ー拾弍ー
「とりあえずアレを訊かないと」睦月が言った。
「そうだな」一月はゆっくり、悪魔に近づく。「上位魔でもないおまえが、どうしてこんな団体行動ができる」
工場のなかは、一月の声だけがひびく。さっきまでの喧騒が夢だったみたいに思える。
「おまえの能力は、人の容姿を保ちながら、ほかの悪魔に指示を出せる——というものだな?」
「その分、戦闘能力はからっきしだけどねー」睦月が言った。
一月はさらに詰め寄り、胸ぐらをつかんだ。
「さっきの悪魔たちは––––罪のない人間たちだな? 工場で働いていただけの、なんの罪もない人間だった! おまえらに力を与えた白魔はどこにいる! 答えろ!」
「イワナイ、イワナイぃっ! ヒャハハハァッ——」
犬歯がやたら長く伸びている口内から行儀わるく飛び散る唾液が一月の頬にかかった。それでも気にとめず、怒りと力強い眼光を依頼主に押しつける。
「あんまり笑ってると、イツ、キレるよ? キレたらおれっちの比じゃないくらいから」
悪魔はいったん、しずかになった。
「てんまさま、ダヨ……」
一月は胸ぐらを力のかぎり持ち上げた。悪魔は身体をうしろに反らせて、四肢をダラリと脱力する。腕力のなすままに身を任せている。もうどうでもいいんだよ——と敗北にまみれた全身が言っている。
「もったいぶるな! 言え!」
「イワナイ、イワナイ! カンガエロ、カンガエロ……! だれもが知っている天魔さまのコト、カンガエテおびえろォっ!」
——銃声が鳴った。
緑色の閃光が工場内を一瞬染める。
弾丸は悪魔のこめかみに命中。
塵になったそいつのシャツだけが一月の手に残る。
睦月はとっさに刀を抜いた。
左を見る。銃声は左から鳴った。
一月もシャツを放り投げる。
暗がりの中からだれかが来る。
大口のフードを深くかぶっている。
ノースリーブからは細くて白い腕。
胸がふくらんでいる。
女だ。
スカートの丈は短い。赤と黒のボーダーのニーソックス。太腿にはガーターリング。花弁を縫ったような白黒のミニスカート。
黒い服の胸にはレースの白いリボン。左手には拳銃。腰には刀。彼女の横にもなにかいる。
「ゴスロリ——?」睦月が言った。
「と、犬だと?」一月は、女の横にいる生き物を見て言った。
かなり大型だ。犬種はアラスカンマラミュート。となりにいる少女ひとりくらいならば、ひょい、と背中に乗せて走りまわれそうなほど大柄の体格をしている。
「獲物、取られた。帰ろ、シキ」
ゴスロリの少女は、大型犬の頭を片手で撫でながら言った。
「待て凛。ふたりに話を聞いてからだ」
犬も、しゃべった。若い男の声が犬の口から発せられている。
「は!?」睦月がおどろく。「犬がしゃべった!?」
「おまえたち、所属、どこ」
凛は銃口をこちら向けて言った。アニメのオーディションを一発で合格しそうな、かわいらしい声。
「人にたずねるときは、自分からだ」一月が答える。
「えと、その前に、ワンチャン、しゃべれるの?」
睦月の目はいつになく見開いている。犬から目が離せない。
「おれのことはいい」犬——シキが言った。
「わたしはだれのものでもない。この子はわたしの家族。答えた。次はおまえたち。答えろ」
無感情な声が双子の耳に触れる。
「教会だ」一月が答える。
「イース? なら死ね」
凛の指は引き金にかかる。
その拳銃を磁力で取り上げようと、一月が左手を広げる。
「——待て、凛」シキが止める。「ふたりが倒した悪魔たちはイースの差し金だろう」
「なら、なぜ、教会?」凛が言う。
「イースから離反した。独立の教会だ」
「そう、なら、敵じゃ、ない」
リンは拳銃をホルスターにしまう。
「——きみらは、フリーのエクソシストってこと?」睦月があごに指を当て、首をかしげながら言った。
「……すこし話しがしたい」シキが言った。「ここは悪魔くさくて居られない」
妙な緊張感を保ちながら、みなは外へ。
シキは犬らしく全身を振るって、あくびをした。
しかし目は鋭く、振り返って双子を見据える。
「イースの闇を知っているのか?」シキが言った。
「おれたちの知っている闇とおなじなのかはわからんが、そっちが知っている闇とは、なんだ?」一月が言う。
「イースには白魔がいる」
「……いても不思議ではないな」
「おまえら、知らないのか。知ってて離反したと思った」
「おれたちの知っている闇とはちがう」
「こっちは話した。そっちの闇も教えろ」
シキはおすわりをして、耳のうしろを足で掻いた。
「人体実験の話だ。むしろ、そっちの方が有名だと思うが」
一月が言うと、シキの動きが止まった。リンも顔をすこしもち上げた。
「そうか——。離反はおまえらの意思か?」
「おれたちは司教に従ったのみだ」
「おまえらは、飲んだのか?」
シキは突然おかしな質問をした。
「飲んだ、って?」睦月が首をかしげる。
「シキ、わかる。こいつら、猿じゃない」
リンが輪をかけて疑問を膨らますようなことを言う。
「なんだ? 猿とか、飲んでない、とか……」睦月は顔をしかめる。「もしかして、おれっち、ばかにされてる? そんなに猿っぽいかなぁ……」
一月は黙って思案を巡らせる。
ふたつのヒントから、ひとつの答えが。
「晩餐会……」一月が言った。
「晩餐会? あーあったね」睦月が言った。「新宿の教会——みんなを集めて、ご馳走を囲んで。ワインとかジュースとか飲もうっていう、アレ? あれはたしか––––優香さんに止められて、おれら、行かなかったんだよね」
突然——凛がフードを脱いだ。ミディアムの白に近いほど色が薄い金髪が露わになる。その毛先はカールしている。前髪は目とまぶたのあいだで、一直線に切りそろえられている。小動物っぽい顔は、睦月のタイプにストライク。
(うわ——! めっちゃ可愛いじゃん!)
「おまえ、いま、優香って、言った。優香、司教の、こと?」
双子は一度、顔を合わせた。
「優香さんのことを知っているのか?」一月が言う。
「……」
リンは一度、黙る。拳を握る。シキはふぁ——とあくびをした。なにか、リラックスできる理由を得たようだ。
「溯乃宮、凛」
「え?」
「ん?」
双子は、溯乃宮という苗字に聞き覚えがあった。
「イース新宿支部の二大司教、溯乃宮理子の娘——」
シキが付け加えた。
「お母さん悪魔にされた、いまも、きっと、実験、されてる……っ! 優香、会わせろ! 優香なら、母さんの親友だった、あの人なら、きっと、なにか——」
双子は呆気にとられる。混乱とおどろきが混じってしかたないが、なにかがここで《《繋がった》》ことだけはわかる。
「つまり、こういうことだ」シキがつなぐ。「おれたちもイースに所属していた。離反し、いまは賞金稼ぎとしてなんとか生活している。新宿のイースメンバーが全員集結した晩餐会に出席しなかったのは、おれと凛——そして、おまえら優香組の数人だけ。くわしくはあとで話すが——晩餐会で〝水〟を飲んだやつらはみな、人間ではないと思え」
一月の脳はフルで回転した。ひとりの男が頭に浮かぶ。ええ——ええ、という独特の口癖が耳の奥で勝手に鳴る。
「優香に電話できるか?」シキが言う。
「もち」睦月が準備をする。
「目の前に溯乃宮凛がいる––––。そう言ってみろ」
睦月は番号を押して、スマホを耳に当てる。優香がいる書斎にある固定電話のディスプレイには、ムツキと表示された。
「……もしもし、睦月?」
すこし元気がない優香の声。
「あ、優香さん、ごめん、今、大丈夫?」
「どした? 依頼は大丈夫?」
「うん。やっぱ依頼主、白魔に噛まれてたっぽい」
「そう、なにか情報はつかめた?」
「いや、その前に、ちょっといまさ、わけありで」
「トラブル?」
「うーん、まぁ——とりあえず言うね」
睦月は一度、呼吸を肺に溜めた。
「溯乃宮凛——って子がいま、目の前にいるんだけど」
スマホのむこうから、やかましい音が聞こえた。書斎で尻もちをついていた優香が慌てて立ち上がった際に、コードが引っぱられて電話機が床に落ちた。雑音から耳を守るため、睦月はスマホを頭から離す。
しかし耳から数センチ離れたスマホからも聞き取れるくらいの大声で、優香がしゃべっている。
「溯乃宮!? ほんとうにそう言ったのね!? てか、凛とかわって! あの子、生きてたの!?」
優香の声は、凛の耳に届いた。こわかったよ、助けてほしかった……、そんな感情が爆発しそうになるのを、彼女はどうにか抑えた。
拳を握り、震える凛に気づいたシキは、華奢で白い、冷え性の脚に、柔らかく流れるような被毛をすり寄せた。
「大丈夫だ、凛。やっと前に進める」




