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刀闘記  作者: 燈海 空
炎氷哭乱 篇
95/97

ー玖ー


「なんで、雪が降ってるんだ?」


 須賀は、寺院の縁側えんがわを走りながら、屋根越しに空を見上げた。


「こいつあ、東子さんがつくった状況なのか……?」


 中庭なかにわのところまで来たが、剣戟の音はまだ遠い。さきほどまでそこにあった、隊員たちの遺体が見当たらない。


 山となって積もったちり。それとなにか、ねばねばとした液体の跡が、乱れきった枯山水かれさんすいに塗られている。巨大なナメクジでもいたのか——?


「中庭の遺体が全部、消えちまった……。だれかがはこんだのか? 生きてる隊員は、みんな屋内で闘っているのか?」


 さらに廊下を走り、本堂の近くまで来た。悪魔が一匹。結界に爪をつき立てている。


「おい、こっちだばかやろう!」

「ア?」


 悪魔は結界をひっかくのをやめて、須賀を見た。長い舌で紫の顔をぐるりと舐めてから、おそいかかる。袈裟けさに振られた爪——その腕をとり、背負い投げを決める。


 倒れこんだ相手の手首を、思いきりひねる。アアッ、と痛々しい声。関節が千切ちぎれたか。膝で側頭部そくとうぶをおさえつけ、短刀を額に突き刺す。暴れる犯人を抑えた経験が活かされた。


 悪魔を倒した須賀は、本堂に飛びこんだ。

 結界の半径が、さきほどよりも小さくなっている。


「かすみさん!」


 祭壇さいだんの火を前に正座をし、滝のような汗を流しながら、かすみは経を唱えつづけていた。その背中に須賀は声を投げた。


「隊員のみんなは、どこに?」

「須賀さん……」かすみは、苦しそうに細い声を出した。「雪が降りました。それのせいか、悪魔たちはこぞって屋内に逃げこみました。劣勢れっせいだった討魔分隊も、それを追って寺院のなかに……」


 開かれた本堂の大扉から、外の景色が見える。夏であることを忘れてしまいそうな雪景色だ。


「きっとこれは、東子さんの能力だと思います。悪魔たちは、身体に雪が当たることをきらって、屋内に逃げてきた。理由は詳しくわかりませんが、そういうことかと……」

「わかりました。すぐにもどってきます。新しい飲み物を持って、かならず」

「ええ……」


 かすみは応えたが、くらりとめまいを感じた。

 すこし、肩がかたむいた。

 呼吸を深くして体勢を持ちなおす。


「たのみます……」


 かすみの言葉に押されるように、須賀は駆けた。ある一室に近づくと、剣戟の音が聞こえた。部屋のなかで、だれかが闘っている。


「おい! 加勢するぞ!」


 その隊員は和室の壁を背に、刀を中段に構えている。息が切れそうだ。もてあそぶように一匹ずつ交代で攻めてくる三匹の悪魔——彼が殺されるのは時間の問題だった。げんに悪魔たちは、けらけらと笑っている。この状況を楽しんでいる。


「あんた!」隊員は刀で爪を弾き、須賀を一瞥いちべつした。「一般人はさがってろ!」

「おれぁ、もう一般人じゃねえ!」


 二匹の悪魔を引き受けるつもりで、須賀は突進した。振られた腕を柔術じゅうじゅつで受けとめ、関節をかためる。相手の動きを封じる。短刀で急所をつく。


 逮捕術と警棒術をあわせた攻防一体の戦術。悪魔祓いのような派手な闘い方ではないが、玄人くろうとの刑事である須賀にしかできない、堅実な闘いだ。


「その短刀は……っ!」隊員が一匹の腹を斬った。塵が舞う。「あんた、あつかえるのか!」

「戦力と思ってくれ!」


 須賀は周囲を見渡した。

 悪魔が一匹、いない。


「どこにいった!」

「上だ!」隊員が叫ぶ。


 悪魔は天井に爪を食いこませ、張りついていた。まるで忍者みたいだ。天井の木板から爪を抜いて落下し、真下の相手をおそう。大きく転がり、須賀は爪を避けた。


 黒い爪が、畳の深くまで刺さった。悪魔は身動きがとれない。その一秒を隊員が見逃さない。駆けて、低めに刀を振る。塵が舞う。


「すまねえ」尻餅しりもちをついていた須賀は、立ち上がった。「この室内で、上を注意しなきゃならねえとは……」

「あんたが来てくれなかったら、防戦一方ぼうせんいっぽうだった。死ぬのは時間の問題だったよ。助かった。おれは小島。あんたは?」


 顔つきから察するに、小島は二十代後半だと思われる。短めの髪は濃いブラウンで、落ちつきを感じる。 


「須賀だ」


 応えて、手に持っている短刀を見つめた。その表情は曇っている。天井の悪魔に気づけなかった自分の不甲斐なさを、内心で責めている。


「そう暗い顔をするな」小島が優しく声をかけた。「命があってよかったじゃないか」

「あんたが、天井に悪魔がいると教えてくれたから。助かったんだ。短刀が使えるようになって……。調子に乗っていたかもしれねえ」


 すると、遠くから女の叫び声が聞こえた。

 須賀と小島は目を合わせて、うなずきあう。


 部屋を出て、縁側を走ったふたりは居間に来た。秋と須賀が、よく会話をしている場所だ。このなかから、女性のわめき声が聞こえている。かすみのものではない。この声に聞き覚えがあるのは、小島だった。


「あいつ、まだ生きてたのか!? さっき死んだと思ったが……」

「隊員のことか?」

「ああ——早く助けよう!」


 小島は、すぐにふすまを開けた。しかし、いるはずの女性のすがたは見えない。いや——正確には、その躰の一部だけが見えていた。


 そいつのシルエットは、食べすぎで躰のラインを失った巨漢そのものだった。ふくれ上がった水風船のような躰から、何本もの四肢が乱雑に生えている。全身の幅は、横だけでも約二メートルある。縦は、それよりもわずかに長い。


 その生き物は大きさのちがうタイヤを重ねたような、太い足で立っていた。立ったばかりの赤子のような足踏みをして、こちらを振りむいたとき。たぷん、たぷん、と腹から音が鳴った。衣服は着ておらず、髪もない。肌の色は、不気味な白さで統一されている。


「おい、冗談じゃない」

「なんだよ、あれ」小島の顔が青ざめてゆく。「隊員、みんなの顔だ……」


 ふたりは思わず、目をそらしたくなった。正面を向いた生き物の躰には、いくつもの人間の顔が張りついていた。


「きゃ、おそわれる! 助けて、助けて! タス……、けて……、タハハハ——」


 か弱い女性の声は、次第に不協和音に変化した。いくつもある顔のうち、どれが発声しているか、検討もつかない。火傷でできた水膨れの皮膚みたいに、どの顔も白く腫れている。ストッキングをふざけて被った顔みたいだ、と須賀は思ったが、とても笑えない。


 この生き物は人の声を真似して、まだ生きている者をおびきよせた。須賀と小島は、まんまと騙された。


「中庭で、すでに死んでいた隊員たちの顔だ……」小島は脱力して、床に両膝をついた。「みんなの遺体を、こいつが食ったってのか……」

「おい!」須賀がその肩を持ち上げる。「しっかりしろ、立たねえとやられるぞ!」


 ねちねち、と気持ちの悪い音がした。生き物は腹を縦に裂いて、開いてみせた。真っ赤な肉が見えたが、内臓はない。縦に裂けた大口に、粘着質の糸が横に引いてのびる。口の中には、さめの歯のようなものが敷き詰められていた。あれに食われたら——この世にはもどれまい。


 開いた口の中央。ちょうど、喉とおぼしき場所。

 そこに真っ赤な肉塊と化した顔がひとつあった。


 その顔を見た小島の目は、強く見開き、まばたきを忘れた。全身が震える。その震えは須賀の腕にもがたがたと伝わる。


「皮が、全部むけた——隊長の顔が、でかい口のまんなかに……。まさか、こいつ、林田りんだなのか」



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