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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
26/97

ー伍ー

 刀闘記とうとうきを読んだ日から、一週間が過ぎた。秋はこれまでけずっていた睡眠時間すいみんじかんを取りもどすように毎日二〇時間はた。


 布団ふとんで死んだように熟睡じゅくすいし、そのうちにかすみに起こされて一日一食いちにちいっしょくを食べ、シャワーをびるためだけに起き、それらを済ましたらまた寝る。げっそりとせたほほも、目のクマも、血色けっしょくを取りもどしてきた。

 

 須賀すがは、しゅうの自宅をたずねた。セダンのフロントガラスは新しくなっている。


「秋がいつも、お世話になってます」


 茶色の作務衣さむえに身を包んだかすみが、頭を深々《ふかぶか》と下げながら出迎でむかえた。


「あぁ、いえ、とんでもない、世話になってるのはこちらのほうです」


 須賀はペコペコし、右手で頭をいた。服装ふくそうはストライプが入った水色の半袖はんそでワイシャツ。足元は黒色のジーンズに、ちょっとお洒落しゃれな茶色の革靴。ラフな格好かっこうからしてきょうは非番ひばんのようだ。


「秋は?」

「例によって、寝ているの。起きるかしら」

「あ、いえ、無理に起こさなくても、また出直でなおします」

「そんな、せめて、上がっていってください。お茶を飲んでいる間に、起きると思いますから、いや《《起こしますから》》」


 かすみはそう言ってニッコリと微笑ほほえむ。須賀すがはその満面まんめんみからなぞ殺気さっきを感じつつ、お茶をいただくことにした。ふかふかの座布団ざぶとんに正座をすると、目の前に羊羹ようかん緑茶りょくちゃが並べられた。


「ちょっと待っててくださいね、いま、しゅうを見てきますから」


 そう言ってかすみはふたたび微笑む。

 どうも、ふてきな笑みだ 


「お手柔てやわらかに……」須賀は苦笑いを見せる。


 ふふっ……と、軽く会釈えしゃくをしてから、かすみは秋の部屋に向かった。ふすまを開け部屋に入った。


 八畳の部屋の真ん中に、布団にくるまった秋がいる。布団のすぐそばにかたなが寝ている。その他には、勉強用の机と本棚ほんだながあるだけでテレビなどの娯楽ごらくはいっさいない。


 和風の拘置所こうちしょと言われても違和感いわかんがないくらいに閑散かんさんとした一室いっしつ


「須賀さんが来たわよ、秋」


 しゅうの頭の横に正座をし、声をかける。


「ずっと寝るのもいいけど、それはそれで毒よ。すこしは体を動かさないと」


 しかしピクリとも動かない。

 かすみは、秋の耳元に顔を近づけた。

 羽音はおと真似まねた音を、のどで鳴らす。


 耳障みみざわりな音に、秋は、自分のほほ無意識むいしきに叩く。ペチ、と軽い打音が鳴った。


「……ん」

「おはよう」

「母さん?」

「須賀さんがおみえよ」

「え……?」

「ほら起きて、ご挨拶あいさつしなさい」

「……わかった」


 ふたたび秋は寝た。

 かすみは一度、部屋から出た。

 どこからか銀次ぎんじつかまえてもどってきた。


「おぉ、なんじゃ、かすみ、わ、わしを捕獲ほかくするでない!」


 かすみは、横向きで寝る秋の頬に銀次を置いた。ふところからひまわりのたねを取りだしてあたえた。


「おぉぉ! 種じゃ! 種!」


 悲しいかな、ハムスターとは好物こうぶつがあるとその場でそれをむさぼることがある。頬にチクチクと爪や種のから地味じみに刺さる。


「……っ! 虫!!」


 秋は布団をひるがえして飛び起きた。


「なんじゃぁ!」


 ちゅう銀次ぎんじ

 おなじく宙を舞うけ布団。

 すべてがスローモーション。

 正座のかすみは両手ですくうように銀次をキャッチする——


 忍者のように姿勢を低く、戦闘体勢せんとうたいせいをとる秋——の頭に掛け布団がかぶさる。


「おはようございます」


 秋は呆気あっけにとられながら、


「お、おはようございます」


    *


 むらさきのタンクトップに黒い短パンの寝巻ねまき姿のまま——ボサボサの頭をきながら、しゅう須賀すがのいる居間に来た。悪魔と闘っているときとは、まるで別人のような秋を見て、思わず笑ってしまう。


「いつからアフロになったんだよ」

「え?」

「よく休めたか?」

「あう?」

「まだ、寝起ねおきで頭が回らないか…?」

「え?」


 起きたのは身体からだだけだな、と須賀は思った。


東子とうこに電話して、おっさん」と秋は言った。一秒もないうちに目が覚めたようだ。読めない男だ。「父さんについて、訊かなきゃならないことがある」

「東子さんというよりかは、賢二さんにか?」

「うん。とりあえずあいつの許可をもらわないと」

「行くとしたら、いつがいい?」

「むこうが大丈夫なら、きょう」

「きょう、か」

「おっさん、いそがしい?」

「いや、きょうは非番ひばんだ。すこし待ってろ」


 胸ポケットからスマホを取りだして、須賀は電話をかける。何回かのコールでつながった。


「もしもし、先達はどうも、須賀です」

「どうも」東子の声がする。

「その——体調は変わりないですか?」

「えぇ。きょう、空いてますよ。彼、来る気あるんですか?」


 すべてをさっしたように東子は話を進める。

 須賀すがは横に目線めせんをやった。

 秋はうなずく。


「では、午後の1時に、秋をれて行こうと思うんですが、よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

「では、そのように」

「よろしくお願いします」


 ブツッ、プー、プー、と通話が一方的に終了したことを知らせる無感情な音が須賀の耳の中を抜ける。


「行く意味、あるのかな」


秋が言った。迷いがあるようだ。


直之なおゆきさんのこと、くんだろ?」

「父さんの遺書いしょを読んだ」

「そうなのか?」

「三代賢二と、父さん。そして、霊剥ぎが密接に関係している。父さんとはもう話せないから——」

「なるほどな……」須賀は茶をすすった。「東子さんとの話が終わって、こっちにもどる時に、ラーメンでも食いに行こう」


 秋は突然のさそいにおどろいた。

 

「なんで、ラーメン?」

「たまにはガツンとしたもん、食ったほうがいいぞ? それに、面倒な用事には楽しみをくっつけたほうが動きやすいってもんよ」

「いいよ、うちで食べるから」

「いいから、いっぺん、行ってみようや。美味うまいとこ知ってるんだよ——しかし、まずそのアフロをなんとかしないと、出かけらんねぇぞ」


 秋は、頭をワサワサとさわった。

 いつもより毛量もうりょうが多い気がする。


「シャワー入ってくる」


    *


 住宅街じゅうたくがいのモデルハウスのような、いたって普通の一軒家いっけんやのそばに、須賀の車は止まった。


「普通の家だね」

「ここでまちがいないな」

「おっさん、ついて来れないの?」

「ダメだろ。あなたがいるなら話しませんとか、冷たーく言われそうだ」

「……行ってくる」

「1時間くらいしたら、もどればいいか?」

「1時間!?」秋は声を張った。「30分でいい。30分でカタをつける…」

悪魔あくまと闘うってんじゃないんだから、そうかまえるなよ…」

「おれにとってはある意味、悪魔だよ」


 そう言って秋は車からりた。車がゆっくり離れていく。オレンジ色の半袖はんそでパーカーと、黒のカーゴパンツ。白を基調きちょうにしたハイカットスニーカーをき、刀が入った長細ながぼそ布袋ぬのぶくろ背負しょったひとりの男子高生は、自他共に認める優等生の女子高生——その自宅の前に、ポツンと置き去りにされた。


「………よし…」


 360度、どこから見ても緊張きんちょうしていると分かるほどガチガチな面持おももちで、秋はチャイムを鳴らす。いますぐ逃げだしたいと思うほど、血がサーッと引く感覚がする。


 ドアが開いた。


「どうぞ」


 東子とうこがドアから半身はんみを出してむかえた。首元くびもとひろめで、肩も見えそうな白いTシャツに、太ももがほとんどあらわになるほどたけの短いルーム用のショートパンツ。いつもはストレートで下ろしている黒髪くろかみ長髪ちょうはつは、左右にツインテールで結ばれている。


「おじゃま、します」


 b爽さわやかで甘い、女性用の香水こうすいのようなかおりがただよう。


「これ、いて」秋の足元に来客用らいきゃくようのスリッパが置かれる。

「ありがとう、ございます」


 ガチガチに応え、くつを脱ぎ、ふるえる手でそろえる秋を見て、東子はクスッと笑った。


「なに、そんなに緊張きんちょうしてるの?」

他人ひとの家に来たこと、ない」

「そ——。ま、なんでもいいけど。こっち、来て」


 玄関からすぐの階段かいだんを上がった。三つほどある部屋のうち、一番奥の部屋のドアを東子は開けた。


「入って」


 青を中心にいろどられたインテリア。

 ベッドカバー、カーペット、カーテン——。

 全てが海の色のような、濃い青空のような。

 綺麗な蒼色で統一とういつされている。


「ここ、座って」


 東子はすわ心地ごこちが良さそうな、むらさき肉厚にくあつ座布団ざぶとんを指差す。


 秋は緊張した面持ちでそこに正座をする。刀を背中から下ろして右側みぎがわに置いた。


「お茶を持ってくるから。足、くずして」


 そう言って一度、東子は部屋を出た。

 壁がけ時計の音が秋の耳にやけにひびく。


「お待たせ」


 麦茶のポットとグラスが白いテーブルに並ぶ。


「あり……、がとう」もじゃもじゃ頭がぺこり。


 東子はテーブルをはさんで反対側はんたいがわの座布団に座った。座布団カバーには、氷の力を使うアニメのヒロインがかれている。


「新しい家なんだな」

「お兄ちゃんが、警察けいさつに入ってすぐに買ったの。ローンで」

西威せいが?」

「そう。東子とうこみじめめな思いはさせないよって、言って、ね。まぁ、もう人間ではないけれど」


 窓の外を見て、遠い目をする東子。

 メガネに、太陽光たいようこうが軽く反射はんしゃした。


「あのさ。読んだんだ。遺書、父さんの」

「あら、そうなの?」

「そこに書いてあった」

「わたしの父が、左腕ひだりうでを亡くしたこと?」

「……おれは、霊剥れいはぎを成功させたい。そのために、賢二けんじさんと会わなきゃいけない」


 東子はすこしを置いた。それは次第に深く、長い、海の底に沈むような沈黙ちんもくへと変わっていく。壁掛かべかけ時計の音が増して耳に響く。


 自分の心臓の音すらもよく聴こえる。

 東子は、体育座たいくずわりでひざを抱えて、

 自分の足の爪を触っている。


「あの……」秋がしびれを切らした。「賢二けんじさんに、会ってみたいんだけど……」

「いいわよ。連絡、とってあげる」


 あっさり、OKがもらえた。

 さっきの沈黙はなんだったのか、というくらい。


「いいのか? 早ければきょうにも、おっさんに連れて行ってもらえるけど——」


 しかし東子は突然、つんいで近づいてきた。


「——っ! なんっ! なにして——!」


 座ったまま後ろに逃げる。

 すぐに、かべに背中が当たった。

 東子は女豹めひょうのように近づいてくる。

 Tシャツの肩がはだけて、下着したぎひものぞく。

 行き場を失った秋の、顔の真横に自分の顔をせた。

 黒く乱れのない髪から、椿ツバキの香りがする。

 口元を左耳に近づける。

 ささやくようにそっと——女らしい声。


「わたしのこと、どう? ——おもう?」











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