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刀闘記  作者: 燈海 空
天童風龍 篇
83/96

ー拾参ー


「はげていたのですか……!」

「そこはいまいいじゃろて」


 龍久は直立の姿勢で立ち、刀は右手でだらりと持った。空いた左手は、片手の合掌をつくる。


「シキ、しばらく顔をみせんと思ったら、なんじゃそのすがたは。さしずめ持病に倒れたところを、妹の魂移たまうつしで助けられたか」

「恥ずかしながら、そのとおりです……」

「わしよりさきに死ぬのは許さんとあれほど言ったじゃろ。——躰に無理させねば、ならんかったか」


 やはり龍久の背中には、暖かさがある——シキは込みあげる熱い感情を抑えて、冷静をよそおう。


「——師匠、助かりました」

「まだまだ、おとらんよ」龍久は片手の合掌をいた。「してふたり。すぐ東に行け」


 シキと凛はおどろいた顔をした。

 それからすぐに、不安をただよわせる。


「あの白魔を倒すべきでは?」シキの落ち着いた口調だ。「あいつの戦力は一と数えるべきではない。黒獅子だけでもかなり強い。少年は、いくつもの武器を念力で舞わせる。非常にやっかいです。いかんせん、近づくことすらあやうい」


 龍久は顔を持ちあげ、微笑む。


「わしの戦力も、一と数えるか?」

「それはしません……。ですが、三人でやったほうが早いのでは?」

「ぬしらは立神を追え」龍久の顔から笑顔が消えた。「そっちがかなめじゃ。万一、わしが死んだとして、猫の足止めさえできれば十分じゃろ。なに、ちょいと猫じゃらしで遊んでやるよ」


 子供が木の枝で遊ぶような動きで、龍久は刀を振る。


「あの雲、わかるじゃろ?」

「龍の白魔ですね」シキは、ドーム状の雲を遠目に見た。「あれを崩せるのは、シナツの剣風つるぎかぜ。ただひとつ……」

「カアナーウーンのほうが急を要する」

「カナンです、師匠」

「さしずめ魔王の城とも言える場所に、たったひとりで突っこもうとしとる男——そやつがおらんと、剣風も完成せんよ」

「秋……、銀次さんの孫」


 シキは表情を曇らせた。龍久をひとりここに置いて、自分は秋に加勢する。それは苦渋くじゅうとも言える選択だ。


「師匠を……、その剣を信じます」

「おう。意気いき、たしかに受け取った」


 龍久は吏隠に目をやった。ぴんと伸びた紙幣が、少年のまわりで土星ののように浮いている。黒獅子が牙をむいてこちらをにらむ。


「おう、わるガキや。わしと遊ばんか」

「は? じじいが相手になんの?」

「わしはじじいじゃが、若いよ。頬もこけとるし、色黒じゃし、筋肉もある。細マアッチョってやつじゃ」

「細マッチョです、師匠」シキが割って入る。

「若さの秘訣ひけつはの、女の子と酒をみ交わすことじゃ」

「それが、キャバクラ通いの理由だったのですか」

「五割は修行のためと思っとったよ。もう五割は楽しいからじゃな」


 自分を差し置いて会話をする犬と老人に、吏隠の苛立ちは頂点に達する。


「うっざいなあ! 全員まとめて殺してやるから、かかってこいよ!」


 紙幣を金の槍に変化させた。何本もの鋭い矛先がぎらりと光る。


「行くのじゃ!」と、龍久のかつ


 すぐに凛がシキの背にまたがると、ふたりは空を飛んで東に向かう。同時に龍久は、吏隠に斬りかかる。何本もの槍は矛先をシキに向けていたが、すぐに龍久をねらった。


 降り注ぐ槍の雨を避け、走る。刀を水平にかまえ、吏隠の首を狙う。テスラの爪がその攻撃を防いだ。黒獅子が咆哮ほうこうを飛ばす。作務衣さむえの袖が風圧にあおられ、龍久の視界が、黒い被毛に占領される。


 刀の横一閃。

 テスラは跳ねて避け。

 真上から爪を落とす。

 龍久は落ち着いてかわす。最小限の動き。

 重たい一撃に、地がゆれる。

 刀は逆袈裟に振られる——


 テスラの腹に、大きな斬れ目。血がしたたり、内臓と骨が見える。龍久の刀がさらに一閃を入れる。ふたたび大きな血飛沫が散った。黒獅子の巨体が剣風に吹っ飛ばされ、吏隠の頭上をまたいだ。


「テスラぁっ!」吏隠が後ろを向いて叫ぶ。「貴っ様ぁぁ!」


 龍久に視線を突き刺し、槍の雨を降らせる。


「これはさすがに防げん」


 たまらず龍久は、うしろに跳んで距離をとる。

 槍の一本が顔をかすめ、こけた頬に切り傷がついた。


「テスラ……」


 吏隠は横たわるテスラに近づいた。息がほそい。ふたつの深い傷が、腹に十の字を書いている。血が流れ、それが赤い水たまりを作る。尻尾がわずかに持ちあがった。しかし、それもしなびたくきのように横たわってしまう。


「死んじゃいやだ」吏隠はとり乱す。「君のためならなんでもあげる、ほら、食べて」


 口元に差し出された主人の腕を、テスラは噛みちぎって呑みこむ。腹の傷はすぐにふさがった。全快した躰で、空に向かって大きくえる。吏隠の眉間みけんに力強いしわがよる。鬼の形相ぎょうそうだ。


「いい加減にしろよ、じじい……」


 吏隠は新品の腕をゆすって、肩に馴染なじませる。地面に刺さりくした槍らは、紙幣にもどり、吏隠のまわりに集まりになる。そこが紙幣たちの定位置なのだろう。


「口のわるさも、能力の強さもピカアイイチじゃな」龍久は、うれしそうな顔で刀を構える。「人生の先輩としては、ジェネレエーイションギャラップがあるかもしれんがの。教えられるものはある」

「横文字もろくに言えないおまえから、教わることなんてないんだよ」

「わっぱ、自惚うぬぼれるな」龍久が真顔になる。「欠けとるよ」

「ぼくはなにも欠けてない、完璧な白魔だ!」

「欠けとる」


 龍久の呼吸はおだやかだ。

 吏隠の呼吸は荒々しい。


「闘う者としての心じゃ。それをいまからしかり——教えてやる」


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