ー壱ー
緑色の火が猛々《たけだけ》しく燃え上がる祭壇の前で夜通し座り、火守りの経を唱えていた立神かすみと銀次は、その場で仰向けにひっくり返った。
「終わり、ましたね」
かすみの紺色の和装は汗でびしょ濡れになり、その色合いは黒に近くなってしまった。肩からうっすらと浮き出た〝塩〟が、かすみが流した汗の量を物語る。脱水状態なのはまちがいなく、給水をしたいが、それすらもめんどくさいと思うほど、全身に力が入らない。
「秋はいったい、なにと闘かったんじゃ」
「長い闘いでした…」
「……」銀次はおもむろに、「蔵の鍵はもっとるな?」
「はい、金庫の中にあります」
「いよいよ〝アレ〟を秋に見せるときやもしれん」
「アレと言うと?」
銀次は、祭壇に灯る緑色の炎を見上げた。
「刀闘記を秋に見せるときじゃ。白い悪魔がでおったんなら」
かすみの顔つきが変わった。察したような、なにかを覚悟したような顔。いまはあえて、それ以上たずねようとはしなかった。
「ひとまず、お水を飲んで、お風呂に入らないと…」
「じゃの。さすがにわしも、干し柿みたいになってしまうて」
「あの、すいませんでした」澪は横を向き、運転する須賀に話しかけた。「スクーター、学校に置いてきちゃって」
澪が小学校に駆けつけた時に乗っていたスクーターは、警察がトラックを手配し、澪の自宅に運ぶ流れになった。
夜中に駆けつけたんだ、疲れているだろうから、なんも考えずにおれの車に乗って帰ったらいい——そう言った須賀の配慮だった。
「しっかし、なんだって小学校で秋が闘っているとわかったんだ?」
「あ、それは……」澪はポケットからコンパスを取りだした。「このなかに転がっている玉が、秋の刀のかけらなんだそうです。それが、方角を教えてくれて」
「へぇ、そんな便利なもんがあんのか。うちのガキもおっそくまでゲーセンかなんかで遊んでるから、おれもほしいな、それ」
「息子さんが妖刀を持ってないと、意味ないですよ」
「そうか、そりゃだめだな」
「——あとは、ざわざわしたから、なんか眠れなくて……」
そう言った澪の横顔に、須賀は優香の面影を見た。だがいま、お母さんは元気してるか? などと口にするほど無神経ではない。
澪はふとサイドミラーを覗き込んだ。刀を抱っこして、座りながら頭を垂れて寝息を立てる秋のすがたが映った。
「寝てるか?」須賀が言った。
「はい、ぐっすり」澪がサイドミラー越しに見た。「あ、あの……、訊いてもいいですか?」
「お? なんだ? おっさんに分かることなら、なんでも訊いてくれ」
「え、えっと……」
須賀を人生の先輩と見込んで、澪は相談をしてみることに決めた。
「と、東子さんは、秋のこと好きだと思いますか?」
「どうだろう。犬猿、って感じに見えたが」
「そう……。ですか……」
雰囲気からして、澪が秋に想いを寄せていることくらい、中年歴戦既婚男性の須賀には察しがつく。
「……ん? おっさん、ここ、どこ?」
「もうすぐ澪さんち、着くぞ」
「——あ、そういえば澪、あれ決めたのか?」
「あれって?」
秋はいたって普通に、日常会話の延長できょうは天気がいいね、くらいの感覚で——
「ほら、婿に鍛冶屋に継いでもらうって話。要さんだって弟子ができたらうれしいだろうし」
このバカ——! と須賀は喉まで溢れかえる言葉をどうにか胃に押しこんだ。澪は顔を赤くして、秋の太ももをベシベシと叩きはじめる。
「いってっ! なんだよ急に!」
「うるさい! ばか! しらないっ!」
「秋、おまえ……、剣術以外も勉強しないとだな」
「剣術ができてればいい——」
「ばか」澪が言った。
「——なんなんだよ、急にキレて……」
「秋が! ばか」澪はぷいっと進行方向を向いた。
(まずこの男の社会性の部分を育てないと、恋愛どころじゃないぞこりゃ)須賀は肩を落とした。謎の疲労感を抱えたふたり——その背中に向かって、秋が追い討つように言ったひとことは爆弾だった。
「澪、学校に好きなやつとか、いないのか? おれは学校とかきらいだけど。澪はちゃんと通ってるのに彼氏いたとか聞いたことない。おまえ、モテないのか?」
「いってぇっ! そんなに強く叩くなって!」
「ばか! しらない! あっち行って!」
「車んなかだろ。動きようがない」
「須賀さんの真後ろに座って!」
しかたなく秋は、車内でお尻ひとつ分、席を移動した。




