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刀闘記  作者: 燈海 空
恋愛針筵 篇
24/98

ー参ー

 

 銀次ぎんじはヒョイッと小さな躰を起こし、両手りょうてでわしゃわしゃと毛繕けづくろいをした。


刀闘記とうとうきを見るんじゃよ。立神秋」


 あくまで自然のながれだった。急にフルネームを言われると思わなかったが、ここは茶化ちゃかすところではない。自然体ながらもするどい気迫が銀次から伝わる。


「とーとーき?」

「かすみ、蔵の鍵を——」

「はい……。秋、蔵の場所はわかる?」

本堂ほんどううらにある小屋みたいなとこでしょ?」

「本堂で待ってて。鍵、持っていくから」

「わかった……」

「蔵にけば躰がほこりっぽくなるからシャワーは後じゃの。まずは、本堂の火に帰還報告をせい」


 銀次に言われながら、秋は本堂に行く。かすみが一晩中ひとばんじゅう、座っていた座布団ざぶとんに正座をし両手りょうてを合わせた。


昨晩さくばんは、あつかったのぉ」右肩の銀次がこぼす。

 秋は、合掌がっしょういた。

「火、れた?」

「あーそりゃーもうユラユラとな」

「母さん、熱くて大変だったよね」

「なぁに。お前のことをおもえば、なんてことない」


 ふたりが話していると、間もなくかすみが本堂にきた。


「秋、かぎもってきたよ」


 秋は正座せいざから立ち上がった。

 かすみの方へ歩いて、かぎを受け取る。


「ありがと」

「蔵、汚いと思うから。足元あしもと気をつけてね」

「うん」


 本堂の裏口を出る。雑草ざっそうや、無造作にびきったまつの木の枝がうっとおしい。


「さすがに手入れせんとならんな」銀次が言った。「ぼーぼーじゃて」


 地面に多いしげる雑草から、わずかに見えるいしを頼りにくらに向かう。


「ここ……、か」


 蔵は2メートルほどの高さで、はばは約10畳の一部屋ひとへやほど。漆黒しっこく瓦屋根かわらやね黒光くろびかりし、白塗しろぬりの外壁がいへきには、びっしりと生えた濃緑のうりょくこけが古びた風情ふぜいを演出している。木製の扉の入り口は1メートルほどの高さしか無く、小柄な秋でもかがまないと中には入れない。


何年なんねん、だれも来てないんだ、ここ…」


 入り口の南京錠なんきんじょうをガチャガチャとかまいながらしゅうが言った。南京錠はびていて、かぎがうまく回らない。


「わしがこの躰になった時、以来いらいじゃて。九年か、そこらかの」

「九年……」


 秋はおそるおそる木のとびらを開いた。

 扉はスライド式。

 右側みぎがわに扉をスライドさせる。


「意外とあっさり、戸、動いたね……」

潤滑じゅんかつのロウが、まだいとるの」

「––––ん! えっほっ!」


 蔵の中から舞って出てきたほこりに、秋がむせた。


「大丈夫か? さすがに、ほこりっぽいのぉ、えーきしっ!!」


 ハムスターもくしゃみした。


「うわ、想像以上そうぞういじょう……」


 扉から差し込んだ光は、蔵の中をらした。木製の棚が所狭ところせましと置かれ、その至る所に、木刀ぼくとう竹刀しない、古い書物しょもつらが整頓せいとんされて置いてある。


 薄暗うすぐらく、ジメジメとしてカビ臭い。加え、ひとたび躰を起こせば、すぐに頭をぶつけそうなほどに天井てんじょうが低い。秋は中腰ちゅうごし姿勢しせいで中に入った。


「この本は……、なに?」


 秋は棚の本を一冊いっさつを手にとった。ペラペラとページをめくってみるが古い漢字が羅列し、意味は全くわからない。埃ばかりが舞う。


「なに書いてあるの? これ」

「そっちのは火守ひもりの経本きょうぼんじゃよ」

「母さんもこれ読んだの?」

「いや、いまはもっと読みやすいのが寺院にあるから、これは読まんよ」


 蔵のおくに目をやると、入り口からの光が、小さな木箱きばこ半分はんぶんだけ照らしている。


「おぉ、あれじゃ、あれ、あれを取れ」


 銀次が言うと、秋はかるく息を止めながら、蔵のおくすすみ、木箱を手にとった。


「おし、良いよ、さっさと出よう」


 逃げるようにして蔵から出て、新鮮な空気を味わいながら木箱を地面じめんに置く。


「これ……、開けられるの?」


 きりで作られた白い木箱。フタミ式のかぶせ箱で、鍵や取手などの装飾は一切ない。さらに四つの角をくぎで打ちつけられており、まるで封印でもされているかのよう。とても素手で開けるとは思えない。


「刀のつかで釘を叩いてみ?」


 刀のひもを肩からろし、柄頭つかがしらで釘をノックする。するとくぎは、みずからニョキッ、と木箱の角から抜けた。


「まじかよ……。手品みたい」

「まじじゃよ」


 残る三つのくぎも、おなじ所作であっさりと木箱から顔を出した。


「開けてみ?」

「うん……」


 おそるおそるふたを持ち上げる。木箱の中には短刀たんとうが一本。その下に古い本が一冊いっさつ。さらに本の上には片眼鏡モノクルが一個ある。


「なに、これ?」


 箱の中身が理解りかいできず、秋はむずかしい顔をした。銀次ぎんじはひとつひとつ丁寧ていねいに説明をするつもりで、秋に優しく語りかける。


「まず、短刀たんとうを持つんじゃ」


 言われるままに短刀を持ち上げる。


「軽い……」

「抜いてみ?」

「うん……」


 秋は短刀を抜いた。


刀身とうしんが、緑?」


 短刀の刀身は、緑色の水晶すいしょうのようなもので出来できていた。


翡翠ひすいじゃよ。まったくにごりのない、純翡翠じゅんひすいじゃ」


 目を見開いて短刀たんとうながめる。

 その柄頭つかがしらを見ておどろく。


はり?」


 短刀の柄頭つかがしらから、一〇《じっ》センチほどのほそい針が伸びていた。これも、翡翠ひすいで出来ている。しかし、この針。箱におさまっていた時には見えなかったはず。


「どういうこと?」

「いま一度いちどさやおさめてみ?」

「うん……」


 短刀がさやおさまると、針もシャキッ、と音をらし、柄の中へ消えた。


 何度も短刀を鞘から抜いたり収めたりしてみると、そのたびに針も顔を出したり、隠したり。


「なんなの……、これ」

霊剥れいはぎの短刀たんとう。じゃよ」


 き通ったい緑色の刀身とうしんは、景色けしきを透かせて見せた。その綺麗な刀身をいくらながめても、これがどうして霊剥れいはぎにつながるのか、秋にはさっぱりわからない。


「ほれ、片眼鏡モノクルも、とってみ」


 普通のまるメガネの右半分みぎはんぶんだけを切り落としたような見た目。左側にしかないテンプルから、細く長い、ぎんで出来たチェーンがれ下がっている。


「かけてみ?」


 銀次にしたがい、片眼鏡モノクル左目ひだりめにかけた。は入っておらず、目はいたくない。景色けしきも、なにも変わらない。


「なにも変わんないよ?」


 キョロキョロと景色を見回みまわす。


「わしを見ろ」


 秋は、銀次に視線しせんを落とした。


「え……、えぇ!?」


 片眼鏡モノクルを通してみた銀次は、レントゲン写真しゃしんのそれだった。色味いろみこそちがえど、ほねが見え、心臓しんぞうらしき影が脈打みゃくうっている。


 なにより目を引いたのが、銀次の心臓近くにある、米粒ほどの大きさの、赤くひかかたまりだった。


「なに……、これ」

霊魂視鏡れいこんしきょう。そう呼ばれとる」

「れいこん、しきょう?」

「それでもって、体内のたましいの場所と、取りいた悪霊あくりょうが躰のどこに巣食すくっとるか、わかる」

「これで霊の場所を探して、短刀たんとうの針で、突く?」

さっしが良いの」

いたら?」

「躰かられいが飛び出る。それを翡翠ひすいで斬る」

「それなら簡単かんたんに人にもどせるじゃん……!」


 銀次は、秋に背を向けた。三歩さんぽ二足歩行にそくほこうしてから残念ざんねんそうに口を開いた。


「パンじゃよ」

「パン?」

「人のたましいを、パンだと思ってみ?」

「うん……?」

悪霊あくりょうが躰に入ると、魂をかじりにゆく。個人差こじんさは、あるが、その者のたましい強靭きょうじんなら、かたいし、かじるのも時間がかかる。アンパンよりフランスパンの方が食いにくいのとおなじよ」

たましいが半分でも、それ以上でも……、食われた状態じょうたいなら、人にもどったとしても」

感情かんじょうの一つや二つ、欠けたままになる」

完全かんぜん状態じょうたいで、人にもどすのは……」


 取りいてすぐでもないと、無理な話だ。


「しかもじゃ、下手すると人の魂も丸ごと一緒に飛び出てしまう。悪霊が、その者の魂をかじって離さんかったら、まずそうなる」


 銀次は、トコトコと可愛らしく歩き、きりの箱に近づいた。


「これを読んでみ。全部、書いてあるよ」


 短刀と片眼鏡モノクルを木箱のふたの上に置いて、きりの箱から本を手に取った。


 情緒じょうちょある和綴わとじのノート。いままで本の表紙ひょうしはこそこめんしていたらしい。深緑色ふかみどりいろの表紙、その左上に長方形の空白がある。


 縦書たてがきで、〈刀闘記〉と書かれていた。


 ページをめくると。手触てざわりの和紙わし感触かんしょくが、指に心地良い。和紙には真っ黒なすみで、綺麗きれい整列せいれつした、縦書たてがきの文字が流れる。


 ——ここにしるすのは、刀によって、悪魔あくまたたかった記録——それというより、私自身がおのが刀と闘った記録でる——


「父さんの字だ」


 ひさびさに父をじかに感じた気がする。涙腺るいせんが熱くなった。本をらしてはならないと思い、なみだこらえた。すこしふるえる指で、ページをめくる。



 《5月13日》


 ばな市街しがいはずれで、悪魔を確認。金欲きんよくの、下位魔かいま。カネだ、カネだと、うるさい。後日ごじつ須賀すがから、銀行強盗ぎんこうごうとう計画けいかくをしていた者と伝えられる。


 迷わず斬ったが、果たして死罪しざいあたいしたのか。



 《5月21日》


 花山峠かざんとうげふもと駐車場ちゅうしゃじょうにて、複数ふくすうの悪魔を確認。単身たんしん、乗り込もうとしたが、三代みしろもいた。


 共闘きょうとうの末、悪魔は全滅ぜんめつ上位魔じょういまの存在は確認できない。派手はでなバイクが何台もあったので、おそらく、暴走族ぼうそうぞくたぐい。三代の太刀筋たちすじは、冷徹無慈悲れいてつむじひ。しかし根は優しいと思う。



 《6月2日》


 悪魔を斬った。女の悪魔。病気の夫に先立さきだたれたシングルマザー。須賀すがの話では、生活苦から、子供に虐待ぎゃくたいを繰り返していたらしい。悪霊あくりょうのエサとなった欲は『幸せになりたい』その一心いっしん


 シアワセ……と、連呼れんこしていた。そんな欲も食らうのか。悪霊あくりょう許すまじ。結果として、子供はすくわれた。しかし人としてつみつぐなえば、まだ、更生こうせい余地よちはあったはず。斬ることしかのうが無い、おのが刀がにくい。



 《6月13日》


 じじぃと喧嘩けんかしながら、霊剥れいはぎの短刀たんとう霊魂視鏡れいこんしきょうを、なんとか蔵から引っ張り出す。これで、悪魔を人にもどす。もどしてみせる。



 《6月20日》


 男の悪魔。須賀の調査だと、出世欲しゅっせよくにかられ、同僚どうりょうが仕事で大失敗だいしっぱいをするように仕向しむけたとか。それが成功した日の夜。『これで出世だ、俺はやった』とかれる男に、悪霊あくりょうが取りいたのだろう。三代みしろとともに、その男を悪魔から人にもどそうとこころみる。


 しかし、最悪さいあくな結果に終わった。闘う場が、そいつの自宅付近じたくふきんだったのがいけなかった。悪魔化あくまかした主人の名を呼ぶ妻に、悪霊あくりょうは乗りうつりやがった。速かった。いや、おれが迷った。


 霊魂視鏡れいこんしきょうで見た悪霊は、男のたましいを丸ごと、躰からひっぱり出した。いま斬ったら男の魂まで斬ってしまう。そう思った矢先やさき、妻の方が悪魔になった。


 ここまでくると、優香の手を借りてでも成功させないといけない、という焦りさえ芽生える。




 直之が、悪魔あくまを人に戻すための失敗を繰り返し、イライラしているさまが書きつらねられていた。ある程度ていどページを進めると、急に短い文章ぶんしょうで、日記が途切とぎれていた。


 ページをめくる手も、文字を追うひとみも。

 そのたった一文のために、ピタリと止まった。




 《9月8日》


 三代が、片腕を失った。おれのせいだ。霊剥ぎを封印する。


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