ー漆ー
「ここ最近、悪魔化現象による死亡者の数が、増加している傾向にあると……。このことについてジャーナリストの浦安さんに、おうかがいしたいと思います。浦安さん——」
ワイドショーの女性キャスターが話をふった。
「はい」
「いままで悪魔化現象そのものは、それほど深く世間に認知されるものではなく、悪魔化する一部の人種がいる、それらを退治する一部の人種がいる——くらいの認識が、世間の一般論だったと思います」
「ぼくも、いままでの悪魔化現象の常識を見直す必要があると思っていまして——」
四十代のジャーナリスト、浦安が自信ありげな表情になった。
「それは、どうゆう?」
「特段に強い欲望を抱いていない人間も、悪魔になっている——。つまり、いまスタジオにいるだれかが急に悪魔化しても不思議ではない、といえます」
「それはこわいですね」
「——とある悪魔化現象の当事者と話す機会がありました。その方は、法的に違法である、公道での峠レースを興じていた友人ふたりを、亡くしていまして」
テレビのなかの浦安が語ると、リビングのソファでコーヒーを飲んでいた須賀が前のめりになった。
「——な! っあっつ!」
腰の角度が強すぎたせいで、コーヒーをカーペットにこぼしてしまう。
「もう、お父さん、カーペット汚さないでよ」
須賀のうしろから妻が言った。彼女はたったいまフライパンで焼いた目玉焼きをお皿に盛ったところだ。
「お、おう。すまねぇ——」
足元のテーブルの上にあるティッシュボックスに手を伸ばしてから、須賀カーペットにティッシュを押し当てた。
「ダメよ、そんなんじゃ滲みちゃってとれない」妻が、重く濡れたタオルを持ってきた。「もう、邪魔! あし!」
「お、すまん」
須賀はソファから立ち上がって横にずれた。視線は相変わらずテレビから離れない。
「峠レースで友人二人を亡くした方は、なんとおっしゃっていたのですか」
女性キャスターが質問をふる。
「ええ。その方いわく、悪魔になりそうだったのはむしろ《《斬殺されたほう》》で、悪魔化したほうは、どちらかと言えば欲は深くなくて良い性格をしていた、ということなんです。ですのでぼくは、欲の深さ以外の、外的要因が引き金になっている可能性を指摘したいですね」
浦安が得意げに語った。
(こりゃ秋が倒したバイクの悪魔、カズマの話じゃねぇか。まさかあのギャルが自分から話したのか? だとすると、あのギャル——くそ、金に釣られたか!)
須賀は無意識に舌打ちを鳴らした。
「ちょっと、なによいまの舌打ち」
カーペットを拭き終えた妻がにらむ。
「あ、おう、テレビだ、テレビ。警察の内秘がいとも容易く漏れちまってら」
「え? あの人が言ってること、秘密の話なの?」
「秘密ってか、事件の関係者しか知らねぇようなことを、こんな全国ネットのワイドショーで話されちまってる。当事者が口を割ったんだ」
須賀が鬼の形相でテレビを見つめる。その顔を見た妻は、両眉を持ち上げる
「朝からお仕事モードね」
ため息混じりに呟いてキッチンに戻った。
事件の話には興味がなさそうだ。
「ではつづいて、犯罪心理学で事件因子を未然に防ぐことを目指しておられます、NPO法人・ノワールの理事長、木村さんにお話をうかがいたいと思います」
キャスターが別の男性を見た。還暦はとうに超えていそうな、貫禄のある、いかにも偉そうな男性がテレビに映った。
「よろしくお願いします」キャスターが頭を下げる。
「はい、どうも」木村も軽く礼。
「木村さんは近年の悪魔化現象の特徴を、犯罪心理学的に見てどう、とらえますか?」
「わたくしどもわねぇ、まあ、ずいぶんと厄介な人種を相手に研究をしていましたからねぇ。こういった分野は得意ではあるんですが、まあ、これは、超常現象に近い理屈も考えないとなりませんから、一概にどうこう言えるもんじゃないですね。ただひとつ言えるのは、大した欲を持ってない人間も悪魔になっとる——っちゅうことですかねぇ。ええ」
木村の口からつらつらと流れる中身のない言葉。それさっき別のやつが言ったそのままじゃねぇか、と思った須賀の形相に拍車がかかった。
「つまり木村さんの見解は、浦安さんの意見とおなじであると、いうことですね?」
キャスターに問われた木村は、浦安の横顔を一瞬見てから、すぐにのどを鳴らした。
「あーいえ、ちがいます。おなじところもありますがね。部分的にはちがいますね」
「どういった部分が——」
「まず外的要因がどうのこうのよりも、悪魔化にいたるまでの欲の深さ。それをどう定義するのか、という話ですねぇ」
聞いているだけで眠くなる声だ。
「欲深さの定義、ですか?」
「ええ。人間だれしも欲はあるでしょう。お腹が減る、お金がほしい、彼女が欲しい、彼氏が欲しい——だれだって悪魔になりうるんですよ。ただ、悪魔になる人と、ならない人の差はなんなのか」
木村はちらちらと浦安の顔色をうかがっている。一介のジャーナリストよりも、自分のような専門家が上であると、テレビの前の視聴者に誇示したいようだ。
「私どもは、よく相談を受けますよ」
《自分は歪んだ欲を抱えています、明日にも悪魔になってしまわないか心配です、どうしたら良いでしょうか》
「——その類の相談件数が増えました。わたくしどもはそういった相談者に、いまからでもよい行いをしよう、だれかの幸せを願った日常を送ることを考えましょう、と伝えさせていただいております。ええ、それからですね——」
その後もつらつらと木村の《《お語り》》がつづいたが、キャスターがいいところでさえぎった。
「では、本日はもうひと方、お呼びしております」
今朝のワイドショーのゲストは、三人いた。女性キャスターは等間隔で横に並ぶ三つの顔のうち、いちばん右の席に座る男性を見た。
「東京は新宿区、聖・カナン大教会の司教であられます、甲斐那基樹さんにお越しいただいております。甲斐那さん、本日はよろしくお願いします」
口角を少し持ち上げ、軽く礼をする甲斐那の顔がテレビ画面の中央を占領した。そのいたって普通で真面目そうな修道者の顔を見ただけで、須賀は、どこかいやな気分になった。
「なんか、なんだろうな、こいつ気味がわりぃ」
すると、ひとりの男子中学生がリビングに現れた。頭は寝ぐせで爆発。片足だけ裾がめくれ上がった、だらしないスウェット姿。彼は、須賀の背中越しにテレビ画面を観た。
「なんか、なんだろ、この人、やだ」
「お、わかるか?」須賀がうしろを向いた。
「なんっていうか、やだ」
「ほう、理由はともかくとして、おまえ見る目あるかもな。さすがおれの息子。将来は立派な——」
「だー。警察にはならないよ」
息子は脱力した口調で言うと、朝食が並べられたテーブルに向かった。
「母さん、これなに?」
「え? 目玉焼き」
「……この真っ黒な円盤が?」
「うん。ちゃんと火が通ってるから、大丈夫よ」




