ー拾伍ー
「——ま、まぁ、田舎は? たしかに? く、空気がうまいし? それに、そ、そう、米もうめぇ! 水もうめぇ……」
澪の癪に触ったのを察したリクは、あわてて訂正する。
「こめ、うめぇ! みず、うめぇ! おんぶちゃんもうめぇ?」
美鈴は、澪と秋のあいだの椅子に座った。しかしおさない顔はテーブルの高さに対して、鼻から上しか見えていない。いつもは高さ調節用の座クッションを使っているので、それがないと座高を確保できない。
リクが席を立った。食堂の隅にあるカラーボックスから座クッションを手に取る。
「美鈴、ほら」
美鈴はキャッキャと浮き足立っている。リクが眼中にない。悲しくも無視されている。
代わりに澪がクッションを受け取った。リクは軽くお辞儀をする。
生唾を飲みこみながら席にもどる途中、エアコンの冷風が直接、澪に当たっていることに気づいた。リクは壁のリモコンを操作して、風向を変えてから席につく。
「美鈴ちゃん? これ置いて座らないと、ご飯食べられないよ?」
「アイシクルーゼのクッション! ありがと、みーちゃん!」
真四角の固いクッション——そのカバー生地には、氷の能力を使う女性のヒーローが描かれている。
「おまえは?」
秋が急に言った。すっかり眠っているものだと思っていたリクは不意をうたれる。質問の意味を理解するのに数秒かかった。
「カミナリ」
「ああ……」
「ビリビリするやつだよ」
「それくらい、わかる」
「風の能力は、なにができんだよ」
「なにって——」
交互に言葉を交わすふたりの口元を、澪と美鈴のコンビが顔を前、右《秋》、前、右《秋》、と動かして追う。
「悪魔を倒せる」
「——んなの当たり前だろ。技とか。闘いかた」
「風が吹く」
そりゃまぁ、そうですよね。風の能力はそうですよね——あまりに普通の答えだったので、リクは返事に困った。妙な沈黙が、空間を染める。
「——おい、どうした。食堂の雰囲気が暗いぞ。もうすぐフェアリーランドグリーンカレーが完成するというのに。これではスパイスの国の妖精が逃げてしまう。カレーの旨味が減ってもいいのか?」
藤次が部屋に入ってきた。麦茶入りのプラスチックポットと、数個のグラスが乗ったお盆を持っている。
「書斎の方がさわがしかったが、リク、なにか知らないか?」
藤次はグラスを一個ずつ、置いてまわる。目の前にグラスが置かれると、澪と秋は軽く頭を下げた。
「おれはしらねぇよ。ティンカーベルを探してた」
「そうか。おそらく双子が闘っていたというのに。優香さんの精神状態になにかあったのなら《《こと》》だぞ」
「栞菜とルイがいるから、加護力は心配ねぇんじゃね?」
すると突然、リクは前のめりになった。
下からにらむような目線で秋を見る。
「おまえ——加護力はだれからもらってんだよ」
「寺……」
「火守りか?」
「それが普通だろ?」
「——そうだな。それが……普通」
リクの顔がくもった。
「つまり、きみ——秋くんは、お母さまから加護力をいただいている、ということかな?」藤次が言った。
「むしろ、火がいらない悪魔祓い、はじめて見ました」
「世は不思議なもので、加護力といっても様々なかたちが存在する。むしろ巫女から加護力を得ているのは普通なほうだ」
「普通なほう?」澪が首をかしげる。
「討魔分隊——知っているか?」
「地元で会いました」秋が言った。「会ったというか、見ただけというか」
「そうか。討魔分隊の加護については、すこし異質なんだ」
たしかにあの一小隊の人数分だけ、寺と火守りがいることは考えにくい、と秋は思った。
「かくいうぼくも、以前は警察の人間だった」
「え——」
「といっても、実際に警官だったわけではない。科学者として討魔分隊の火を管理していたんだ」
火を維持する、とはよく使う表現だ。しかし管理するとは普通はいわない。
「管理……?」秋は怪訝を隠さない。
「そう、管理だ。もちろん、この話は機密事項だから口外はしないでほしい。きみたちを優香さんと濃いつながりがある人物として、信頼しているからこそ、話させてもらうが——」
とある地下施設がある。そこには、軽自動車一台分くらいの大きさのカプセルが一分隊ごとに四、五個ずつ設けられている。そのなかで緑色の火が絶えず燃える。
その火は分隊員の妖刀の柄にぶら下がっている〝数珠〟を介して、使用者の力を増幅させる。
「——ぼくは科学者の白衣を着て、その火を燃やすために必要な、火の三角形——可燃物、酸素量、熱量、それらを数値化して管理していた」
寺と火守り——それとは決定的にちがう無機質さを感じる。
「そのカプセルには様々な管がつながっていた。しかしぼくのような平の科学者が、ぜったいに触れることが許されない管が、ひとつだけあった」
リクもその話は初耳だ——と藤次を見た。冷たい麦茶が入ったポットが汗をかき始める。
「その管からは数滴の血液が垂れて、火に落ちていた」
しずまった食堂で藤次がゆっくり言った。
全員は悪寒を覚える。
「血? なんで血なんか」
リクがそう言って嫌悪感を表情に滲ませる。
「ぼくは、その血の正体を暴こうとした。そのせいでクビになった。すこしの量ではあるが、血が流れている以上、普通のことではない」
血を流す管は、とある一室に繋がっていた。その部屋は平の科学者達のあいだでは開かずの間と呼ばれていた。
「ぼくは、そこに入るための、ゆいいつの鍵である、一等級の責任者しか持てないカードキーを盗んでしまった。科学者としての好奇心に勝てなかったんだ。——すまない、重苦しい話しをしてしまって」
ちょうど藤次が言い終えたタイミングで、食堂から礼拝堂へとつづく廊下から栞菜たちの話し声が聞こえてきた。
「きょうカレー? やっば、最高」
食堂に入ってすぐ、栞菜が言った。重苦しい空気がやわらぐ。
「双子は?」
藤次が訊いた。ルイは微笑み、栞菜が片手でOKのサインをつくる。
「よし! 祝勝会だ! ルイ、ワゴンに食器を載せるのを手伝ってくれ。リク——ピーターも来てくれ。カレーの鍋と、ご飯が入ったジャーをここに運んでほしい」
「だれがピーターだよ」リクがしぶい顔をする。
「ティンカーベルの相棒のことだが——」藤次がひどい真顔で、「まさか、知らないのか、リク! 失望したぞ!」
「そんなことでいちいち失望すんなって」
ちょうどときをおなじくして。睦月と一月は、電車で新宿に向かっていた。凛とシキも、ビルの天辺を踏みつけて、夜空を駆けていく。
コインには表と裏がある。
朝陽が昇るならば夜闇はかならず、おとずれる。
なにかに光が当たれば、かならず影ができる。
光側の全員が、おなじ場所に集まろうとしている。
それと同時に——
闇側の全員が、おなじ場所に集まろうとしていた。




