ー拾壱ー
西威と仁が刀を交えた、その翌日。
秋と澪は新幹線に乗り、東京に向かっていた。白とブラウン系のカジュアルガーリーで可愛らしくおしゃれした澪。茶色のボブの髪は、天使の輪ができるほど艶めき、いつもより大人っぽさを感じさせる紅ルージュが目立つメイクも、バッチリ決まっている。
「ねぇ。なぜ上が灰色のパーカーで、下も灰色のカーゴパンツなの。いつも原色系のカラー着てるのに、なぜあえて地味路線で来たの?」
新幹線の窓際に座る澪が、通路側の秋に訊いた。車窓の景色は忙しなく通りすぎているが、田んぼの広々とした一面緑の景色がずっと続いている。火ノ花町から出発して、まだ間もない。
「派手な格好したら、なにが襲ってくるかわからないだろ? なるべく目立たないようにしないと…」
秋は刀を抱っこしながら言った。布で二重にくるまれた刀は、一見しただけではだれも刀だと気付かない。足元には宿泊の荷物が詰まったボストンバッグが置いてある。刀はいつも通り背中に背負っていないと落ちつかない。
「おれの財布、持っててくれない?」
「は、はい?」
「財布」
「え、なぜに?」
秋は上半身を折り、屈んでボストンバッグのポケットから財布を取り出した。その横を売り子のカートが通り過ぎる。
「おれ、金、使ったことないから。おつりとか、騙されて余計に支払うかもしれない。ほら東京だとレジの人、実はみんなヤクザかもしれないだろ?」
冗談で言いそうなことを秋はマジメに言う。東京をどれだけ無法地帯だと思っているのこの子!? と澪は思ったが、茶化す雰囲気ではない。本人はいたって真剣だ。
「金……、触るだけで気分わるくなる」
「え、どして?」
「これが原因で悪魔になったやつが何人もいた。そいつらを、何人も斬ってきた。だからきらいなんだ。お金そのものが……」
「そっか……。わかった。わたしが持ってる。でも払うのは折半だからね? そこはゆずらないよ」
この男はわたしがそばにいないと経済的なことはなにもできないのではないか……、と澪は思った。ともあれ、新幹線の車窓から外の景色を眺めて、ひと息をつく。
出発してからしばらく——それしかないのか、と言いたくなるほどに田んぼの景色ばかりだったが、段々《だんだん》とビルや大型ショッピングモールも現れ始めた。
「終点、東京、東京。お降りの際は、お忘れ物のないようご注意ください」
鼻声みたいな車内アナウンスが鳴った。
時間は、お昼過ぎの12時50分。
「降りるよ? ——てか大丈夫?」
澪の隣に座る秋は、ガタガタと震えている。南極の氷山の上にでもいるのかと思うほどの震え。
「い、いくら人が多くても、みんな秋のこと見るわけじゃないから、ね?」
そう言って澪は立ち上がり、頭の上の荷物棚からリュックを引っ張り出す。
秋も震えながらボストンバッグの紐を肩にかけた。両手でギュッと刀を握りしめ、なんとか平常心を保とうと努力する。
周りの乗客は我先にと雪崩れるように、せかせかと降りてゆく。
「秋?」
「——」
「ねぇ、早くしないと、清掃の人が来ちゃう」
すでに、ほとんどの乗客が降りている。
「いま行く、立つ」
すこしよろめきながら立ち上がり、通路に身を晒す。秋はボストンバッグを座席にぶつけながら、車内のせまい通路を歩いた。
「——!」
秋の足は、電車を降りる一歩手前で止まってしまう。いままでふたりがいた車両は自由席。車内の清掃が終わるのをいまかいまかと待ち、清掃が終わるや、すぐさま乗りこんで席を確保しようと目くじらを立てる群衆の列——。それに秋は怯んでしまった。
「秋、早く……! 降りてっ!」
うしろから澪が急かす。バンジージャンプに挑む直前みたいに、足が凍り付いて動かない。
「……行くよ!」
澪は秋の右手をこじ開けるようにして握った。手を繋いだまま車内からひっぱり出す。
「えっと、中央、青梅行き」
すこしでも深呼吸をすれば、途端に息が詰まって死ぬんじゃないかと思えるほどの人混みの中。澪は右手に持ったスマホと睨めっこを繰り返した。左手は、秋の右手をしっかり握っている。
「出口が、こうで、いまここだから。まずはむこうに行けばいいのよね」
頭上の案内板をキョロキョロと見まわす。秋はなすがまま、澪に従ってついてゆくしかない。ボストンバッグがだれかの躰にあたり、舌打ちが聞こえた。
「オレンジ、オレンジ、あった! こっち! ——快速、青梅行き、には乗れないね、一本待とっか」
すし詰めの満員電車に秋を乗せるのはまずい、と思った澪はあせらず、一本後の電車に乗ることにした。
ひとまず呼吸を整える。駅ホームのジメジメとした低温サウナみたいな空気がしつこく肺にたまる。
「あ、ごめん、もういいよね」
澪は手を離そうとした。しかし秋の手はカチッと固ってしまい、離れてくれない。背筋が凍りっぱなしのこの男は、灼熱の外気温など感じていないかもしれない。
「電車に乗れば、新宿はすぐだから。そしたら、まずホテルで荷物をあずけて、一休みしよ?」
秋はコクっと、人形みたいに首を動かした。
ゴチャゴチャと入り組んだ迷路のような駅構内と、その周辺の路をさまよい歩くあいだ。群衆の荒波に呑まれて、秋が溺れてしまわないようにギュッと強く、一秒たりとも離さぬようしっかり、澪は手を握ったままだった。
「ここだ、ついたぁ」
ホテルの自動ガラスドアが開いた。冷房の効いた室内から流れ出てくる、まるで天国の扉を開いたような冷たい風が、ふたりを出迎える。
「秋、ホテル、ついたよ…よかった」
廃人みたいになった秋の手を握ったまま、ホテルに入る。
「——うわっ!」
突然、澪の手が秋に引っ張られた。しかし、おかしなことに澪は床に向かって引っ張られた。背のちいさな子供に、うしろから手を引かれたようにバランスを崩してしまう。
「お客様! 大丈夫ですか!?」
フロントの接客係の女性が声を上げた。しかし、その声は、明らかに澪ではなく、秋に向けられた言葉だった。
「し、しゃし、秋! ちょっと! 大丈夫!? ねぇ!?」
そこには気を失い、ホテルの床に前のめりに倒れこむ秋が。




