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刀闘記  作者: 燈海 空
疑心六感 篇
54/55

ー拾漆ー

「はぁ。キス、ねぇ」


 優香は読んでいた本を閉じ、次の本を開いた。書斎のデスクには色あせた和綴わとじの本が積まれて重なっている。


「神の瞳——あ、これか……」


 優香は文字を指でなぞった。その字をそのまま書くと——


  宝玉似タル眼ニウマレシハ

  神ノ御チカラ携シモノ 彼ノモノ

  自ラガ神ノ化身デ或ル事

  想イ知ルヤ無シ

  黄泉ノ巫女ト液ヲ交スナラバ

  瞳ハ 我コソ神ノ化身ト覚シ

  白キ翼モ 黒キ翼モ

  塵ト帰ス事 努努

  疑ウ事 ナカレ


 優香はこの文章を現代語にして——


宝玉ほうぎょくに似た瞳を持って産まれる神の力をたずさえしもの。彼は、自らが神の化身けしんであることに、気づかない。黄泉巫女と体液を交換したならば、その瞳は、自分こそが神の化身であったと思い出し、白魔も、悪魔も、塵とすること、ゆめゆめうたがうでない——ちょっとおおげさに書いてる気もするけど、まぁ、けっきょく秋がカギってことよね……」


 ページをめくる優香の手は止まった。その目も本に視線を落としているだけ。頭の中で様々な考えがグルグルとまわる。


「ほんと、簡単に言ってくれるわ。まぁ、まだ、キスのさきも必要とか書いてなかったのが救いか。——てか、キスでいいのよね。もう、なんかわかんなくなってくるわ。ちゃんと書けよ。接吻でヨシ、とかさ」


 なぞの怒りを古書にぶつけていると、書斎のドアをノックする音が聞こえた。


「はい、どうぞ?」


 ゆっくりドアが開く。

 そーっと。

 ゆっくり。


「ちょっとホラー映画じゃないんだから。普通に入ってきてよ」


 優香が苦笑いをしながら言った。ドアの隙間すきまから、はねた黒髪の一部が——。


「秋?」

「すこし、いいですか?」

「いいわよ、ひとり?」

「はい。澪はいま、ルイさんたちとお皿を洗うのを手伝ってて」

「そっか。こっち座って」

「すいません」


 優香は書斎しょさいの真ん中にある革のソファに秋を座らせた。自分も、四角いローテーブルをはさんで対面に座った。


「どした?」


 なにか言いにくいことがあるらしく、秋の顔はうつむき、目線はテーブルに落ちている。その手には刀の長布袋ながぬのぶくろが。


「おねがいが……」

「ん?」

翡翠ひすいの短刀に、力をもらえませんか」


 優香の顔がくもった。


「——いま、持ってるの?」

「はい」

「一度、見せてくれる?」


 長布袋の紐をほどく。なかから短刀を取り出した。長布袋の一部がコブのようにふくらんでいた原因——それは、太刀と一緒に短刀も入っていたからだった。


 翡翠の短刀は、テーブルに置かれた。優香は一度、短刀に合掌をしてから、手に取って鞘を抜く。——深緑しんりょくやいばが空気に触れると同時に、柄頭から針がしゃきっと顔を出した。


「変わらないわね。あのときとおなじ色のまま」


 優香は翡翠の短刀を納刀した。あの時とはおそらく、三代賢二が片腕を亡くした日——。


「秋、知ってる? 三代のこと」

「片腕を亡くしたことだけは刀闘記で……」

「刀闘記?」

「父さんの日記で、遺書のような」

「そっか。それを読んだんだね」優香は窓に目をやった。月明かりに影を落とす中庭の植木が見える。「直之はほんとうに強かった」


 秋の目線がテーブルではなく、膝の上の刀に落ちた。


「強かったのよ。だから、ただ悪魔を殺すだけの自分に満足がいかなかった。倒すだけなら簡単なのよ。なんでもそう。壊すのは簡単。直すのはその何倍も、何倍も、むずかしい」


 優香はいったん、短刀をテーブルに置いた。


「秋」

「はい」

「手、伸ばして。あなたのいままでの闘い、みてもいい?」

「——こうですか?」


 優香は、差し出された秋の片手を両手で握った。刀を握ることでできたタコの固さを地肌に感じる。そしてふたりの手が、緑色の光に包まれる。


「え——」秋はおどろく。

「そのまま見せて。あなたの闘うすがた」


 しばらくのあいだ、優香はまぶたの裏側に秋の勇姿を映しつづけた。過去の自分が見られているんだな、と気づいた秋は、頬を赤くする。


「——納得できる。あなたが霊剥れいはぎをしたいって思うこと。とくに、小学校で女の悪魔を倒したとき。あなたのなかで、くすぶっていたものが確信に変わった。自分は悪魔を斬るだけの存在でいいのか、って」


 ふたりの手を包む緑の光がゆっくりと消えていく。手を離してから優香は、なにか言いにくそうな顔をする。


「あ、あのさ。変なこと訊くけどいい?」

「は、はい」

みおのこと、どう思ってる?」

「澪の、こと? 大事な友達です」


 そう言いながらしゅうは胸にモヤモヤとしたものを感じた。自分で友達だといっておきながら、嘘をついているような、なにか大切なことを忘れているような——気分のわるい感覚が胸に充満じゅうまんした。


「そう、友達、よね」

「あの、霊剥ぎとなにか関係が?」

「ううん、なんでもない」


 脱線した空気を整えるため、優香は大きく息を吸った。


「祈祷はする。短刀に力をもどすための祈祷を」

「ほんとう、ですか——」

「でも、いまのあなたには、霊剥ぎは危険すぎる」


 うれしさと、がっかりが同時に秋をおそった。


「なら、どうすれば——」

「蒼唵時」

「そーおんじ?」

「そこで修行をしてほしい」

「え——」

「そこに関しては銀次さんがくわしいはず」

「そこって、もしかして」

「風の能力を使う剣士たちが、力を鍛える場よ」

「そんな——修行なんて——」

「甘い」優香はすぐに刺した。「霊剥ぎをするには、あなたの風をもっと強くする必要がある。すくなくとも、いま両手で振るっている太刀を、片手で振れるようにしなさい。そうしないと、霊剥ぎはできない」


 短刀に力がもどったとしても、自分の技量が追いつかないとはじまらない。その現実を、秋は鉛玉のように重たい生唾とともに、飲みこんだ。



 時間は午後八時をまわっていた。澪と秋を見送るべく、ジェイドの皆は礼拝堂れいはいどうの大扉の前に集合した。食堂から流れるカレーの香りが、ここまでほんのりとただよっている。壁掛けランプの優しいオレンジ色の光に眠気を誘われた美鈴は、ふあ……、とあくびをした。


「みーちゃん、またあした、くるの?」


 美鈴みすずみおの人差し指を握りながらいた。


「うん、あしたも来るよ」

「やった! みーちゃんのよもつしゅごじゅつ、見てほしい!」

「それじゃ、あした——見せてくれる?」


 澪はしゃがんで目線に合わせてから小指同士こゆびどうしで指切りげんまんをした。


「おい」リクが秋に話しかける。

「ん?」

「おまえひとりで大丈夫なのかよ」

「なにが?」

「だーっから! 夜道! おまえだけで、その……」


 急に赤ら顔になり、リクは口をすぼめた。


「あー、澪ちゃんをホテルまで送りたい、でしょ?」


 見かねた栞菜かんなが代弁をする。


「ち、チゲぇって! この——モジャモジャ頭じゃデビルは狩れねぇ!」


 すると藤次がひどく冷静な顔で口を開く——


「リク、落ち着け。まずデビルを狩るのに髪型は関係ない。ヘラクレスという神話を知っているか? 彼はその腕力わんりょくを武器にハデスの精鋭せいえいたちとこうからやり合った。その彼に、髪型かみがたを気にする瞬間が一秒でもあっただろうか。いや、ない。つまり、髪型は勝敗しょうはいに影響しないんだ。わかるだろ?」


 だまって聞いていたリクの顔のパーツが、すべて下に向かってかたむいた。


「副笑いみたいな顔、ウケる」栞菜が笑う。


 困り笑顔のルイが諭すように——


「ま、まぁ、真っ直ぐにホテルに向かえば、そうそう襲われるものでもないですよ」

「大丈夫です。おれ、澪を守ります」


 秋が言った。澪は頬を赤くする。


「みーちゃん、お熱? どーしたの?」


 美鈴が心配そうに言った。


「ううん、大丈夫だよ」


 顔をもどしながら、澪は立ち上がった。


「澪」優香が言った。独特の静寂せいじゃくが流れる。「あの……、あした、ふたりですこしだけ話せる——かな?」


 言いにくそうにしながらもしっかりと伝えた。


「わ、かりました…」


 澪は視線しせんらしながら応える。


「ありがとう」安心して、優香は微笑んだ。

「すこしの時間でしたけど、い、一緒にいて、やっぱり、わたしのお母さんだなって、おもりゃ、思いました。まるで自分を鏡で見ているような、気持ちに、なりました……。またあした来ます……」

「うん、そつく、そっくりだったね、動揺すると噛むところとか、そっくりだね」


 優香は応えて、目をうるませた。ほかの面々がほっこりとした笑みを浮かべるなか、藤次だけは滝のように涙を流して、嗚咽をひびかせる。


「ぬああああぁ、親子の再会——! こんな感動的な場面はまるでラプンツェルのフィナーレではないか! かぞく、かぁぞぉく!」

「ちょ」栞菜が半目を向ける。「金長髪の少女じゃなくて、青くてもふもふのちいさいエイリアンが目に浮かぶんだけど」


 みなが笑って、軽くなった空気のまま、きょうの日はさようならとなった。





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