ー拾参ー
「はげていたのですか……!」
「そこはいまいいじゃろて」
龍久は直立の姿勢で立ち、刀は右手でだらりと持った。空いた左手は、片手の合掌をつくる。
「シキ、しばらく顔をみせんと思ったら、なんじゃそのすがたは。さしずめ持病に倒れたところを、妹の魂移しで助けられたか」
「恥ずかしながら、そのとおりです……」
「わしよりさきに死ぬのは許さんとあれほど言ったじゃろ。——躰に無理させねば、ならんかったか」
やはり龍久の背中には、暖かさがある——シキは込みあげる熱い感情を抑えて、冷静をよそおう。
「——師匠、助かりました」
「まだまだ、劣らんよ」龍久は片手の合掌を解いた。「してふたり。すぐ東に行け」
シキと凛はおどろいた顔をした。
それからすぐに、不安をただよわせる。
「あの白魔を倒すべきでは?」シキの落ち着いた口調だ。「あいつの戦力は一と数えるべきではない。黒獅子だけでもかなり強い。少年は、いくつもの武器を念力で舞わせる。非常にやっかいです。いかんせん、近づくことすらあやうい」
龍久は顔を持ちあげ、微笑む。
「わしの戦力も、一と数えるか?」
「それはしません……。ですが、三人でやったほうが早いのでは?」
「ぬしらは立神を追え」龍久の顔から笑顔が消えた。「そっちが要じゃ。万一、わしが死んだとして、猫の足止めさえできれば十分じゃろ。なに、ちょいと猫じゃらしで遊んでやるよ」
子供が木の枝で遊ぶような動きで、龍久は刀を振る。
「あの雲、わかるじゃろ?」
「龍の白魔ですね」シキは、ドーム状の雲を遠目に見た。「あれを崩せるのは、シナツの剣風。ただひとつ……」
「カアナーウーンのほうが急を要する」
「カナンです、師匠」
「さしずめ魔王の城とも言える場所に、たったひとりで突っこもうとしとる男——そやつがおらんと、剣風も完成せんよ」
「秋……、銀次さんの孫」
シキは表情を曇らせた。龍久をひとりここに置いて、自分は秋に加勢する。それは苦渋とも言える選択だ。
「師匠を……、その剣を信じます」
「おう。意気、たしかに受け取った」
龍久は吏隠に目をやった。ぴんと伸びた紙幣が、少年のまわりで土星の環のように浮いている。黒獅子が牙をむいてこちらをにらむ。
「おう、わるガキや。わしと遊ばんか」
「は? じじいが相手になんの?」
「わしはじじいじゃが、若いよ。頬もこけとるし、色黒じゃし、筋肉もある。細マアッチョってやつじゃ」
「細マッチョです、師匠」シキが割って入る。
「若さの秘訣はの、女の子と酒を酌み交わすことじゃ」
「それが、キャバクラ通いの理由だったのですか」
「五割は修行のためと思っとったよ。もう五割は楽しいからじゃな」
自分を差し置いて会話をする犬と老人に、吏隠の苛立ちは頂点に達する。
「うっざいなあ! 全員まとめて殺してやるから、かかってこいよ!」
紙幣を金の槍に変化させた。何本もの鋭い矛先がぎらりと光る。
「行くのじゃ!」と、龍久の喝。
すぐに凛がシキの背にまたがると、ふたりは空を飛んで東に向かう。同時に龍久は、吏隠に斬りかかる。何本もの槍は矛先をシキに向けていたが、すぐに龍久をねらった。
降り注ぐ槍の雨を避け、走る。刀を水平にかまえ、吏隠の首を狙う。テスラの爪がその攻撃を防いだ。黒獅子が咆哮を飛ばす。作務衣の袖が風圧にあおられ、龍久の視界が、黒い被毛に占領される。
刀の横一閃。
テスラは跳ねて避け。
真上から爪を落とす。
龍久は落ち着いてかわす。最小限の動き。
重たい一撃に、地がゆれる。
刀は逆袈裟に振られる——
テスラの腹に、大きな斬れ目。血が滴り、内臓と骨が見える。龍久の刀がさらに一閃を入れる。ふたたび大きな血飛沫が散った。黒獅子の巨体が剣風に吹っ飛ばされ、吏隠の頭上をまたいだ。
「テスラぁっ!」吏隠が後ろを向いて叫ぶ。「貴っ様ぁぁ!」
龍久に視線を突き刺し、槍の雨を降らせる。
「これはさすがに防げん」
たまらず龍久は、うしろに跳んで距離をとる。
槍の一本が顔をかすめ、こけた頬に切り傷がついた。
「テスラ……」
吏隠は横たわるテスラに近づいた。息がほそい。ふたつの深い傷が、腹に十の字を書いている。血が流れ、それが赤い水たまりを作る。尻尾がわずかに持ちあがった。しかし、それも萎びた茎のように横たわってしまう。
「死んじゃいやだ」吏隠はとり乱す。「君のためならなんでもあげる、ほら、食べて」
口元に差し出された主人の腕を、テスラは噛みちぎって呑みこむ。腹の傷はすぐにふさがった。全快した躰で、空に向かって大きく咆える。吏隠の眉間に力強いしわがよる。鬼の形相だ。
「いい加減にしろよ、じじい……」
吏隠は新品の腕をゆすって、肩に馴染ませる。地面に刺さり尽くした槍らは、紙幣にもどり、吏隠のまわりに集まり環になる。そこが紙幣たちの定位置なのだろう。
「口のわるさも、能力の強さもピカアイイチじゃな」龍久は、うれしそうな顔で刀を構える。「人生の先輩としては、ジェネレエーイションギャラップがあるかもしれんがの。教えられるものはある」
「横文字もろくに言えないおまえから、教わることなんてないんだよ」
「わっぱ、自惚れるな」龍久が真顔になる。「欠けとるよ」
「ぼくはなにも欠けてない、完璧な白魔だ!」
「欠けとる」
龍久の呼吸は穏やかだ。
吏隠の呼吸は荒々しい。
「闘う者としての心じゃ。それをいまから然り——教えてやる」




