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刀闘記  作者: 燈海 空
東京雷鳴 篇
60/97

ー陸ー


 立神家の寺院。その中庭でわたしは刀を抜いた。重心を片足に軽く乗せる——枯山水の砂利が音を鳴らした。


篠実嘉也しのさねよしや、うそでしょ……」


 嘉也の目は赤い。

 髪も白い。


「あーあ。こんなに早く対峙することになるとはね」


 制服すがたの嘉也はため息をついた。

 その腰には刀が一本。


「さぁ、はじめようか。副生徒会長さん」

「ふざけないで」

「ふざけていないよ。この世は終わりだ。人間はみな死ぬんだよ。己の欲に喰われて終わるんだ。正しい末路じゃないか。自然の摂理せつりじゃないか。因果応報いんがおうほうじゃないか」


 彼は刀を抜いた。

 漆黒の刀身。

 つかは緑。


「この寺を焼く前に——ぼくの炎と副生徒会長さんの氷、どっちが強いか試してみようよ。こっちにはハンデがあるけど」

「ハンデ?」

「西威さんの妹を殺しちゃいけないっていうハンデ。めんどうだよね、すごく」


 開戦の合図など、なかった。


 嘉也よしやが左手のひらを私にむけた。わたしがつくった氷の盾に、嘉也の炎——紫の炎がおおいかぶさる。大木を一瞬でなぎ倒してしまいそうなほどにいきおいづいた火炎放射——それを真正面からまともに受ける。


 設置型の防壁ともいえる、氷の盾が溶けていく。すぐにその場から移動、左に大きく迂回うかい、嘉也を真横から攻めようとする。


 嘉也はその場から動かず直立のまま刀を真横に振った。刀そのものが炎を吹いた。即座に後退をして炎をかわした。まるでハエのようにあつかうのね——そう思うとすこし腹が立った。


 地面から鋭利えいりな氷を出現させる技を彼にぶつけてみる。彼ひとりを、真下から貫くのに適した長さと幅の氷槍ひょうそうを創る。


 爆発的な水蒸気がたちのぼり、彼のすがたが消えた。それが晴れていくと、そこに突っ立っている嘉也がいた。彼は、また動かなかった。その足元は真っ赤に融解ゆうかいしている。石畳ですら溶ける熱ですもの、氷なんて役にたたない。


 気づくと舌打ちを鳴らしていた。うまくいかないことは、どうにかしてうまくやる。うまくできるまで、やめない。人並みか、それ以上に物事をこなす。こなせるようになるまで、やめない。だからわたしは優等生と呼ばれる。


「相性がわるいみたいね」


 なにを思ったか、こちらから話しかけていた。


「副生徒会長さんの悩みってなに?」

「あなたが死んでくれないこと」

「そっか、ごめんね」

「あやまるくらいなら、友好的な決着をつけてもらえないものかしら」

「それは無理だよ。めんどうだけど、やらなきゃ」

「この寺を燃やすの?」

「頼まれてね、仕方なく」

「だれから?」

三代西威みしろせいさん」

「私の兄は死んだ」

「でも西威さんにはいるみたいだよ、人間の妹が」

「全人類を殺害し尽くす、そんな欲求しか抱かない白魔に人間の妹などいるはずがない。いたとしてもすぐに殺すのでしょう? わたしも人間だもの」


 嘉也は応えず、寺に視線を伸ばす。


「あなたはなぜ白魔になったの?」

「めんどうだったから」

「なんでもかんでも、めんどうだと言うじゃない、あなた」

「生きることそのものが、めんどうなんだ。でもさ、白魔になるとお腹も空かない、寝なくていい、お金がほしいとも、恋したいとも思わない。でも——人を殺したくてどうしようもなくなる。それはすこし余計な、おまけだったかもね」

「人殺しが、おまけ?」

「あ、ごめん。言いまわしを変えなきゃ」


 ——人そのものが 余計なんだ 全員この世から消えればいい


 そう言って嘉也は手のひらを寺に向けた。立神の寺は紫の炎に焼かれてゆく。私はすぐに斬りかかろうとした。でも、透明な壁にはばまれて私は地面に尻をついた。立ち上がり、見えない壁を、何度も何度も斬りつけ、氷で穿った。透明な壁にはヒビすら入らなかった。壁のむこうの嘉也の足元に直接、氷を出現させようともした。できない。


 壁を手で叩き、叫んだ。やめて、やめなさい、やめろ——思いつくままに声を散らした。


 嘉也は人間に刀を突き刺した。

 あれは——

 立神かすみ。

 秋の母。

 彼女のみぞおちに刀身が刺さる。

 貫通し——

 背中から黒い金属が生えた。

 嘉也が刀を持ち上げる。

 かすみは首吊りの死体のように宙に浮く。

 足の爪先から血が垂れ、

 融解ゆうかいした砂利に真っ赤な水滴が落ちる。

 かすみの全身は焼かれ骨だけが残った。

 ガラスの壁のむこうは火の海。

 寺院は全焼した。

 紫の炎。

 黒い煙。

 真っ赤な空。

 炎の中でただひとり。

 篠実嘉也は笑っている。



 わたしはベッドにいた。汗をかいていた。あきらかに冷や汗だった。目覚まし時計の針は朝の五時を指している。心臓のリズムが早い。鼓膜こまくにひびく、せわしない脈の音——出来事は夢だったと教えてくれる。


「なんなの、リアル、すぎる」


 急に携帯が鳴った。スマホの画面を見て、電話をかけてきた相手の名前を確認する。


「もしもし」

「東子、みたか?」


 父の声が耳に触れる。


「夢だ」

「みたけど……、すごくこわい夢」

「どんな夢だ》

「立神の寺が焼かれて、かすみさんが…、殺される」

「きょうは立神の寺へ行け」

「え?」

「告夢だ」

「つげゆめ?」

「おれもおなじ夢をみた」

「父さんも?」


 父さんは基本、寺院で寝泊りしている。家に帰らない。だからわたしはこの広い一軒家で、実質のひとり暮らしだ。


「火守りと悪魔祓いが、おなじ夢を見ることがある。それは大厄災の予兆であり、二者が見た夢の内容とほぼおなじ出来事が、おなじ場所で起こる」


 つまり——


「立神の寺が焼かれて、かすみさんが死ぬ?」

「とにかくきょうは立神の寺にいろ。おそってきたやつは、おまえとおなじ高校の制服だったな」

「篠実嘉也——」


 あまり関わりはないが、存在くらいは知っている。


告夢つげゆめが正しい内容ならば、そいつは白魔だ」

「学校で見かけることはあるけど、そんな感じはまったくしなかった。お兄ちゃんは白魔だと、雰囲気からも状況からもすぐにわかったのに。ほんとうに彼が白魔なの?」

「白魔は本来そういうものだ。肉眼で判別などできない。たとえ相手が同年代だろうが——仮におさない子供であったとしても、白魔の力は天災のそれとおなじ——そう思え。いいな』


 父さんはそう言って、電話を一方的に切った。


 これからすることは、歯を磨いて、顔を洗う。ストレッチをする。それから朝食を作って、食べて。着替えて、刀を研ぐ。ぜんぶひとりでやる。


 なぜ、お父さんは一方的に電話を切るのだろう。気を付けろ、とか。無事を祈っている、とか。愛しているとまでいわないにしても、心をあたためる言葉ならいくらでも、大人の人間ならば知っているはず。


 ——あぁ、そっか。わたしも須賀さんからの電話を一方的に切ったっけ。人にした事はこうやって自分に返ってくるのね。良い行いも、悪い行いも。


「電話を切る時、相手が切るまですこし待ったほうがいいか。今度から気をつけなきゃね」


 ベッドから出て、背伸びをした。

 呼吸はすでに落ち着いている。

 脈拍も正常。

 

 深呼吸をすると炎に焼かれた寺院の——その焦臭こげくさいにおいがかすかに、鼻腔びくうの奥に残っていた。





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