ー拾弍ー
リクは人混みにかまわず、澪の名前を呼びつづけていた。
「澪さん、澪!」
通行人の視線、ほとんどの視線がリクにあつまった。クスクスと笑う若い娘、SNSのネタになるとでも思ったのか、スマホのカメラを向ける若い男もいる。すると群衆の中から、派手なシャツ——襟を立てた男がふたり近づいてきた。
「あんちゃん、みおってうちの組長の娘さんの名前じゃねぇか」
「澪!」
リクは無視する。
「おいテメェ、兄貴の話、聞いてんのか」
もうひとりの、細身で子分らしい男が言った。
「あ?」リクは強い形相でにらみ返す。「かんけえねぇだろ、ひっこんでろ」
ひっ——! ヤクザの子分はひるんだ。
「おい」兄貴が子分の肩を叩く。「こんな《《バンダナ坊主》》にビビってるようじゃ、光龍会の家紋がすたっちまう」
「す、すいやせん兄貴」
子分はペコペコと頭を下げ、もう一度リクにメンチを切り直す——。
「おうおう、あんちゃん。組長の娘さんを呼び捨てにするとはどういう了見だよぉ? ああぁあ?」
「それでこそおれの舎弟よ」
「かまってらんねぇ……」
かんちがいだと説明するのもばからしい。リクは歩き出そうとした。しかし、兄貴分のヤクザが肩をつかんできた。
「説明せえや。なぁ、みおさんとどういう関係だよ」
「それどこじゃねぇって、言ってんだろ」
ヤクザの手首をリクの手がつかんだ。とたん——ヤクザの全身に電撃が走る。大きくけいれんし、足から崩れ、その場に倒れてしまう。
「あ、兄貴!」
「か——はっ——」兄貴の全身はしびれている。
まわりの群衆の目からは——リクがなにかしたようにも見えたし、ヤクザが勝手に倒れたようにも見えた。次第に野次馬が増えて、リクを囲みはじめる。
「くそっ、どいてくれ!」
リクは群衆の壁をかき分けた。なんとかして、人混みの外側にたどり着いたが——目の前にひとりの警官が立った。
「ちょっときみ、あれ、きみがやったの?」
「ちげぇ、あいつが勝手に倒れたんだ」
「ほんとうかねぇ」警官は怪しんでいる「なにか、スタンガンみたいなものを持っているんじゃないのか? 躰を検めさせてもらうよ。ほら、バンザイして」
リクは舌を打ちながらも、仕方なく従った。無理やり逃げて、警察に追われでもしたら、それこそ澪を探すどころじゃなくなる。ベタベタと全身を触られながら——大型の街頭モニターを見た。正午からはじまるバラエティ番組が映る。
リン。
鈴の音。
リン。
白髪の頭が見えた。背がちいさい。子供だろうか。
「うーん、なにも持っていないね」
警官が立ち上がった。
「どいて」
ちいさな女の子の声。警官は振り返る。
「お? おやおや——」目線が下がる。「そんな格好で、どうしたの?」
白無垢の少女。
その手には神楽鈴。
群衆の興味も少女にあつまる。
「かわいい、なにこの子」若い女の声。
「ロリコン大歓喜じゃん」携帯を向ける、若い男。
「きみね、髪もまっしろで、赤いカラコンかな? しかもこんな着物すがたで。もしかして動画でも撮ってるの? こうゆうドッキリは公共の場では禁止されているから。わかる? こーきょーのば——もし大人の命令なら、その人、お巡りさんに会わせてくれる?」
白無垢の少女は、もう一度「どいて」と言った。
空に雲がかかった。
灰色の雲。
あたりは暗くなり。
雷鳴が轟く。
一筋の雷が警官を脳天から裂いた。
その衝撃はリクを突き飛ばす。散った血液と砕けた骨が追うように飛んでくる。群衆は悲鳴と狂気の喧騒を鳴らした。逃げる者。叫ぶ者。スマホを手放さない者。
少女は血と焦げで赤黒くなったアスファルトを踏み、歩き、リクのそばに立った。
「おまえ——」
リクの目はまばたきを忘れた。
少女は、空を見上げて言った。
「もう、お腹空かないね——だれも」
黒みがかった片時雨が、しずかに降りはじめる。




