ー拾陸ー
「これが白魔に取り憑かれた者の末路か……」龍久は駆け出す、終わらせるために。「虎の白魔、その魂を斬る。少年を供養するには、それしかあるまい」
槍の雨が降り、行手をはばむ。
竹林を縫うような動きで走り。
槍を避け。
金天獅子に近づく。
刀を降ろうとしたが、
目の前に金の壁が出現した。
龍久は壁を駆け上がる。
超えて。
敵の頭上。
刀を振りかぶる。
急降下。
強い縦斬り。
金の腕が刀身を受けとめ、甲高い金属音。
風が吹く。
肩の力を抜き。
刀を相手の腕の下へ、するりと動かす。
風の力で、水平に回転する——
その一閃は、金天獅子に届かない。
間一髪で、後方に飛ばれてしまった。
地を駆けて、追う。
接近し、爪の横薙ぎをくぐる。
まったく別の方向から攻撃がくる。
その気配を察し、龍久は退がる。
槍が高速で飛んでくる。
穂先が太ももをかすめた。
あと一秒遅かったら、足に穴が空いていた。金天獅子の周囲を飛ぶ槍たちは、完全に自律していた。だれに投げられるでもなく、だれの指示をうけるでもなく、まるで熊に集る蜂のように、一本一本が自分で考え行動している。
でたらめに飛んでくる槍たちを、龍久は最小限の動きで避けつづける。しばらくして、槍の攻撃がゆるんだ瞬間があった。逃さず、金獅天使のもとへ一気に距離をつめる。
刀を縦にふる。金天獅子は半身をそらして避け、強靭な足で蹴り上げる。鳴ったのは金属音だ。爪が肉をえぐる音ではない。横に置いて構えた刀身に、つま先が当たった。龍久は傷こそ負わなかったが、遠くまで飛ばされた。
白翼が羽ばたき、風がおこり、金天獅子は龍久に向かって一直線に飛ぶ。龍久は、なにもない空中に風の壁をつくり、それに手足を押しつけて受け身をとった。風の力を借りて、急降下。地面に逃げる。
間をおかずに金の槍が何本も襲ってきた。それらを刀で弾く、落ちついて、呼吸を乱さぬように。
槍をすべて弾くと、今度は金天獅子の本体が飛んでくる。爪をいなし、刀を振り、刀身が当たらずとも風刃を飛ばす。金色の毛が風に斬られて落ちた。
もう一度、刀を横に薙ぐ。一つに結んだ白髪が大きく揺れる。風刃が低めに飛び、今度こそ、金天獅子の脚を落とした。
脚などなくていい、翼さえあれば。そう叫ぶかのような力強い咆哮が、龍久の鼓膜をつき刺す。
ぶつかり。
ぶつかり。
槍が弾かれ。
爪が弾かれ。
風刃が飛ぶ。
龍久の躰が弧を描き、
相手の背後に回りこむ。
翼を斬りつける——刃が翼に食いこんだ。
龍久の腕に力が入り。
片翼が落ちる。
振り返りざまに薙がれた爪を見極め、頭を低く。
風切りの音。
龍久の反撃。
金天獅子は片手を持ち上げる。
それで攻撃を防げると思った。
しかし——そのひと薙ぎは金の腕を飛ばし、獅子の首まではねた。断面から血飛沫が上がり、乾いて塵になる。
白翼が余力で羽ばたくも、片方しかない翼では安定するわけもなく。獅子の頭だけが、地に落ちて転がる。残る身体は、一片も残さず塵になってゆく。蜂のように飛びまわっていた槍たちも力を失って、紙幣へともどった。一万円札の紙吹雪が舞う。
「ああ、どこかへ行く、白魔の魂が、ぼくから逃げていく!」
地面に転がる金色の頭が、吏隠の声でわめき散らしている。
「卑怯もの、卑怯もの、卑怯もの! 負けるとわかったら身体を捨てるのか! ぼくがいたから人殺しができたのに!」
龍久は腰の鞘に刀を納め、左手でわき腹をおさえた。その手は、すぐに血に染まった。いつのまにか、槍の刃を受けていたようだ。しかし、苦しそうにはしていない。呼吸で痛みを逃している。
「裂かれたのも気づかんかったわ……」
ふう、ふう——龍久は独特の息をつく。視線を落として、はたと気づいた。金天獅子の眼が、人の眼にもどっている。さきほどまでは猫のそれだった。しかしいまは、人間のそれだ。
「白魔の魂もまた、人に取り憑いておるにすぎん」
いたずらをした少年を宥めるような口調で、龍久が話す。
「宿主の人格と、社会性を保ちつつ、強力な異能力を与える。人を悪魔に変えることも、自由にできるようになる。その代わり殺戮欲求を深く植えこみ、喜怒哀楽を失わせる——」
吏隠の首もとが塵になりはじめた。
時間は、あとわずかだろう。
「テスラとひとつになれたんだ。ずっと一緒なんだ。うれしい。心が、すごく……、あったかい」
その言葉を最期に、
金色のたてがみが、
おだやかな笑みに口元からのぞく牙、
安らかに閉じる瞳が、はらはらと崩れ。
かすかに、子猫の鳴き声が聴こえた。
龍久は、いままでいくつもの悪魔の塵を見てきた。
なかでも、吏隠の塵はひときわに綺麗だった。
なぜなら、その色はくすんだ灰色ではなく。
純粋な金色だったから。




