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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
28/96

ー漆ー


「なにやってんだろ、わたし」


 壁を背に、並んで座るふたりの躰はいま、拳ふたつ分ほどはなれている。オレンジ色のパーカーは、胸のあたりが東子の涙や鼻水で変色へんしょくし、背中はシワだらけ。


「ごめん、服。弁償べんしょうする」

「え? そこまで汚れてない」

「あなた、いつもそうゆうの、着てるの?」

「そうゆうの?」

無地むじのパーカー」

「あぁ」

「ねぇ、誕生日《たんじょうび、いつ?」

「知ってどうする」

友達ともだちの誕生日くらい、知りたいでしょ、普通」


(友達……)


 しゅうは、友達と呼べる人がいままで居たのかと考えた。すくなくとも、同年代どうねんだい男友達おとこともだちはいない。家族以外で付き合いがあると言えば、みおかなめ、おっさんのみ。


「ねぇ、聞いてるの?」


 うつろな秋に、東子が横から話しかける。


「あ、あぁ、ごめん」

「ちょっとくらい、わたしを視界しかいに入れなさいよ」

「ごめん」

「あなた相当そうとう罪深つみぶかいわよ」

つみ? おれ犯罪者なのか?」

女心おんなごころを無意識にりまわすっていう、大罪たいざい

「なんだそれ」

「その気にさせる魅力みりょくがあるのに、まったく自覚無じかくなし」

「魅力ないだろ。おまえおかしいぞ」

「その無自覚むじかくさ故か、ありえないくらい鈍感どんかん。苦労するわね、あのもこのさき」


 東子はテーブルに手を伸ばし、スマホを手にとった。


「いまお父さんに電話、するから」

「あ——」


 秋の返事を聞くもなしに、スマホはすでに東子の耳だ。


「もしもし、お父さん——」


 しばらく会話して、東子はすぐに電話を切った。

 すこし困った顔をしている。


「だめなのか?」

結論けつろんから言うと、会わないって」

「そう……、か」

「でも会いたくないって感じじゃ、ない」

「ん?」

「いまは会う必要がない、そんなニュアンスだった。それで、わりにこう言ってた」


 ——霊剥れいはぎを追うなら、柊木要ひいらぎかなめに、E•A•E•Cと言え——


 空気が止まった。

 お互いに、その言葉の意味がわからない。


「イーエーイーシー…? 英会話教室えいかいわきょうしつ?」


 秋は難しい顔をした。


「Eはイースト? Aはアメリカ?」


 東子はまえ頭脳ずのうをフル回転させている。こうゆう謎解なぞときは得意だ。


「ちょっと、調べてみる」東子はスマホでE•A•E•Cを検索した。「出てこない」


 それならと、まずE•Aを検索。


「アメリカの、ゲーム会社? ぜったいちがう」つづいて、E•Cを検索。「通販つうはんビジネスと、IT——これもちがうわね」


 スマホを操作する指が止まった。もっと、別の角度から検索をする必要がありそうだ。


「おまえでも、わからない…?」

「多分、組織そしきの名前だとは思う。イーストアメリカ、もしくは、イーストアジアから始まるのが妥当だとう


「ちょっと待ってて、時間、あるわよね?」


 東子は勉強机べんきょうづくえに足早で向かった。水色のノートパソコンを開き、ガチ検索を始めた。やたらと姿勢良しせいよく椅子に座る後ろ姿すがたを、秋は、呆然ぼうぜんながめるしかない。ふと、壁の時計に目をやると、東子の家に入ってから、1時間半がっていた。


(やべ、おっさん、大丈夫かな)


 須賀すがの心配をする秋を尻目しりめに、東子はカタカタとハッカーみたく指をせわしなくキーボードに叩きつけ、画面に食らいついている。メガネに四角い光が反射している。


「あ、これかも。情報としては、ちょっと古いけど——」画面を見ながら、後うしにいるしゅう手招てまねきをして見せる。「掲示板けいじばんの情報だから公式ではないし、さだかではないけど、現時点ではこれが一番有力かも」


 秋が覗いた画面には、こう書かれていた。



  @raiken.kaminari-love


  東京に来てよかった。

  地方の悪魔祓あくまばらいはダセェ。

  悪魔祓いって言葉が、そもそも、ダセェ。

  東京の悪魔ほど、甲斐がいのある悪魔はいねぇ。

  どいつもこいつも欲にまみれて腐ってやがる。

  雷切らいきりを振る価値がある。

  おれは今日から、ちがうおれになる。

  E•A•E•Cで、エクソシスト教会で。

  あんな田舎とはおさらばだ。



「なんかこいつ、なんか腹立つな」


 秋は画面に向かって、いつもの怪訝けげんな顔をした。


「田舎から、東京に行って、なにかしらの悪魔祓いの組織に入った。で、それがエクソシスト教会と呼ばれている。教会って言うくらいだから、きっとキリストの流れをんでいるんでしょうね」

「あぁ、なるほど」

「E•CがExorcist Church。これは、ほぼ決定ね」

「E•Aは?」

「東京だから、東アメリカはおかしい。しっくりくるのは」

東亜ひがしアジアエクソシスト教会…』


 ふたりの声がそろった。謎の気まずさ。


「……」秋は顔をらす。

「んんっ」のどを鳴らす東子。


 しゅうは、部屋の窓から外の道路を見た。

 須賀すがの車が路肩ろかたに止まっている。


(やっぱ来てるよなっ! おっさんごめん!)


「もう、帰る?」


 東子がパソコンの画面を見たまま言った。


「あぁ。色々、ありがとな」秋はテーブルの麦茶を飲み干した。「ごちそうさま」


 東子は椅子をまわして振り向いた。メガネが太陽光たいようこう反射はんしゃしていて表情のすべては読めないが、口元だけでもさみしそうな顔だとわかる。


「また、来て……」

「ああ。いまは、討魔分隊とうまぶんたいが町にいるから大丈夫だけど。また、一緒に闘おう」


 ぐぅ……、と東子のお腹が鳴った。

 メガネの下の頬が赤くなる。


「おまえ、ちゃんと食ってるのか?」

「料理も人並ひとなみ以上よ」

「そっか。安心した」


 秋が笑った。

 すごく良い笑顔。

 こんな顔するんだ。

 東子はそう思った。


「玄関まで送る」

「ありがと」


 くつく秋の背中に、東子が話しかけた。


「あ、ねぇ。誕生日」

「え?」

「教えて、いつ?」

「4月3日」

「そっか、シミの日って覚えとく」

「おまえは?」

「え? 私?」

「誕生日、いつなんだ?」

「8月19日」

「なんだ、ついこの間だったのか…」

「今年はだれも祝ってくれなかったけどね」

「もし東京に行くことになったら、なにか買ってくる」

「そう、まかせる。ありがと」

「センス、ないかもだけど」

「ふふっ、そうかもね」


 秋は返事代わりにすこし微笑んでから、ドアに手をかけた。開いた玄関のドアからもわっ、とした熱風ねっぷうが吹きこむ。


「こんなに暑かったのか、外」

「気をつけてね」

「あぁ、またな」

「うん」


 秋は右手を上げて玄関から消えた。

 ドアが閉まる。

 しずまりかえった、家のなか。

 またひとり。いつものひとり。


「プレゼントか」


 玄関のかぎを閉めてドアに背中をあずけた。おもむろに天井を見上げて、大きく息を吸う。


「プレゼントなら、さっき、もらった。あれで、十分よ」


 彼の残り香は——さわやかな森林しんりんのそよ風みたいな、優しい香りだった。




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