ー壱ー
新宿は鎧神社。二匹の狛犬の石像——そのあいだの石段に腰をかける凛と、大型犬のシキ。
「ふたり、くるかな」ひざを抱えて凛が言った。
「万一、彼らが来なくても、こちらから教会を探しておとずれるのみだ」
あくびをしながらシキが応える。凛の背中には革製の赤いリュックがある。宿泊の用意は万全だ。
「これから、どうなるのかな」
「おれたちの目標は決まってる。母さんを救う」
「もし、死んでいたら?」
「——考えたくはない」
「死んでいるよりも、わるい状態だったら?」
シキは黒い鼻から、深い息をはく。
「もっと、考えたくないな」
「そうなっていたら、わたし、どうすればいい?」
「霊剥ぎ——」
「え?」
「そんなものが、ほんとうにできればいいのに。そう思っただけだ」
凛は夜空を見上げた。雲ひとつない晴れの空だが、月が明るいせいで夏の大三角形がよく見えない。シキは犬らしく、うしろ足で耳を掻いている。
「あの日、お母さんと、離れなけばよかった」
そう言って凛は、両膝にひたいを当てた。
《帰りなさい なにがあっても ふたりで生きるの いいね》
教会での別れ際に、ふたりの母は言葉を残した。
「江田——あの人、いなかったら、きっと、わたし、死んでた」
「奴は何者か、いまでもよくわからん。なぜ、おれたちに協力してくれるのか。最初はイースのまわし者くらいには思っていたが、そういう雰囲気もなかった。ほんとうにおれたちのことを心配していることが伝わった。なぜだろうな——」
シキは夜空を見上げた。流れ星が横切った。すぐさま、となりをうかがうと、凛はうつむいていた。流れ星を自分が見つけたことに、若干の歯痒さを感じた。妹は星が好きだというのに。
「あんなに目つきがわるい人間も、そうそういないだろうに。家族のような、父のような、そんな雰囲気すら覚えた。刀詠みとのつながりをつくってくれたり、凛の黄泉術を銃に宿す方法まで教えてくれた」
刀詠みとは、妖刀がどれほどの悪魔を狩ったのかを知ることができる者たち。
妖刀の記憶を詠み、刀が狩った悪魔の数、位を金銭に換算し、国に申告することができるゆいいつの人種だ。
悪魔祓いの収入を左右する人物ともいえる彼らは、ぜったいに私情を抱いてはならない。正確に刀を詠んで、正確な申告をする——そこに個人的な感情をはさんで金額を歪ませてしまうなら、職を辞さねばならない。(ひとむかし前は切腹だった)
「凛、来たぞ」
シキは立ち上がり、ぶるぶると躰をふるった。凛は体育座りのまま、前方の鳥居に目をやった。双子が肩を並べて歩いてくる。睦月は手にビニール袋を持っている。
「すまない。待ったか?」一月が声を投げる。
「待つのは慣れてる」シキが応える。
「あのさ、のど、かわいてない? 水とお茶、買ってきたんだけど……」
睦月はビニール袋を差し出した。
「いらない、大丈夫」凛はぶっきらぼうに応える。
「そ、そっか。あとで、その——教会に行ったら冷蔵庫に入れとくから自由に飲んでみて……」
睦月はやりにくそうな顔をした。そのリュック持つよ——とも言おうとしたが、即座に拒否されるのが目に見えた。まだ警戒されているんだな、と悲しいが実感するばかり。
「すぐに行こう」
シキが言って。凛は立ち上がった。そよ風に吹かれ、ゴシック調のスカートがなびく。
「でさ、その……、ワンチャンは能力者でいいんだよね?」歩きながら、睦月が言った。「風の能力だよね?」
「ああ——巫女である凛がそばにいるからな。能力はまだ使える」
「では——凛が持っている刀が、人間だったころのシキの武器だったと?」一月が言った。
「いまも、おれの刀だ」シキが即答する。
この超大型犬が、刀の柄をくわえて闘う——そんな光景を睦月は想像した。
「凛も刀を扱える。この妖刀はおれたちを認めているからな」
一般的な刀よりも細めにつくられていることが、鞘の幅からしてわかる。
「赤塗りの鞘ってなかなかないよね、めずらしい」睦月が言った。
「名前は?」一月が会話の順をひろう。
「朱鷹」
「——聞いたことがない」
「だろうな。銘としては新しいほうだ。幕末あたりのものと聞いている——おまえらのは双子刀か?」
一月と睦月は目を合わせた。
「よくわかったね」
睦月が感心した顔をする。
「おまえらが工場から出てきた時、刀の鍔の形が特殊だったと見えた。陰陽太極図の勾玉——その片方ずつが、それぞれの鍔になっている」
二刀のきっさき——片方を天に、もう片方を地に向け、鍔と鍔をくっつけてやると陰陽太極図が完成する。
「これ、まったくおなじ玉鋼からつくられたんだって」睦月が言った。
「ひとつの玉鋼から刀二本か。もとより二本分を作るつもりで作った、大型の玉鋼なのだろうな」
話していると教会が見えた。神社からここまで、凛の表情はまったく変わらなかった。ヘッドホンでもしているのかと思うほどに、会話にも一切反応せず、黙々《もくもく》とシキのとなりを歩いていた。
教会の敷地内に入ると、シキが鼻をヒクヒクさせた。
「カレーのにおいか?」
「あ、そうかも。ここが、おれっちの、家」
無意識に、シキと凛は教会という建物そのものに嫌悪感を覚えてしまう。過去の苦い記憶がそうさせる。
「シキ——」
凛がぽつりと言った。
その心臓は早い。
「あ、まぁなかに入ってもらったら、その、心配は無用だったなぁ——って思ってもらえると思う。おもしろい人ばっかりだから。あ、藤次っていうファンシーシェフがいるんだけど、その人——はじめてのお客にはご飯をいっっぱい食べさせたくてどうしようもなくなるから。大盛りのご飯が出てきても無理に食べなくていいからね」
えへへ、と睦月は頭のうしろに片手をやった。
一月は入り口の大扉を片方だけ開けた。
「大丈夫だ。なにかあったらすぐに逃げればいい。いつものように」
そう言ってシキは華奢な素足に、ふわふわの毛をすり寄せた。被毛の温もりを感じ、凛の鼓動はすこし落ちついた。




