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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
29/97

ー捌ー


「おっさん、みおの家に行ってくれ」


 車に乗るやいなや、秋はすぐに言った。


「お? おれぁ、てっきり賢二けんじさんのてらに行くもんだと思ってたんだが」

「ごめん、状況じょうきょうが変わった。頼める?」

「あぁ、やすいごようだ」


 須賀は車を走らせる。ふと、しゅうが予定より一時間もおくれて東子とうこの家から出てきた理由わけを考えてみた。状況じょうきょうが変わったというくらいだし、いろいろな話をしたんだろう、そう思いながらバックミラーに目をやった。


 後部座席こうぶざせきに座る秋のオレンジのパーカーの左胸ひだりむねのあたりが、明らかにれて、変色へんしょくしている事に気づく。


(すぐかんぐっちまう……。刑事けいじのわるいくせだな)


 さらに秋は、どこかスッキリした顔をして車窓しゃそうながめている。まさか、いや、ない。ありえない。秋がそんな、ないに決まってらぁ。


東子とうこさんの家、どうだった?」

「きれいだったよ」

「そ、そうか」

西威せいが買ったんだって」

「そうなんだな」

白魔化はくまかした人間て、戸籍上こせきじょうはどうなるの?」

「すくなくとも、死んだことにはなってるんじゃねぇか? まぁ、前例がねぇからお上がどうあつかうかは、わからねぇ」


 悪魔になった人間は、それがどんなすがたであっても死んだものとする——。それがいまの法律だ。


「どうした、それについて、話してきたのか?」須賀が言う。

「いや——」秋は窓に向かって、「あいつが、兄貴にまた会えたらいいなって。思っただけだよ」


    *


 数分後。

 車はみおの家についた。

 

「いらっしゃー、秋!?」


 みお頬杖ほおづえをぶっ飛ばして背筋せすじを伸ばした。


かなめさん、いる?」秋がかたなひもを肩からろしながら言った。

「お父さん、さっきまで庭の草取りしてたから、いまシャワー浴びてるよ?」

「急にしかけて、申し訳ない」須賀が頭を下げる。

「あ、よかったら上がってください。お茶を出しますから」


 秋は須賀の顔を見て、すこし気まずそうな顔をした。


「おっさんごめん。できればかなめさんとふたりで話したい」

「お、わかった。それなら、澪さん」

「は、はい」

「秋だけ、中で要さんを待たせてやってもらえないか?」

「あ、え、はい、どうぞ」


 

「どうしたの急に。何かあったの?」 居間のちゃぶ台にお茶を置きながら、澪は、座布団ざぶとんに座る秋に言った。


「うん、まぁ」

「うん、まぁ——か」

「うん」

「そ」


 このとき、澪はなぜか、秋に抱きつきたくなった。だれかに秋をとられる、そんな気がした。すごく、した。 


 お茶を運んだおおぼん

 それを胸にギュッと押し付ける。

 口はへの字に。

 目が熱くなる。

 すこし涙ぐんだ目。


「どした?」


 秋は自分の顔に何かついてるのかと思った。


「な、なんでもない…」

「お茶、ありがと」


 秋はそう言って、やたら綺麗きれいな笑顔をした。


(なに!? いまの笑顔!? こんな顔、見たことない! 私の知らないところで何かあった、そう、絶対そう!)


 女のかんぎたての刀みたいにえ渡る。ふと秋の服、パーカーの左胸の変色にも気付く。


「服、どうしたの?」

「え?」

「え? じゃないよ。なんで汚れてるの?」

「えと、道で転んだ」


(わかりやすっ! なんだこの男! 隠すの下手すぎる! 道で転んだら土とかつくでしょ! 土! でもなにがあったのか《《何故か》》すごく知りたくない……! なんなの、この気持ち)


「そ、そーなんだーへー、それは大変だったねー」


 澪はさっさと居間から出て行った。

 秋は、お茶をすする。


 どこからか洗濯物せんたくものをカゴに入れる音がしたと思ったら、つづいて洗濯機せんたくきが起動する音が聞こえた。秋は要が来るのをさとって、んんっ! とのどをととのえる。姿勢も正した。


「おや、秋くん! どうしたんだ?」


 頭をバスタオルできながら、かなめが居間に来た。白いタンクトップからの色黒いろぐろの腕には火傷の痕が多い。


「あ、すいません、突然」秋が正座せいざで頭を下げる。

「そんな、かしこまらないでよ。足、くずしていいから」要は、ちゃぶ台をはさんで座った。

「は、はい、すいません」

「どうしたんだい? 刀のこと?」

「あ、いや、その」

「ん? なんでも言ってごらん?」

「えと…い、いいですか?」

「うん、構わないよ?」

「E•A•E•C、知ってますか?」


 要の頭を拭く手がピタリと止まった。そのまま数秒すうびょう沈黙ちんもく。やばいこといたんじゃないか? と、秋が心配をする。


「つまり、こうゆうことでいいのかな? 三代賢二みしろけんじさんから、ぼくにそう言えと言われた。秋くんはいま、霊剥れいはぎのために、動こうとしている」

「はい……」

「うん。わかった。いよいよだね」


 不安そうだが、嬉しそうな、複雑ふくざつな顔。


「実はぼくの別れた妻が黄泉巫女よもつみこなんだ」

「……よもつ?」

「かすみさんが火守りだろう? その前身が黄泉巫女だ。黄泉巫女は緑の火、そのものと思ってもらっていい。だから、多くの祭壇に灯っている炎は、巫女の力を《《分けて与えられた》》もの。刀使いとおなじ数の巫女を用意するのは——現実的じゃなかったからね……」


 すこしむずかしい話だが、秋の頭にある光景が浮かんだ。


「アンパンマン、みたいなものですか?」

「あ——」要は眉をかたむけて、「そうだね、黄泉巫女がアンパンマンで、お寺に灯っている火は、ちぎって分けられたパンかも」


 はっはは、と要は笑う。


「黄泉巫女と聞いたら、祭壇の火が歩いてしゃべっている、と思えばいいよ。——そして澪はまぎれもなく、黄泉巫女よもつみこの血を引いている」


 それは自然とそうなる。

 不思議な話ではない。


「——優香ゆうか東京とうきょう新宿しんじゅくのどこかの教会きょうかいにいるかもしれない、ということまでしか知らないんだ。すまない」

「新宿の教会……」


 自分の東京行きが具体化ぐたいかしてきた。得体えたいのしれない緊張感きんちょうかんにおそわれる。


「ある日の夜、このちゃぶ台に置き手紙が置いてあった。あっさりしたものだった。かたちだけの夫婦ふうふだったから。ちいさな澪を育てるためだけの関係だったから……」

「手紙には、なんて?」


 要はしばらく黙った。その脳裏のうりには、「かーさんのおてがみ! みおもかく! てがみ! かく! おとーさんも、おへんじかいて!」と、なにもわからずに、はしゃいでいたおさない澪の顔が浮かんだ。


 要は一度、居間いまから出て、どこからか手紙らしきものを持ってきて、秋にわたした。


  教会に入ります。

  東亜とうあエクソシスト教会に、

  わたしの居場所いばしょがあると確信しました。

  もし、そのときがきたら。

  澪が巫女みこの力に目覚めたら。

  彼女に伝えてください。

  はがねと炎よりも大切なものがある、と。

  いままで、お世話になりました。


        練沐馬みそぎば 優香ゆうか



 言いたいことは一度読めばわかる。しかし秋はこの短い文章を何度も何度も、読み返した。


「この鍛冶屋かじやにも、地方ちほうから足を運んでくれる人達がいた。いろんな話を、悪魔祓あくまばらいのみんなから聞けた。そのなかには、『東京の新宿にキリストの流れをむ、悪魔祓いの集団がいるらしい』って、うわさもあった。もしかしたら、妻となにか関係があるんじゃないか、直感でそう思った。でもぼくは彼女に会う資格がない。会えるのは、澪だけだ」


 秋はいまだに手紙から目が離せない。女性らしい文字はどこか、みおがよく書く丸文字まるもじに似ている気がする。


「秋くん。お願いします」急にかしこまる、要。秋は手紙から顔を離す。「は、はい?」


 一歩うしろに下がり、要は土下座どげざをした。


「な! や、やめてください、どうしたんですか!?」しゅうはあわてる。


 かなめは、畳に頭をこすりながら、


みおを、東京に連れて行ってやってほしい。優香に会わせてやってほしい。きみになら安心してまかせられる。頼まれてくれないか——」


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