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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
33/96

ー拾弍ー


「うん、ちょっと倒れちゃって……」


 みおはホテルのロビーで電話をしている。相手はかなめだ。


「だ、大丈夫なのかい?」

「さっき、ホテルの人が救急車きゅうきゅうしゃを呼んでくれて。病院に運ばれるかと思ったんだけど。軽い熱中症ねっちゅうしょうだから、ホテルで休んだほうがいいってなって。いま、しゅう、部屋で頭を冷やしてる」


 時間は午後三時。みおが座るソファの前を、大荷物おおにもつを抱えた宿泊客達が何人も通り過ぎている。ちょうど、チェックインの時間だ。


「ほんとうはきょう、荷物を置いたらすこしでも街を見てまわろうと思ってたんだけど。きょうは、無理かな」

いそぐ旅じゃない。もう一日、連泊を延長えんちょうしてゆっくり動きなさい」

「それだとお金がかかっちゃう…」

「お金のことはいいよ。ハードスケジュールで動いて、今度はみおが倒れでもしたら、それこそ大事おおごとだよ?」

「うん…、そう…だね。余裕をもって動く。ありがとう。お父さん」

「とにかくすこしでも、どちらかの体調たいちょうが悪くなったら、その日は動くのをやめなさい。東京の暑さは田舎いなかのそれとは別物だ。体がれていない秋くんには、とくにつらいはずだ


 澪はスマホを耳に当てながらホテルの入り口を見た。あのガラスの自動ドアの一歩さきは、灼熱しゃくねつ地獄じごく。秋を連れて動くなら、早朝がいいかもしれない。


「あ、そうだ。救急隊きゅうきゅうたいの人がね、熱中症と、心労しんろうもあるかもしれません、って言ってた。てかほとんど心労だと思う」

「彼にとっては電車に乗るだけでも相当な負担だったろうね……。きょうはゆっくり休みなさい。あまりホテルから遠くに行くんじゃないよ? いいね?」

「大丈夫。きょうは動かない」

「それじゃ、かすみさんのほうには澪から連絡してくれるかい? 現場の声のほうが、安心できると思うし」

「うん。これからする。じゃまたね、お父さん」

「気をつけるんだよ」


 スマホにうつる赤い丸のマークをタップして、かなめとの会話を終えた。そのまま立神家の電話番号を探して発信のマークに触れた。しばらくして、一定のリズムをきざむ音がプツッと止まり、澪は電話の相手よりもさきに口を開いた。


「あ、もしもし、柊木ひいらぎです、澪です」

「おー! かなめむすめか! なした! しゅう、生きとるか?」


(秋のおじいちゃん!?)


「あ、え、おじいさん、ですか!?」

「なんじゃ、わしが電話にでたらおかしいか?」


(ハムスターがどうやって受話器を持ってるの?)


「わしにじゃって〝はんずふーりー〟のボタンくらい押せるよ?」

「あ、あぁ、そうですよね、なるほど」

「で、秋、倒れよったな?」


 見透みすかしたように言いだす。


「——わかるんですか?」

「かすみがの。急に火が弱くなったとさわいだのでの。いま、火の面倒を見ておる」

「さすが、伝わるんですね」

「都会の土に足をつけただけで倒れるとはのぉ。さきが思いやられるわい。ああ、都会には土は見えんか」

「きょうはこれ以上、動きまわれないので……。予定を延長しようと思うんです」

「おぉぉおぉ。わかったよ、かすみにゆうておく」

「ありがとうございます。おねがいします」

「して、柊木ひいらぎの娘や」

「は、はい?」

「ちょっと、試してみ?」

「なに、をですか?」

「良いか」


 銀次は、なにかの作法さほうらしきものを電話越しに伝えた。


「……? やって……、みます」

「そんじゃぁの。モジャモジャ頭のちびを頼んだよ」



 部屋自体はそれぞれに二部屋ふたへやとっていたが、事情が事情なので、みおしゅうの部屋の鍵を持ち出していた。ノックをしても返事がないので、ドアノブに鍵をしこみ、部屋のドアを開けた。


「秋? 大丈夫ー?」


 冷房が効いた薄暗うすぐらい部屋のベッドで、氷枕こおりまくらに頭を冷やされながら、秋はスヤスヤと寝ている。


爆睡戦隊ばくすいせんたい、ネムルンジャー…」


 どうせ聞いていないからと、わけのわからない事を言った自分の口がとても恥ずかしくなった。鏡台きょうだいの前の椅子いすを動かしてベッドの横につけてから、それに座った。


(いまだったらチューでき……)


「ばかばかばか、なに考えてるの」


 邪念をはらうように首をブンブンと横に振る。


「えと、なんだっけ。おじいちゃんが言ってたやつ……」


 みおは、銀次ぎんじの言った作法を頭の中で再生した。


「まず、空中に△を描く」


 指でちゅうをなぞる。


「次に両手を合掌がっしょう…」


 澪は手を合わせた。


「唱える、ええと——ヒノネ・キミョウ」


 先ほど澪が宙に描いた△。それが綺麗きれい翡翠色ヒスイいろひかって浮き出てきた。さながら、ライブなどで使うペンライトを三つ合わせて、△にしたかのよう。


「な、なにゃにこれ!」


 驚き、言葉がみだれる。

 目の前に浮き出た△の翡翠色の光。

 それを、指で触れてみる。


「わ、触れない。ひかってるだけだ…」


 澪の指は△の光を通り抜けただけ。しかし、光に指が触れた瞬間、心なしか指がいやされた——ような感覚を覚えた。


「え、えと、そうだ、次」


 作法のつづきを思い出して、それを実践じっせんする。


「描いた△の中心を、下から指で、縦にまっすぐ斬る」


 リン——鈴の音のような音が聞こえた。それは明らかに△の光が発した音。△はそのまま、吸いこまれるように秋の胸にやんわりと乗って消えてゆく。


「う––––」


 秋が声を発した。


「秋? わたし、なんかしちゃった! ごめん!」


 秋はむくっと上体を起こした。ボサボサの頭と眠そうな半目。けた顔が横を向く。


「ここ、どこ?」

「ホテルだよ? 覚えていない?」

新幹線しんかんせんを降りてからの記憶が——ない」

「そうなの?」

「うん」

「あれから電車を乗り換えて、新宿駅に降りてからすこし迷ったけど、なんとかホテルに来たんだよ?」

「そうなのか?」

「ほんとうに、覚えてないの?」

「うん、新幹線からさっぱり……あ」


 秋はなにかを思い出した。


「澪、新幹線しんかんせんでおれの手、握ったよな?」

「うん、握った」

「あのときさ、一瞬いっしゅんだけ見えた」

「ん? なにが?」

「おまえの左手が、緑色に光った——気がする」

「え……」


 ふたりが新幹線を降りたとき、秋はすでに失神する一歩手前いっぽてまえだった。しかし澪のもつ癒しの力が手から伝わり、くずれそうな秋をギリギリで支えていた。


 そしてホテルに着いたころ。澪がホッと安心をした瞬間、癒しの力は、ピタリとんだ。ので——秋は床に倒れることになった。


「わたしって、宇宙人?」

「目、でかいし、そうかも」

「おい」




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