にかけて完璧に遂行させていただきます」
そう。
「この私一人で!」
「はっ?」
私はアリシア・アシュフォード。
三女神に祝福された聖女で。
選ばれしものなのだから。
◯
制作部に戻って来ると部長が近づいてくる。
「おかえり、アリシアさん。それで、どうだった?」
私が黙って書類を差し出すと部長は顔を青ざめさせる。
「ちょっとぉ? これはどういうことだい? 内容の重さに加えて、とんでもない無茶な納期じゃないの!?」
「営業の水卜さんがそれで受注してしまいました」
「何で受けちゃったのぉ!? アリシアさん居たなら止められたよねぇ?」
「私の不徳の致すところです……」
「あわわわわ、今度は何日泊まり込みになるんだぁ?」
慌てふためく部長を無視し、私は精神を集中させる。
覚悟はもう決めてある。
いまさら五日寝なかろうが、七日寝なかろうが関係ない。
私には無限に働ける聖女の力があるのだから。
「部長、私に追加で二台作業用のパソコンをください」
「二台って……どうするの?」
「この案件、私が一人で引き受けます」
私が言うと、部長はキョトンとした顔をしていた。
「いや、無茶でしょ。いくら何でもこの内容を一人では……」
「できないと思いますか?」
真っ直ぐな視線を向けると、部長は静かに「できそう……」と呟いた。
「アリシアさんならできそう。仕事も早いし、飲み込みも異常だし。というよりもう制作課のエースだし」
「私がこの案件を二日で処理します。その代わり――」
私はズイと部長に顔を近づける。
「この案件が終わったら、五日間の連休を所望します」
「えっ……? それは……」
「納期五日巻くんだから構いませんね? それでみんなのデスマが回避できますよ?」
「あ、はい……」
「決まりです」
私はデスクに戻ると、支給されたパソコン二台を増設する。
元々一台は支給済みだったから、これで計三台だ。
隣の木下さんが心配そうにこちらを見る。
「アリシアさん、本当に大丈夫なんすか? 五日帰ってないんだから、無茶しないほうが……」
「大丈夫よ、木下さん」
私はニッコリと笑った。
「私、聖女ですから」
そして私は、聖女の力を解き放つ。
時の流れを三分の一に、生命の力で体力を回復し続け、全能の力で作業速度を十倍に高める。
会社の安いパソコンでは私の作業速度についてこれないので、三台のパソコンで作業量を分割し同時進行させことにした。
この半年間、私はただオタク文化に触れて遊んでいただけじゃない。
いくつもの技術書の内容を全能の力で身に着け。
仕事を通じて身につけた技術を実務経験に活かし。
デザイン・コーディング・ソフトウェアの仕様を把握し、使いこなせるよう己を磨き続けたのだ。
このブラック企業で生きていくために。
瞬く間にデザインが仕上がり、ホームページのコーディングが完成する。
動作確認を行いながら同時に微修正し、データの軽量化も実現する。
聖女の名は伊達ではない。
しかしながら限界は来た。
二日目の夜。
終電が終わり、社内に私以外の人間が居なくなった頃。
「魔力が尽きた……」
聖女の力は無限ではなかった。
魔力が尽きれば途端に力を失う。
普通は寝れば回復するのだが、一週間寝てない私は魔力を全く回復させていなかった。
作業は90%は完成したというのに。
もはやクリックすらまともにできない。
今にも寝落ちする。
もはや風前の灯火。
これまでか……。
そう思って天を仰いでいると、横に誰かが座った。
「お疲れっす。これ、差し入れです」
そう言って木下さんはエナジードリンクや軽食を机に置いてくれた。
私は思わぬ人物の登場に唖然とする。
「どうして……終電もう無くなったんじゃ」
「流石にこんな重たい案件一人でやらせるのはおかしいでしょ。手伝いますよ」
「木下さぁん……」
思わず涙が出そうになる。
すると入口が開き、次々と同じ課の社員が戻ってきた。
「僕らも手伝いますよ、アリシアさん」
「こんな案件を女性社員一人にさせるって部長何考えてんだよ」
「私たちにも作業ください」
「みんなぁ……」
泣きそうになるのをぐっと堪える。
聖女だから何でも一人でできると思っていた。
でも、違った。
私も、誰かに支えられて生きているんだ。
私は泣きそうな顔で笑みを浮かべた。
「よろしくお願いします……!」
こうして私は、無事にデスマを乗り越えることができた。
◯
「すご……二日であげちゃったんだ……」
私が二日で仕事を終えたのを見て、水卜さんは目を丸くしていた。
仏頂面の戸沢さんですら驚愕していたのが妙に小気味よい。
「どうです? これが私の力です」
と言ったあと、私はゴホンと咳払いする。
「まぁ、みんなが居なかったら終わりませんでしたけど……」
私は水卜さんを指差す。
「言っておくけど、今回はたまたま上手く行っただけです。こんな無茶な発注は私が居ないとこなせません。今後はもう少し現場に配慮して交渉して下さい。交渉するのも営業の仕事でしょ」
「うーん……、仕方ないなぁ。ここまで仕事できちゃう人の機嫌は取らないとねぇ」
「それから、もう胸を出したり、自分を切り売りして営業を取るのも止めてください。水卜さんが良くとも、きっと心は傷ついてます」
「えー? 大げさだなぁ」
「いや、俺も同じことを思ってました」
不意に、戸沢さんが水卜さんに向き直る。
「水卜さんには、傷ついてほしくありません」
「戸沢までそんな甘いこと言うのぉ? 頼むよー、私の魂を受け継ぐ後輩なんだから」
「水卜さんが大切なんです」
「えぇ……? お前何言って――」
そこで何かに気づいたように水卜さんがハッと顔を赤らめる。
「戸沢ぁ、あんたまさか私のこと……?」
その言葉に戸沢さんは顔を赤くした。
水卜さんもモジモジしている。
その様子を見て私は思った。
人のこと放って何イチャツイてんだこいつら。
内心舌打ちをする。
まぁいい。
「とにかくこれで私は失礼します。今から五連休なので」
「五連休で何するのぉ?」
水卜さんに問われ、私はふっと笑みを浮かべた。
「爆睡します。七日寝てないので」
私はアリシア・アシュフォード。
神と魔法が存在する世界『アースガルド』で暮らしていた聖女であり。
そして今はこの世界でブラック企業に勤めている。
仕事は辛いことしかないが、同僚には恵まれている。
いつ元の世界に戻れるのかは分からないが、もう少しだけ頑張ろうと思う。
とりあえず今は、家に帰って寝ることにする。
――了




