ー拾肆ー
がらがらと音を鳴らして閉じられるシャッターが、あと数センチのすきまを残して止まった。だれかの手首がはさまって、ばたばたと虫みたいに手指を暴れさせている。
「くそが——っ!」
その手をリクが踏みつけて、電撃を見舞う。手がひっこむのと同時にシャッターは完全に閉じられた。ばん、ばん、ばん——飢者たちは、それでもシャッターを手で叩きつづける。
「あんた悪魔祓いなのか?」
サラリーマンらしき男——新島がリクに近づき、話しかける。
「ああ」
「なんで、刀を持ってないんだよ」
リクは応えず、顔をしかめた。その表情をみた新島は舌打ちを鳴らした。するともうひとりが近づいてきた。
「し、氏は、あ、悪魔祓いさまですか」
四角いメガネをかけ、額にはアニメの美少女がプリントされた鉢巻を巻いている。チェックのシャツに青いジーンズ——。雨が降る前からゲームセンターのなかにいたらしい。髪も服も濡れていない。
「あ?」リクは眉をひそめる。「あんた、ずっとここに居たのか?」
「ひっ、す、すみませぬ、本日はここに篭城をする予定でして。せ、拙者、この世に産まれてから二〇と数年——。悪魔祓いさまと相対するのは初見のことでして……」
「だったらなんだよ」
「も、もしよろしかったら、拙者と記念撮影を——」
「ざけんな!」
怒鳴り声も届かないほど熱が入っているのか、オタク——吉村は、スマホをポケットから取り出す。
「か、カメラに目線をいただけないでしょうか」吉村が腰を低くして言ったが、無視された。「は、はい、チーズ」仕方なくリクの後頭部を撮影した。
シャッターのむこうは増してさわがしくなった。重なるうめき声は、店に迫る人喰いがだんだんと増えていることを物語る。
「あんた、状況見えてんのか?」リクが言った。
「せ、拙者、雨に濡れていませんので」吉村が答える。
「自分だけ助かれば、いいってのか」
「い、いえ、そういうことではなくて。しかし、お腹が空きましたよね。拙者の脳は疲弊し、消費カロリーが通常の三倍にはなっているであろう、この現状にどう対処すべきか——」
ふと、リクの脳裏に言葉がひっかかる。
(お腹が空きました——?)
「なぁ、あんた」店内を進み、リクはひとりに声をかけた。「雨が降る前、昼飯は食ったか?」
「え? わたし?」若い女性——木碕が応える「うん、お昼は食べたけど」
「あんたたちは?」
リクは視線を横にずらしながらほかの全員に訊いた。みな首を縦に振ってうなずいた。だれしも、雨に濡れていて生乾きのにおいがする。
「そういうことか」
「ねぇ、なに? なんなの?」
この状況にいらだちながら、木碕は言った。
「ここにいる人間のなかで雨に濡れてねぇのは、あのオタクと店主——そのふたりだけ。雨に濡れても正気を保っているやつらは、最初から腹が減ってなかったんだ」
「食事をとったばかりだったってこと?」
「ああ。あの白無垢の白魔——昼の十二時なんて、これからなに食べようかって考えるような時間に雨を降らせやがった」
確信犯かよ——とリクは奥歯を噛んだ。
「それなら——」店主がひとつ、思いついた。「二階から菓子かなにか撒いてやれば、あいつらそれを食うんじゃないのか? 腹が減ってるんだろう?」
お菓子をキャッチして遊ぶクレーンゲームの鍵を開けて、店主は持てるだけのお菓子を抱えて二階に行く。それが得策かはわからないが、手伝える者たちもそれをまねて、両手いっぱいに菓子を抱えて二階にのぼった。
「ねぇ?」木碕が言った。「あなた悪魔祓いでしょ? どうして刀、持ってないの?」
「またかよ……」リクはいやな顔をした。「持ってたとしても、あいつらをかたっぱしから斬るわけねぇだろ。まだ、人間にもどれねぇと決まったわけじゃねぇし」
「でも、わたしたちが死ぬよりマシだよ」
「おれを大量殺人鬼にすんなって——」
とはいえ、ただの悪魔が襲ってこないともかぎらない。奥歯を食いしばるリクの脳裏に、ある光景が蘇る。
・…………………………・
リクの実家は九州にあった。名刀雷切を祀るその寺は広く、金の装飾が目を引く豪華で絢爛な寺院だ。
中学生のリクは、自室に置いたステレオコンポのスピーカーからパンクロックを大音量で鳴らし、畳の上で頭を揺らしていた。意味がわからない英語詞を口ずさみ、リズムに乗り——その手はエアギターを弾いていた。
「リク、おおーい!」
同級生で恋人の芹奈は、ふすまの前に立って声をかけた。しかし襖の向こうからは喧しいパックロックの音としか聞こえない。
「入るよー!」
芹奈はふすまをいきおいよく開けた。恥ずかしいすがたを見られてしまったリクは、ギターを弾くポーズのまま硬直してしまう。
「な——」
「はいはい、ライブはしゅーりょー。アンコールは、なしでーす」
芹奈は耳を塞ぎながらコンポの前に進み、音楽を止めた。
「んだよ、いいとこだったのに」
「リクの脳内観客のみなさまー、モッシュにもまれて盛り上がってたところわるいんだけど——」
芹奈は腕を腰のうしろで組み、微笑んだ。
「買い物、いこ?」
「いかねぇ」
「やーだ」
「友達と行けよ」
「なーんで」
「気分じゃねぇ」
「いこーよ。秋服、ほしいの。重い荷物を持ってほしーの」
リクはしかめっつら。
「ねー」
「いかねぇ」
「クレープ」
「いらねぇ」
「映画」
「みねぇ」
「ラーメン」
「くわねぇ」
「デート、しよ?」
リクの頬が赤くなる。
ちょろいな、と芹奈は思った。
「いいけど、刀は持ってく」
「ええー、雷切?」
「まだ本物の雷切はもたせてもらえねぇから、レプリカのだっ」
「デートに雷切?」
「レプリカのな」
「たまにはさ稽古のこと、考えるのやめたら?」
芹奈の言葉に、リクの顔つきが変わった。
「なにかあったら、おまえを守れねぇ」
「でもさ——こんな暑い日に、こんなに天気のいい昼間に、悪魔なんて出る? しかもリクまだ見習いじゃん。大人の悪魔祓いはたくさんいるし。きょうくらいいいんじゃない?」
思えばここ最近は刀の稽古、異能の稽古ばかりで、中学生らしい遊びをしていなかった。
「たまには、刀のこと忘れて、遊ぼ? ほら、刀の柄じゃなくてわたしの手を握る日」
片手を差し出して、芹奈は微笑んだ。
澪がさらわれる直前——教会の自室でリクは、レプリカではない本物の雷切に触れていた。
芹奈によく似ている澪の顔——声も、仕草も、香りも、なにもかもが走馬灯のように蘇る。澪の目を見るたび、いまは亡き芹奈の笑顔がよぎる。
「刀の柄じゃなくて、わたしの手を握る日——か」リクは雷切を見つめる。「きょうくらい、いいか。澪さんもいるしな。楽しいはずの買い物に、物騒なもんを持って行くのもな……」
澪との最初で最後かもしれない買い物に、リクは、刀を持って行かないと決めた。
・…………………………・




