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刀闘記  作者: 燈海 空
天童風龍 篇
77/96

ー漆ー


 漆黒の大獅子がひと飛びして、商用車に前足を乗せた。ワイシャツすがたの運転手が飛び出して、逃げる。検問所で渋滞じゅうたいする車のドアが次々に開く。


「逃げろ!」

「巻きこまれる!」

「か、怪物——!?」


 人々はわめき散らし、その場から離れようとする。大獅子は車に噛みつき、軽々とふりまわす。ぬいぐるみで遊ぶ猫となんら変わらない。牙を穿ち、大口に咥えた重量一トン超の車体を、シキに向かって投げつける。


 シキは横に大きく跳び、飛んできた車を避ける。爆発がおこった。うしろで煙があがる。大獅子が投げた車が、別の車に当たった。爆発の大音だいおんが、逃げる人々の混乱に拍車をかける。


「危ない!」


 凛が前方を見て叫んだ。シキもそちらを向く。金色の槍、その矛先が光った。吏隠りおんの背後に浮き、翼の形で集うそれらが放たれる。矢継ぎ早に、何本も。


 シキは細かく跳ねて、槍を避ける。

 槍がアスファルトに刺さる。

 つぎの一本。

 さらに数本。

 まるで多弾頭ロケットのよう。


「シキ!」凛の声。

「集中しろ!」シキの頬に槍の刃がかすった。

「死ねよ、死ねよ、おまえらぜんぶ死んでくれよ!」


 子供らしさは、完全に消失していた。かっと眼を開き、殺意をむきだしにし、吏隠は右手のひらを攻撃対象こうげきたいしょうに向けつづける。そうすることで、槍がシキ向かって飛ぶのだろう。


「テスラ! 使えない純血は、噛み殺しちゃえよ!」


 大声をあげながらも、吏隠は攻撃の手をゆるめない。


「おい、槍はもうないぞ!」


 シキの声で、吏隠はうしろを見た。槍の翼がない。ずべて撃ち尽くした。軽い足音がして、前方に視線をもどす。シキの刀がくる。


 吏隠は、手持ちの槍を地面に突き刺し、合掌をした。シキは構わず斬りかかる——垂直に刺さった槍が、平たく潰れ、左右に広がる。


 槍は金色の壁に変わった。シキの視界は金一色になり——天秤刀は壁をけずり、火花を散らす。


 しかし視界が金一色になったのは相手もおなじ。黄金の壁を蹴り、越えて——天秤刀の刃を吏隠に向ける。いまなら真上から攻撃できる。

 

 しかし吏隠の全身が、金の球体に包まれた。さらにその球体から、鋭く長いトゲが何本も生えてくる。まるでウニみたいに。


 シキは攻撃を中断し、空中で跳ねる。間一髪かんいっぱつで、トゲに頭を突っこまずに済んだ。


「ふう、あぶなかった……」着地したシキの呼吸は速い。「寿司のウニは好きだが、きょうをさかいにきらいになりそうだ」


 シキは横を見た。凛と大獅子が闘う様子が、視界におさまる。銃声と、緑の閃光。潰れた車から黒煙がのぼり、そのにおいが鼻をつく。


 銃弾が黒獅子の頬をかすめる。

 焼けつく痛みにうなる。

 牙をむきだし、

 鬼の形相で駆け、

 前脚を叩きつける。

 凛は横に転がり、大獅子の脚をかわす。

 膝を地面につけ、体勢を整える。

 呼吸を止めて、狙いを定め、引き金——

 緑の閃光。

 薬莢やっきょうのにおい。

 大獅子の悲鳴。

 緑色の炎が前脚を一本、焼いていく。


「テスラ! きっさま、なにしたんだよ!」


 吏隠は片腕を天に向かって伸ばす。どこからともなく集まった紙幣が、彼の周囲を飛びまわる。一枚いちまいが金の槍に変わり、宙に浮いてぴたり止まる。矛先はすべて、凛をにらむ。


「全部ぶっ刺してやる!」


 吏隠は、あげた腕を強く下ろして凛をゆびさした。槍が、一箇所に向かって放たれる。そのあいだにシキが身をていする。放たれた槍は、風の盾に防がれ、左右にれてゆく。


「テスラを傷つけるやつは許さないんだよ、だれであっても!」


 風に逸れた槍は地面に刺さる——ふたりは無事だ。


「たったひとりの家族なんだよ。あんたらわかってんの?」


 気づくとシキと凛は金色に囲まれていた。見渡す景色のすべてが金。それ以外になにもない。


「凛、乗れ!」


 凛は急いで背中にまたがる。

 空が、金の天井に塞がれてゆく。

 すぼんでいく天井の穴を抜けて外へ。

 鈍い金属音が真下からひびく。

 何本もの針が、筒状の金塊のなかで突出したような音——


「あーあ、これだよ」吏隠の苛立った口調だ。「もうちょっとで、おまえらを穴だらけにできたのに。ほんと、いらいらさせるね」


 拷問器具のアイアンメイデン——いわばゴールドメイデンか。そんなことを考えながら、シキは着地する。


 大獅子テスラは、一本の脚を失ったままだ。


「斬られた脚なら、もどるのに」吏隠は、苦しむテスラに歩み寄る。「なんでもどらない。なんで生えてこない」


 吏隠はテスラの頭を優しくなでた。

 一瞬の静寂せいじゃく

 止まった空気。

 それを銃声が裂いた。

 テスラの太い悲鳴がこだまし、黒毛の腹が燃える。


「あー、もう! 空気も読めないのかよ! これだから人間は——大人はぁっ!」


 吏隠は片腕を伸ばし、テスラの口元に近づける。弱々しく、うなだれ、力を失いつつある黒獅子は、その腕を食った。


「なっ——」シキが唖然とする。

「食べた……」凛が言った。


 細い腕を骨ごと飲みこんだテスラは、猫目を見開いた。失った脚も、焼けただれて肋骨がのぞく腹も、すべてが治っていく。


 吏隠が深い呼吸をひとつすると、食われた腕が再生を始めた。細胞の一つひとつが何事もなかったように、再構築さいこうちくされてゆく。


「こんなの初めてだよ」吏隠は、新品の片腕をぶらぶらとゆすって、肩になじませる。「テスラはうるさいのが苦手なんだ。車の走る音とか、人混みの喧騒けんそうとか。犬の鳴き声とか、銃声とか。大っきらいなんだよ」


 吏隠は、一本の槍を手にとる。そのとなりで全快したテスラが猫らしく前脚の肉球にくきゅうを舐めた。


 少年と猫。

 少女と犬。

 たがいに殺気をぶつけあう。


「テスラは死なない。ぼくの心臓を食わせてでも、この子の命だけは終わらせない」


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