ー拾伍ー
あれから、どれだけ歩いた?
何時間。
距離はどれくらい。
なにもわからない。
暑い。
人だらけ。
右を向いても。
左を向いても。
人しかいない。
だれもが自分のことを見ている。
そんな気がする。
でも、目と目があったことはない。一度も。
冷たい。
都会の冷たさ。
ここに来た時。
新幹線を降りる時。
怖くなった。
視界に映るほとんどの人間に——
悪霊がつきまとっていた。
きっと、隙があればすぐに食われる。
悪魔化する。
なぜ気づかない?
ほら、そこにも。
高そうなスーツを着てるやつ。
肌をさらけ出して歩いてる女。
それを見て鼻の下を伸ばす男。
みんな、悪霊がつきまとっているのに。
なぜ気づかない。
気付けよ。
おかしいだろ。
こんなにたくさんいるのに。
まて。
おかしい。
火ノ花町の悪霊なら、もうすでに、こいつらの欲を食って悪魔化しているはず。
なぜだ?
なぜ、首輪をつけられた犬みたいに。
寸止めで、欲を食わずに耐えていられる?
——だれかが飼い慣らしている?
いまはそれより、澪を見つけないと。
暑い。
水が飲みたい。
どこかで買えばいいのか。
財布は——そうだ澪が持ってる。
路地裏、
人がいない。
とりあえず逃げよう。
人がいなくて、
すこしでも涼しいなら。
それでいい。
頭がクラクラする。
立っていられない。
「おい!」
だれか、呼んだ?
「ねえ、きみ、大丈夫?」
男と、女?
「こいつ、もしかして…」
こいつらには悪霊がつきまとっていない。
「リク、きっとそうだよ、この子エクソシストだ」
よかった、まともなやつもいるのか。
「あ! おい! 死んだのか!? しっかりしろよ!」
「翡ノ御・帰命——だめだ回復しない。肉体的というよりか、精神的なダメージで倒れたのかな? リク、ひとまず教会に運ぼう」
「なぁ、こいつの背中の、刀だよなこれ」
「うん、きっとそうだ。リク、おぶっていける?」
「しゃーねぇ。軽そうだからいいけどよ」
「ぼくは、優香さんに連絡しておくよ。早く運ぼう」
「こいつ、こんなヒョロいのにまじでエクソシストなのか?」
・…………………………・
数時間前。朝、六時三〇分。
ルイとリクは廃ビルにいる悪魔を倒すため、その現場にいた。ビルは歌舞伎町の歓楽街に建っていたが、その賑やかな町の中心部からすこし外れた場所にあった。
「ここか?」
ビルを見上げてリクが言った。五階建ての、さほど大きくないビル。テナントはどこも使われておらず、どの階に、どの企業が社を構えているかが分かるテナント看板も、一階から五階まで白紙の状態。
エレベーターも機能しておらず、薄暗く狭いコンクリートの階段が、お化け屋敷の入り口みたいに、その口を開けている。
「何階だ?」
リクがルイに訊いた。ルイは、錫杖の石突を地面に突き立ててから、指で鈴を弾いた。額の近くでリン…と鳴った鈴の音に、目を閉じて耳をすます。
悪魔がいる場所、そのすがた、輪郭、うめき声——それらが手に取るように脳内に描写されてゆく。この鈴の音はコウモリが出す超音波のそれと似ている。
「……四階だよ。一匹、すごく大きいのがいる。どんな技を使ってくるかわからない。慎重に行こう」
ルイは目を閉じながら言った。
「オッケ……」
リクは背中の黒革の長袋を肩から下ろし、ファスナーを一直線に開けて刀を取り出した。
鞘は深海のような濃い青色。持ち手の柄巻は純白色で、その網目から真っ黒な菱形が覗いている。
目を引くのは、鞘を走る金色の雷の模様。純金素材で作られたその装飾は、この刀がすくなからず名刀であることを物語っている。
ふたり分のスニーカーが乾いた足音を鳴らし、コンクリの階段をゆっくり登る。四階、ちいさな窓からうすい太陽光が射すだけの廊下。
真っ白な片開きドアが見えた。金属製のスチールドア。防犯にはうってつけの重厚感。
冴島弁護士事務所と書かれたプレートが貼ってあるが、その事務所自体は何年も前にここから引っ越しているはず。いまこのなかにいるのは、法律を犯した側の人間——。
数時間前まで闇金企業として困窮する人々から金を巻き上げていた、金欲に溺れきった五人の元人間たち。
リクが、ドアの前に立った。
耳を澄ます。
ドア越しに悪魔の声がする。
ルイはこくっ、とうなずいた。
いつでもいけるよ、タイミングは任せる。
——深呼吸。




