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刀闘記  作者: 燈海 空
風銀立神 篇
6/28

ー伍ー


 かすみは座布団に正座をし、祭壇の上でゆれる緑色の大きな火を前に、火守りの経を唱えていた。そのひたいには自然と汗が流れる。


 かたわらに、銀次がひょこっと座った。しばらくして、かすみの経が止まった。数珠じゅずをからめ、合掌している両手の指先に額を当てるようにして、すこしうつむく。


「経をつっかえるなぞ、めずらしいのぉ」

「おじいさん」

「ん?」

「わたしはどうしても、後悔をぬぐえないのです」

「あの日の事は、わしがわるいんじゃよ。妻の体の事もわからんかった」

「いえ……」


 かすみは顔を上げた。

 祭壇さいだんの火を涙目で見つめる。


「わたしがもっと早くに、火守りになる覚悟を決めるべきだったのです」

「血縁でない者が火守りになるのは、並ではないよ。わしも、直之も、経は唱えられたしの」

「わたしは、こわかったのです」

「じゃろうの……。それが普通じゃて」


 火守り人になると、その霊力の強さ故か、様々な霊が見えるようになってしまう。霊力れいりょく覚醒かくせいを恐れ、火守り人を継承けいしょうすること自体をためらう悪魔祓いの妻がいる——それは、かすみのみならず、日本の各地でよく耳にする話だった。


「無理もない」銀次の優しい口調だ。「悪霊あくりょうやら、霊魂れいこんやら、地縛霊じばくれいやら。見えるようになるのはだれだってこわいと思うよ」


 ハムスターらしく、両手でわしゃわしゃと毛繕けづくろいをした。


「いまは……。後悔はあっても、迷いはありません」


 かすみは、火守り人としての覚悟から、自身の頭髪をもり上げ、神事に身をささげることを誓った。


「わかっとるよ。みんな、わかっとる」


 銀次の言葉に自然と涙腺があつくなる。奥歯に力を入れた。目頭に溜まった涙が落ち、若々しい頬にせんを描く。


「秋が一番、わかっとる」


 悪魔祓いが闘っているとき、火守り人の想いはそのまま、緑色の火に大きな力を与える。その力は、遠く離れた悪魔祓いと疎通そつうする。悪魔と闘う者をより強くする。


「なぁ、かすみや。わしは見たことがないんじゃよ」銀次は、火を見上げて、じっと見つめる。「こんなに大きく、美しく、力強い立神の火を。わしは、見たことがないんじゃ。いま、峠で闘う秋に、おまえの想いと力はしっかりと届いておるよ。大丈夫じゃて」


 かすみは、顔を上げた。経を最初から唱えなおす。緑色の火は力強く、ことさらに強く、燃え上がった。


 ・…………………………・




 二本の爪をアスファルトに何度も叩きつけるその様は、さながら、おもちゃを買ってもらえなかった子供のようだ。


 ヘルメットなしの頭からは、真っ黒な角が二本。レーサーらしいタイツのような服のせいで全身は見えないが、顔色はわかる。うす紫の、いかにも血色悪そうな顔だ。


 コロスだの、アアだのと、カズマはでたらめに叫ぶ。アクセルをふかし、緑色のレース用バイクを走らせる。一直線に向かってくる車体の左側では、硬い爪がアスファルトを削って、火花を散らしている。


 一度目よりも速い速度。

 一度目とまったく同じ技。

 二本の爪は空を切った。

 今度は、なににも当たらない。


 秋は軽々と跳んで、渾身の二爪を避けてみせた。しかし、バイクは数メートルも進まないうちに、 すぐさま旋回せんかい。長い爪をアスファルトに噛ませて、でたらめな方向転換をしてみせる。ブレーキなど、必要なさそうだ。

 

 エンジンを吹かす。

 攻撃は左の爪。

 相変わらず、左の爪。

 それしかない。

 ばかの一つ覚えだ。

 秋はすでに体を整えている。

 中段の構え。

 深呼吸。

 

 爪を迎え討つように、秋は走り出す。すれちがいざまに左の爪が振られる、そのタイミングに合わせ、右足を蹴り出してスライディング。低い姿勢のままアスファルトを滑る。

 

 振られた長い爪の下。

 通り抜けながら、

 刀を上方向に薙ぐ。

 爪を下からこじ開けるように。


 刀身が当たり、

 バイクは大きくバランスを崩した。

 長い爪が思わぬ方向にはじかれ、遠心力が生まれる。

 車体の制御を失い、悪魔はバイクごと転倒。

 緑の塗装がアスファルトに削られる。


 カズマは情けない声をもらしながら、慌ててバイクに近づく。横転しているバイクを右手でどこともなく握り、その怪力で車体を投げつける。地面すれすれを舐めるように飛んだ金属の塊は、ただ単に飛んで、ただ単に転がった。

 

 あいつはいない。

 なににも当たっていない。

 似たような状況を知っている。

 真上——

 

 堕ちる彗星の如く、秋が斬りかかる。あわてて、自身の顔を守るように、左手の爪を持ち上げる。空から覆いかぶさるように当てられる華奢で強情な刃。——爪と刀との鍔迫つばぜりあい。


 カズマは右手で拳を作った。

 相手の腹を殴ろうとする。

 秋は、二歩ほど、うしろに身を引く。

 拳を避けてから、一歩の前進。

 振り上げられた刀が、爪を思い切り弾く。

 巨腕がふわりと浮く、爪先が天を向く、よろめく。

 横断歩道を渡る子供の挙手のよう。

 

「歩行者優先——、だが、おまえはダメだ」


 秋がつぶやく。

 軽くジャンプ。

 跳びながら刀を横に水平に、爪に強く斬り当てる。

  

 混じり気のない、きれいで一方的な剣戟けんげきの音。

 長爪は、また折れた。

 折れた爪は宙を舞う。

 数メートルむこうのアスファルトに突き刺さる。

 ただの棒っきれのよう。


 腰が砕け、すくんでいるカズマのあごに、ひやりと冷たい物が当たった。刀だ。


「あと、一本」

「オレジャナイ! オレジャ……、ナイ! サイショに、コロソウトしたのはシンジだッ!」



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