ー漆ー
「いますぐに、救急車呼ばねえと」須賀の心配そうな口調だ。「あんなに飛んだり跳ねたりしてたんだ。どこか骨が折れてるかも……」
「大丈夫だから」
秋は、須賀をさえぎって躰を起こした。なんとか自力で立ち上がる。すこしよろめきながら道に転がっている刀に近づく。
「ちょっと、欠けたかな……」
刀身をじっと見つめる。骨董品の鑑定士に似た目つきだ。しかしすぐにめまいに襲われた。その場に座りこんでしまう。
「お、おい! 大丈夫か!? 言わんこっちゃない、やっぱりすぐに救急車を——」
「……おっさん、車乗せてくれる? うちに帰る」
「か、帰るって、立てもしねえのに、なに言ってるんだよ……」
「だから、帰る」
「まずは病院に行かないと」
「うちに帰った方が、いいんだよ。ほんとうに大丈夫だから」
いたって真面目に、強がりでもない様子で言っている。どうやら、自宅に救急車や病院よりも効果的な治療法があるらしい。
「そもそも怪我、そんなにしてない。ちょっと疲れただけだよ」
「アザとすり傷がひどいが……。本当に大丈夫なんだな?」
「アザとすり傷しかないから、これくらいすぐに治る」
「わかった。まあ、直之もよく怪我をしてたが、自宅に帰れば一晩でケロッと元気になってたからな……」
ふたりは、フロントガラスにヒビが入った車に戻った。須賀は、車に備えつけの警察無線で、後片付けの要請をした。
「なぁ……」運転中の須賀が、後部座席に声をやる。「おまえすごいよな。あんなに軽々と飛んだと思ったら、こんどは岩みたいに落ちたりして。風の能力ってのは、なんでもできるんだな」
秋はこたえない。目をつむって、居眠りをしているようにも見える。
「あ、あれか? 魔法みたいなもんなのか? ほら、シャバだとよく、い、異世界ナントカってのが流行ってるだろ? うちのガキもそうゆうのが好きでな」
「流行りは知らない」めんどくさそうな秋の口調だ。「この能力は、母さんがいるから使えるんだよ。おれひとりだと、なにもできない」
「かすみさんの母としての想い。それと、火守りとしての祈りの強さ。加えてその剣術に、風の異能力……。向かうところ敵なしだな」
「学校にはいけないけど」
「んなもの」須賀は、心地よく笑う。「行かなきゃ行かないでいい。自分らしい生き方をしてりゃいい。自分らしく、だれかを幸せにできりゃそれでいい。学校以外に居場所があるなら、そこを大事にすればいい」
秋は答えなかった。須賀は心配して、バックミラー越しに顔色をうかがう。——機嫌を損ねたわけではなさそうだ。
「直之、剣術の覚えが早いって、よく言ってたぞ。将来が楽しみだって。現にいま、相当に強いじゃないか」
「十年前にいまくらい強かったら良かったよ」
車は、しばらく田舎の山道を走った。たまに少しの住宅街とコンビニや、明かりの消えたガソリンスタンドなどを過ぎる。線路沿いの道に出てしばらく行くと、左手に無人駅が見えた。
「おっさん、止めて、駅」
無人駅を見ながら、唐突に秋が言う。
「なんだ?」
「いる」
「悪魔か?」
「悪魔と、悪魔祓いがひとりずついる」
「わかった、いま行く」
無人駅の明かりは、どうも気味がわるい。須賀はそう思いながら、虫が飛び交う待合室の中を確認する。しかし、だれもいない。線路沿いのホームを確認。ここにもだれもいない。秋が離れの場所にあるトイレを見た。
「あっちだ」
「おう……」
秋も柄に手をかけ、すぐに抜けるようにしながら歩いた。かすかな声が聞こえる。男の苦しそうな声。トイレの裏、明かりが届かない暗い場所から聞こえる。肉を包丁で何度も突き刺すような音も。
「なんか……、寒くないか」須賀が言う。
夏の夜に、冷凍庫のそれに似た冷気を、ふたりは肌で感じている。
歩を進める度に冷気の源に近づいてゆく。弱った男の声と、肉を突き刺す音。須賀は、腰から小さな懐中電灯を取り出し、秋の前に左腕を伸ばした。おれがさきに行く、とポーズをする。右手に拳銃を構え、それを左の手首で支えながら懐中電灯で前を照らす。
すぐそこだ。かなり近い。
「おい、なにしてる!」
懐中電灯の明かりは、ふたりの人物を照らした。ひとりは、黒髪のロングストレート。高校の制服すがたで膝丈のスカート。丈長の白ソックス。通学用の黒い革靴。切れ長の目。優等生らしいメガネ。スッと高い鼻。
いかにも真面目で清楚な女子高生だ。腰には二刀の鞘が見える。二刀流の使い手だろうか。
女子高生の刀は、動けない男の胸を何度も、何度も突き刺していた。その男は両膝を地面につけ、手はトイレの外壁に固定されている。手足を拘束しているのは、白霧をただよわせる氷の塊——。
彼女は振り返った。その冷徹無比な眼差しは、歴戦の刑事の背筋など、たやすく凍らせるものだった。