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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
27/98

ー陸ー



 東子とうこの長い髪、その毛先がの左腕に触れる。優しく、からみつくように。呼吸こきゅうの音が聞こえる。左耳。くすぐったさは、とっくに超えてる。


「——どうなの」


 まただ。

 またいてきた。

 なにを言えばいい。

 突き飛ばして逃げる?

 部屋から飛び出す?

 心臓がどうかなりそう。

 この状況がこわいから?

 どうしてこわい?


(どうしたらいいか、わからないから)


 普通はうれしい。こんな美人にせまられたら。普通は嬉しいと思うだろう。

 

 でも、ちがう。

 本心は?


(逃げたい)


 なら、好きじゃない?


(すくなくとも、恋はしていない)


 それなら言わないと。


(なにを?)


 気持ちを。


(あぁ——そうか)


 言葉を選べ。


「あの」


 秋のほほに、ヒヤッとしたものが当たった。

 東子のメガネが当たっている。


「きらいじゃ、ない」

「好きなの?」

「そうじゃない」

「なら、きらい?」

「ちがう」

「どっち」

「なんて言えばいい」

「思ったまま」

「——逃げたい」



 東子とうこは顔をはなした。真正面ましょうめん——三〇センチの距離きょりで見つめ合う。


「……ぷっ、はははっ」


 うつむいて笑いだした。


「なんだよ」

「逃げたい、だって」

「思ったまま言っただけだ」

「わたし、これでもモテるんだよ」

「——そうなのか?」

「……おっかしい」

「なにがだよ」

「あなた」

「普通じゃないことくらい知ってる」

「刀のこと以外はダメなのね」

「おれはそれでいい」


 東子とうこは、ふたたびうつむいた。なにも、言わなくなった。流れるような髪の生え際、綺麗きれい頭頂部とうちょうぶばかりが見える。ふと水滴が布に落ちる音がした。涙が秋のズボンを湿しめらせる。


「おい」


 東子はこたえない。

 いや、応えられないのか。

 ぐず、と鼻を鳴らしながら泣いている。


「大丈夫か?」

「わたしもういやだ」

「なに、が?」

ひとりが、こわい。みんな、いなくなった。お母さんは死んだ。お兄ちゃんも、死んだようなもの」

「きっと、あなただって。あなたじゃなくたって。信頼できる人なんて、つくってはいけない」

「おれなんか、がいなくたって……。おまえには関係ないだろ? だって、そんなに強いのに——」


 言葉をさえぎるように、東子はその顔を、秋の胸に押し当てた。そのまま背中に両腕りょううでをまわした。


「うそでいい。気持ちなんてなくていい。好きじゃなくていい。一度だけ抱きしめて……。おねがい……」



 秋は、ひとりでいることを、自ら望んだ人間。それとは、対照的たいしょうてきに、彼女はひとりでいることをいられた人間。


「おねがい……」


 秋のパーカーがなみだで濡れ、

 そのねつが肌にまで伝わってきた。

 なにもできない。両手のひらはカーペットをさわっている。

 躰が石化せきかしたみたいに動かない。


 なぜ、動かない?


緊張きんちょうしているから)


 どうして?


(こんな経験、ない)


 目の前で泣いてる東子なんてどうでもいい?


(そんなことない)


 それは、どうして?


(仲間だから)


 自分の気持ちなんて、いまは関係ない。そうだろ。彼女の心が悲鳴をあげている。どれだけ役にたつのかわからないけれど、なにもできないわけじゃない。



 秋は、東子の背中に両腕りょううでをまわした。

 そのまま力をこめた。

 不器用ぶきようだった。

 手が震えた。


 でもそんなこと、わからなくなるくらい東子は大声で泣いた。赤子あかごみたいに。コーラのかんを何度も強く振ってから開けたみたいに。とめどなく流れる涙と、とめどなくあふれる声が。


「泣いてもいいと思う。そうゆうときくらい、あったっていい」

鈍感どんかんのくせに、そんなセリフ言わないで」



 ・…………………………・


 自宅の駄菓子屋だがしや店番みせばんをしていたみおは、落ち着かなかった。


「また胸さわぎ。変なの……」


 独り言をこぼし、おもむろにポケットからのスマホを取り出すと、なんとなくネットニュースを観た。


《人気ユアチューバー、ココにゃす、悪魔化して死亡か。花町ばなちょうで、悪魔の目撃例もくげきれい増加中ぞうかちゅう


「え、これ、闘ったの、たぶん秋だよね」


 澪はニュースのコメントらんを見た。


《やっぱ、かれると思ったよ》

《実際、再生数稼さいせいすうかせぎに取り憑かれてた件》

《ゲーム実況じっきょう、配信してるだけでもよかったのにな》

《親がすでにある意味、悪魔だった説》

《悪魔化ココにゃすの戦闘シーン、はよ》


 などと野次馬的やじうまてきなコメントが並んでいる。所詮、他人事なんだな、と思いながらスマホの画面をオフにする。


「こんちわあぁ!」


 突然、近所きんじょの子供が、駄菓子だがしを買いにきた。丸坊主まるぼうずの、青い頭をしている小学生。見た目も雰囲気ふんいきもクソガキという言葉がぴったり当てはまる。


「あ、いらっしゃい」

「うめぇ棒、買いにきた!」

「どうぞぉー」

「あ、澪ねえちゃん、ふられたんだ!」

「はっ!? なんでそうなる」

「クラスの女子がふられたときとおなじ顔してた」

「変な勘を働かせるなよ、ちびのくせに」

「ずぼし! ず、ぼ、し!」

「うぜぇ。きょうはうめぇ棒一本100円ね」

「えぇ! なんんでえぇ!!」


 ——秋を好きになるんじゃなかった。

 鈍感どんかんで。

 なにもさっしない。


(まさか東子とうこさんの家に……? ちがうよね。きっと、ちがうはず)


 ふたたび、大きなため息を澪はついた。すると、嬉しそうな顔でクソガキがレジに駆け寄ってきたと思ったら目の前に10本のうめぇ棒が雑に置かれた。クソガキがにっこり笑って、カエルの形をした財布から100円を取り出し、レジのキャッシュトレイに置いた。


「10円、足りないよ」

「なんで! それじゃ一個いっこ11円じゃん!」

「しょーひぜい」

「あ」


 クソガキは財布の中をのぞき込むと、顔がくもった。

 100円玉しか持ってきていないらしい。


「いっこもどしてくる」


 悲しそうに言って、うめぇ棒を一本、手にとったクソガキ。その背中は哀愁でいっぱいだ。


「いいよ」

「え?」クソガキは振り返る。

「10円、おまけ」

「ホントに! やったー! おれ、結婚するならみおねえがいい! デカくなったら結婚して!」

「ばーか。先約せんやくがあるんだよーだ」

「えー! だれぇー! だれぇー!」

「ひ、み、つー。はやく帰ってボケモンでもやりなー」

「ちぇーっ! じゃあねー澪ねえ!」

「気をつけてねー。蚊に刺されんなよー」

「うん!」


 クソガキは、子供用のマウンテンバイクに乗って帰った。

 しずまりかえった店内。きょうは要も金槌を置いている。

 澪は、頬杖ほおづえをついて、ぼそっとひとり言をこぼした。


「あの鈍感爆弾男に先約なんか、いたりしないよね……」





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