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刀闘記  作者: 燈海 空
東京雷鳴 篇
69/96

ー拾伍ー


「ねぇ? あなた大丈夫?」


 木碕きざきがリクの顔を覗きこんだ。


「あ、ああ。わりぃ」


 リクは顔を振るって、我を取りもどす。気づくと、外からシャッターを叩く音がしずまっている。


「上のやつら、成功したんだな」

「たぶん、撒かれたお菓子に食いついているんだと思うけど……。これだって、一時的なものでしょ?」

「まぁ、そうなるよな」


 二階から男たちがもどってきた。しかし、さきほどより人数が減っている。


「ほかのやつらは?」リクが声を投げる。

「上の階にも、すでに何人か居たんだ。雨が降る前から」サラリーマンの新島が答える。「だからそいつらは濡れてはいない。——下より上のほうが安全だろうって事になって、ほとんどのやつが上に残った」


 人喰いが押し寄せるなら、下の階からだ。すこしでも安全なところ、と考えるなら、上の階に居るべきだ。しかし、悪魔がそこを直接襲撃しないともかぎらない——リクはそう思っていたが、下手に不安をあおりたくない。ひとまずその可能性は口にせず、飲みこんだ。


「ちょっといいか?」リクが言った。

「ん? なんだ」

「あんたら——雨が降る前、昼飯を食べたばっかだったろ? だから、雨に濡れても人喰いにはならなずに済んだんだ」

「まさか」店主の顔色がみるみる変わる。「ここにいる全員も、《《腹が減ったとたん》》に人喰いになるって言いたいのか!」

「その可能性は考えなきゃならねぇだろ」

「み、みんな、すこしでも腹が減っているなら、いますぐに、なんでもいいから腹に詰めろ! 上に残ったやつらにも伝えてくれ! 濡れたやつが上にもいるだろ」


 人喰いになどなりたくない——。男たちも、女たちも、手あたり次第、ゲームセンターの中にある食料という食料を、むさぼり始めた。


「か、カップ麺が景品の筐体きょうたいが!」吉村よしむらが言う。「あっちにあるでござるよ! お湯は沸かせないですか店主どの」

「裏に給湯室がある——おい、みんな配分を考えてくれ! 長く籠城できるように、協力するんだよ——!」


    *


 あとすこしの距離を歩けば、リクのいる歌舞伎町につく。しかし、ルイの足は止まっていた。


「なに、これ——」


 ルイは空を見上げた。真上の空は青い。快晴だ。視線をもどして、前方——目の前がまっしろになった。白雲はくうんの壁に視界は占領されてしまう。


「リク、このなかにいるの? この、雲の壁のなかに——?」ルイは退がって左右を見た。雲の壁はゆるやかなカーブを描いているように見える。「この雲、まさか半球体なの?」


 瞬間、背負っている雷切が震えた。こっちだ、このなかにおれの主がいる——そういっているのがわかる。さすが生きた妖刀は意志がはっきりしている。


「わかったよ、教えてくれてありがとう」


 両手に錫杖しゃくじょうを持ち、その尾末をアスファルトの突き立てた。術を唱えて全身を結界で守り、そのまま白き壁のなかへと、足を踏み入れる。


 外側から見ると白一色だった雲の壁は、内側から見ると灰色だった。青紫あおむらさき電閃でんせんが細かく千切ちぎれながら、いたるところをはしっている。


 うしろを振り返り、下から舐めるように見上げると——視線しせんは自然と放物線ほうぶつせんを描いた。灰雲の壁は、ゆるやかな曲線でずっとずっと上までつづいている。


「やっぱりこの雲、ドーム状になっている」


 墨を薄めた水のような雨が、淡々と降っている。


「逃げろ!」人の声がする。「ここから外に出られる!」


 雲のなかに取り残された数人があわてふためき、外側へ出ようとしている。彼らのうしろには——人喰いの群れが。


「早く、ここから外へ!」


 ひとりの男性が灰雲の壁に触れた——瞬間、その全身に雷が走った。鉄板を引きちぎったような音とともに彼は倒れ、その躰はけいれんし、口からは泡をふく。


「いやぁっ!」女性が悲鳴をあげる。

「だめだ、出られないぞ!」と、中年男性。

「雲に近づくな——」高校生の男子が、奥歯で押しつぶした声を出す。


 ひとたび、この雲のなかに入れば外には出られない。出ようとした瞬間に、雷に打たれて死ぬ。


「出られないなら、どこか建物へ!」


 男が大声で言うと、それを聞いた人々はわれさきにと、安全な室内へなだれこむ。それを追う人喰いの群れ——。


「ちょっと待って、わたしも入れて!」


 スチールドアを叩くひとりの女性。建物に逃げこむのが一足遅かった。さきに建物へ逃げた人達は、すぐさまドアの鍵を閉めた。


「開けて、おねがい助けてぇ!」


 ドアが開く気配はない。

 人喰いの群れは女性に迫る。


「そばに寄って!」ルイが駆けつける。


 女性はルイの結界に飛びこんだ。すぐさま、人喰いたちが迫る。結界は引っ掻かれ、血濡れた口を当てられる。何人分のも飢えた手は、結界を乱雑に叩きつづける——。


「こわいと思うけど、がまんして、安全な場所まで——」


 ルイは耐えながら、なんとか歩を進める。押し迫る人喰いの波を、結界でかきわけて進む。


「大丈夫ですか?」


 ——女性は大口を開け、ルイを噛もうとした。


「うわっ!」ルイは女性を錫杖で殴り、一目散に逃げた。髪が、頬が、黒い雨に濡れてしまう。「——くそっ、ぼくもああなるのはごめんだよ」


 逃げ惑う人々、それを追う人喰い。そんな光景ばかり。さきほど結界の内側で豹変ひょうへんした女性の例を考えると、一人ひとりを助けてまわるわけにもいかない。


「元凶を倒さないと——」


 ルイは劇場前広場に辿りついた。上を見上げる。そこには白い龍が。


「あれだ、龍の白魔」


 すると、上空から雲を通過し、一機のヘリコプターが飛来してきた。機体の側面には大口径のガトリングが二門。そのとなりには、蜂の巣のような穴から小型の弾頭を覗かせる対戦車用ロケットが、左右対称に二門。


「目標視認、攻撃許可を」


 パイロットが無線で話す。


《なんでもいいから、元凶と思われるものは撃て! さっさと雲のドームを消さないと、野次馬が国会議事堂にたかって困る!》


 いまのはおそらく政治家の声。


「……、攻撃許可を」


 もう一度、パイロットがうながす。

 政治家の言葉では発砲できないらしい。


《発砲を許可する》


 今度は軍人の声。


「了」


 パイロットは機銃の安全装置を外し、龍に向けて掃射そうしゃ。コンクリを砕くほどの銃弾の雨が龍雲りゅううんを貫く。しかし龍はびくともしない。


 つづいてロケットの掃射。龍の熱源に反応し、目標に向かって正確に飛んだ。龍は、爆炎に隠れて視界から消えた。


「雷だ——、雷に守られている」ルイが言った。


 ヘリからの攻撃は、すべて雷に弾かれ、叩かれ、落とされていた。ガトリングは全弾もれなく電撃によって射線をねじ曲げられた。ロケットにいたってはハエを落とすくらいの感覚だろう。爆風が当たったところで、なにが変わるというのか。


 ヘリは寸刻すんこくを待たずして、空から一直線に堕ちた雷に穿たれた。姿勢を崩し、尾を振りまわしながらビルに突っこむ。ビルの腹から吹き出す炎、真っ黒な煙、それを洗うのは黒い雨。


「あの龍雲、自分に近づくものすべてに反撃するんだ。下手に手を出せない……。白魔の肉体はどうなっているんだ? もとは普通の人間のはずだけど」


 さらに事態はひどくなる。数匹の悪魔が押し寄せてきた。その悪魔たちは、ルイの頭上を飛び越えゲームセンターに集りはじめる。一階の入り口付近には、地面に落ちている菓子をむさぼる人喰いのすがたが何人も見える。


「あいつら、なぜあそこに?」雷切が大きく震えた。「——リク!」


 二階の窓が割られた。そこから悪魔が侵入していく。しかしだれかにぶん殴られたのか、悪魔たちは入室をきらわれるように窓から放り出されていく。地面に落ちたそいつらは、全身をしびれさせてけいれんしている。


「リクがいるんだ——」


 黒革のケースから雷切を取り出し、ルイは二階の窓に向かって投げた。


「待ってたぜ——」


 雷切を受け取ったリクは、すぐに抜刀する。むべき存在を次々に塵へと変えてゆく。悪魔たちの襲撃が落ちついたところで、リクは二階の窓から手を振った。


「ルイ、こっちだ!」

「リクごめん、遅くなった!」

「——おい、だめだ、あいつは」


 リクの本能が暴れる。羅姫を直視したときと、まったくおなじように背筋が冷える。あれは——斬らねばならない存在。


「なに——?」


 とてつもない殺気を感じたルイは背後を見た。劇場前広場の中央にただずむひとりの男。三代西威。


「こんにちは。もしよかったら、ぼくと遊ばない? ほら、刀と巫女がそろったところだし」


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