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刀闘記  作者: 燈海 空
東京雷鳴 篇
64/96

ー拾ー


 朝の空気は、ほんのりと冷ややかだった。ビルの間を駆け抜けてきた、生温い都会の風でも心地よさはあった。ホテルからジェイド教会に行く途中に見上げた空は快晴。


「天気予報はこのさきずっと晴れだね」澪が言った。

「早く帰りたい」歩きながら、秋が言う。

「ま、いろいろ済ませないとね。おたがいに」


 ふたりが教会の礼拝堂に入ると、きのう出会ったジェイドの面々に加え、見覚えのない顔が四つあった。


 睦月むつき一月いつき——そして凛。もう一匹は超大型犬。


「おっはよ、うご!? わんちゃん!? 飼ってたんですか?」


 澪の声が礼拝堂れいはいどうに響いた。イエス像の前に全員が集合しているが、優香のすがたはない。


「澪ちゃん秋くん、おはよう!」


 手を振りながら藤次が声を投げた。


「みんなから話し聞いてるよ、いらっしゃい!」


 睦月の飾らない声色こわいろを耳にした秋はすこし安心した。おなじ悪魔祓いなんだろうな、とは直感しつつ。


「きのうはいなかったのに。ねんねしてたの? かわいい」


 澪は、シキの首筋をわしゃわしゃと掻いてやった。


「どんな反応するかな」栞菜かんながニヤついた。「澪ちゃん、そのわんわん、ちょっとおもしろいわよ」

「え? 大きさですかぁ?」とろけるような顔をして、澪はシキの耳を触りだした。「たしかに、このサイズのわんわんは見かけないです。かぁわいい」


 するとシキが突然、秋の方を向いて鼻をひくひくさせた。


「おまえ——! 風使いか!」

『——は!』


 おどろいたのは、澪と秋のふたりだけ。ほかのみなは、あたかもドッキリが成功したような顔をしている。


「しゃべった」秋は唖然としたが、すぐに銀次が頭をよぎる

「おまえ、師匠はだれだ」シキは秋に近づいて、くんくんする。

「え——」

「剣の師匠だ」

「じいちゃん」

「名前は」

銀次ぎんじ

「立神か——!」


 シキはいきおいよく開口した。口の中の犬歯が全部見える。そのまま口がふさがるまで数秒かかった。


「あの、立神か!」

「どの、立神?」

「風使いの立神など一件しかない。覇王こと、立神銀次の孫に会えるとは——」

「覇王って……」


 じいちゃん、そんな通り名で呼ばれていたのか——秋の頭にはハムスターのころんとしたすがたばかりが浮かぶ。


 突然——だれかの携帯が鳴った。


「あ、ごめんなさい! マナーモードにしてなかった」


 澪はポシェットからスマホを取り出し、視線を落とす。画面には須賀の名前が表示された。


「須賀さんだ」

「おっさん?」秋はすこしいやな予感を覚える。

「うん」

「出たほうがいいんじゃないか?」


 秋が言うと、ジェイドのみなもコクリとうなずいた。自分たちのことは気にせず、電話に出て——ということ。澪は画面に触れて、スマホを耳に当てた。


「はい」

「お、澪さんすまねぇ、いま秋の家にいるんだが——」


 早口でしゃべる須賀の声よりも、さらに大きな声で——


「秋はおるか! わしじゃ! いま東子がうちに来とる——告夢じゃ! なんか起こるぞ! はよう帰ってこい!」


 銀次の声がスマホのスピーカーを割るいきおいだ。澪は顔をしかめ、スマホを耳から離した。ハンズフリー通話に切り替える。 


「じいちゃん、どうゆうこと?」


 しゅうはスマホに声をやった。


「秋、生きとるか!」

「生きてるよ」

「三代の娘がの、告夢を見よったよ」


 告夢つげゆめという単語にいち早く反応したのは、その場にいた悪魔祓いたちだった。睦月むつき一月いつきはたがいに怪訝な顔を見せ合う。


「告夢って、おいマジかよ。とんでもねぇこと起きんぞ」


 辛いガムを噛みながら、リクが言った。


「なんじゃ、そっちにもいっぱいおるみたいじゃの、だれじゃあ?」

「え? あぁ。いっぱい、いる」

「秋! 大丈夫なの?」かすみの声をスマホが発した。

「母さん?」

「もう、心配してるのよ! 倒れたでしょ二回も!」


 やっぱりわかるのか、と思った秋は苦い表情を作った。


「きのうの午後くらいに本堂の火が、へなちょこのぺちゃんこになったのよ! ぜったいに倒れたと思って、普段の倍の速さで経を読んだから喉から出血したわよ。まさか澪ちゃんにおんぶしてもらったり、してないわよね?」


 かすみに言い詰められた秋の頬は、恥ずかしさのあまり赤くなった。


「電話のひと、おんぶちゃんのママ?」


 美鈴の声をスマホのマイクが拾った。


「まぁ! ちっちゃな女の子もいるの?」

「まぁ! おんぶちゃんのママちゃん?」


 美鈴はマダムっぽい声を出してみた。

 澪は、スマホを美鈴に向けてやった。


「わたちは、ミー・スーズゥよ。あなたのお名前はなんていうの?」

「あら、外国の子なの?」


 かすみがいたって真面目なトーンで返すと、いつも冷静な一月ですら、そっぽを向いてなんとか笑いをこらえる。


「あ、ちがいます、かすみさん。美鈴って名前の日本人の女の子です。教会で黄泉巫女よもつみこの修行をしていて」


 澪が代わりに説明をした。


「まぁ! そうなの。それじゃ秋、目的の教会は見つけられたのね?」

「して、秋や、帰ってこれんのか?」

「これから、優香さんに祈祷きとうをしてもらわないといけない」

「そうか。いよいよ短刀に力がもどるんじゃな……」銀次の声が低くなった。「まぁ、こっちの心配はいいよ。力強い助っ人がおるからの」

「助っ人?」


 スマホはガサガサと物音を鳴らした。別のだれかの手に持たれたような、そんな音——。


「どうぞ、東京で《《彼女と》》ごゆっくり」

「東子!? うちにいるのか?」


 秋がまずおどろくと、つづいて澪の表情が凍った。


「銀次さんが言ったでしょう。告夢を見たのは、わたし」

「どんな内容だった?」

「それは言えない。言ったらあなた、電車なんか使わずに空をけて、燕みたいに帰ってきそうだもの」

「寺が危ないってことか——」


 帰れるのなら、すぐにでも帰りたい。

 けれど、短刀の祈祷が終わるまで身動きがとれない。


「母さん。東子。おっさん……。ごめん、寺を頼む」

「おう、心配すんな。討魔分隊にもいちおう声がかかってる」須賀の声。

「わたしを雇うんだから、高くつくわよ」東子の声。「お土産、なかったらあなたを凍らせるから。永遠に」

「澪ちゃん——?」かすみの声。「秋をおねがいしますね」

「しっかり火ノ花に返しますから。大丈夫です!」


 やる気が満ちた澪の声がスマホのマイクを抜ける。


「おぉぉおぉ、秋や、いい嫁さ——」


 銀次が言いかけた時、スマホのむこうがガサガサと騒がしくなった。


「お、おい銀次さん、それはだめでしょうが——」


 あわてる須賀の声がだんだんと遠くなり——


「なんじゃ? ちがうのか? アベックじゃとおもっとったんじゃが」

「アベックは死語ですよ」東子の声もうっすらと聞こえる。


 なにはともあれ、安心感のある空気が電話を通して流れてくる。しかし重たい緊張感を抱えながら礼拝堂に来る、ひとりの影が——


「準備できたよ? 秋。短刀、忘れてないよね」


 優香のすがたは、いつも着ている純白の修道服ではなく、下が赤、上が白の——巫女装束みこしょうぞく だった。それを見た藤次は、目をとろけさせた。


「おぉ、優香さん、なんとお美しい……。十二時の鐘が鳴った途端に魔法がとけて、ツギハギだらけの貧しいおすがたになってしまわないだろうか」

「足もとをよく見なさいよ」栞菜かんなが口をつく。「どうみてもガラスの靴を履いてないでしょうが」

「ああ、ほんとうだ! 優香さんは足袋たび草履ぞうりを履いているではないか! では、かぼちゃの馬車で教会に来たわけでは——ないのか!?」

「いっかいメルヘンから離れろ、メルヘン野郎」栞菜が半目で言った。

「とーじから、メルヘンとったら、ただの野郎?」


 美鈴が言うと、睦月を中心に発生した笑いのうずが、礼拝堂をにぎやかにする。


「もう——真剣な空気をただよわせて来たんだけど。ほんと、みんなの笑顔には敵わないわ」肩の緊張を優香は解いた。

「ここの、人たち、おもしろい」

「お——凛……」


 シキはおどろいた顔を凛に向けた。

 二年以上は見れなかった妹の笑顔がそこにあった。


「凛。大丈夫か?」


 こんなときでも、心配の声をかける自分は過保護な兄なんだろうな、と思った。


「大丈夫、ここ、来てよかった」



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