ー弍拾ー
「秋っ!」
澪と須賀は、大の字に寝る秋のもとへ駆けつけた。彼には彼を心配する人がいる。反面、自分の健闘を称えてくれる人はだれもいない。
(どんなにがんばっても、だれも褒めてくれない。これは、いつものこと)
かなしく曇った自分の顔を隠すように、東子は左手でメガネの位置を直した。すぐに切り替えた無表情をつらぬいたまま、秋に近づく。
「おつかれさま」
「助かった。ありがとう」秋が言った。
「ねぇ、あなたの連絡先、聞いてもいいかしら?」
「な、なんで秋のれれるり、連絡先が要るのよ!」
だれよりもさきに澪が反応した。
「同業として情報の交換くらいしたほうがいいからよ。鍛冶屋の娘さんは黙ってて」
澪はむっ、と頬をふくらませる。そしてやはり、自分のことを知っているのだな、と思った。
「おれスマホとか持ってない」秋は言いだす。
「ほんとうなの?」東子が目を点にした。
「うそついたってしかたないだろ」
「たしかに、秋がスマホかまってるの見たことない」澪が言った。
東子は秋から須賀に目線をうつした。
「なら刑事さん、須賀さん——でしたか」
「お……? なんだ?」
「警察の方なら、三代家の住所くらい、わかりますよね?」
「どっちのだ?」
「自宅のほうです」
「寺では、ないほう?」
「はい。その住所、秋くんに教えてあげてください」
「わかった、それなら、おれの番号を教えておく」
「ええ、交換しておきましょうか」
須賀と東子はそれぞれの端末を手に、連絡先の交換をはじめた。
「澪、どうして来たんだ?」秋が言った。
「なんでだろ、ざわざわしたから」
「それだけ?」
「うん」
「変なやつ……」
「あ、でも秋、最後の一撃入れるとき変だったよ。わたし、見逃してないから」
あのとき——だれの声ともつかない声が頭に飛びこんできたとき。たしかに、澪の一声がなければ刀に迷いが残っていたとわかる。もしかしたら、大蛇との決着がついていなかったかもしれない。そうなると、東子の体力も尽きていただろうし……。
「声、投げてくれて助かった」秋が言うと、澪は顔を赤らめた。
「ど、どうも……」
ひとまず肩の力を抜き、晴れた空を見る。
空に、黒翼の群れが飛んでいる。
「……! 雪女!」
空を見上げながら秋が声をあげた。
その場の全員が、空を見上げた。
漆黒の、巨大な、コウモリに似た翼で羽ばたき、服装はそれぞれ仕事用のシャツや、夜遊びをしそうな若者の格好をした男女。まだ人間らしい格好をした悪魔らのなか、一匹だけ、大きさがひとまわりちがうのがいる。
「上位魔……!」東子の全身に緊張がはしる。
秋は突然、過呼吸を起こした。
澪はあわてて秋の背中をさする。
「秋? どうしたの! 大丈夫!?」
「思い出しちまったのか!」須賀はなぜ過呼吸になったのか、すぐに気づいた。
父が上位魔に惨殺されたときの光景がフラッシュバックした。真っ白になる視界。吸っても吸っても、肺に届かない呼吸。無意識に流れる涙。はげしい耳鳴り。首の筋肉が棒になったような感覚——秋はその場に崩れてしまう。
「うそでしょ……」東子はそのすがたを見て動揺した。(わたしひとりで全員を守りながらなんて無理よ、だれかが、ぜったい死ぬ——)
悪魔達は一行をとりかこむように着地した。
生々しい、モワッとした、重たい風圧がまとわりつく。
「アっハハッ、エサ、クイモン、カネ、オンナ!」
各々想いのままに欲しい物をケタケタと笑いながら口にする。ひときわ大きな風圧とともに上位魔がワンテンポ遅れて着地。それが来た途端に下位魔たちはしずかになる。
「イチ、ニ、フタリ?」
獣のような顔に、闘牛のような二本角。グルグルと鳴る喉から放たれる、腹にひびく上位魔の声。ここに悪魔祓いふたりしかいない、と数えたようだ。
しかし、澪を見て目を凝らす。首を深くかしげる。
「ア? ナンダ? アレ?」
上位魔の視界は白黒のサーモグラフィーのようになっていて、普通の人間は青く見え、悪魔祓いは赤く見える。しかし澪はなぜか緑色をしていた。
「……ミドリ? マァ、イイカ、イイカァッ! ハハハハッ!」
笑いだす上位魔に、下位魔たちも連なる。
「冗談きついわよ……」
東子は刀を抜く。
秋は動けない。
上空から——なにか、黒い大きな塊が近づいてくる。
「ヘリ——?」
須賀が見たのは、一機の軍用ヘリコプターだった。バタバタと羽音を鳴らしながら低空飛行をして、こちらに向かってくる。
ヘリコプターはそのまま小学校のグラウンドに急接近し、着陸。刀を持った人間たちが数人、降りてくる。
全員、真っ黒な半袖のワイシャツに、丈が足元まであるノースリーブのフード付きコートを着て、真っ黒な革靴を履く。
腰には鞘の白い刀——。刀の柄頭からは、大粒の数珠がぶら下がっている。
ひとりは女性だ。ピンク色のツインテールに、明らかにふくらんでいる胸元がいかにも女性らしい。
その若々しい女性は、一番最後にヘリから降りてきた男にくっつきながら「きゃっ! せんぱーい! アクマ、たくさんいますぅ♡」と猫なで声をたらす。
先輩と言われた男。年齢は30代前半。ひとりだけ濃い赤色の半袖ワイシャツを着ている。髪型は短髪のツーブロック。あごには漢らしい髭。数珠をぶら下げた刀もほかとおなじだが、銃身の短いショットガンを持つのは彼だけだ。
隊長らしい男はタバコを胸ポケットから取り出し、シッポライターで火をつけ、舌打ちを鳴らし、「おっせんだわ、着地が。三〇分前行動を徹底しろ」とつぶやく。
黒服の集団をにらむ悪魔たち。
「クセェ、クセェクセェナァッ!!」上位魔が口を開いた。
どうもタバコのにおいが気に入らないようだ。上位魔に文句を言われた隊長は、あからさまに、より一層、うまそうにタバコを吸い、空にむけて煙をはいた。
「そんじゃ、頼むわ……」とだるそうに言う。そのしゃがれ声を聞いた周りの隊員らしき男たちは次々と刀を抜いた。
迷いのない動き。
洗練された太刀筋。
連携の取れた集団攻撃。
悪魔たちはなすすべなく次々に塵となる。
おびえ、キョロキョロとする女の悪魔。
その肩をだれかの指がつついた。
「––––! アッ!?」
とっさに後ろを振り返る。目の前にツインテールの娘がいる。娘は、ついさっきまで隊長らしき男の近くにいたが、瞬間移動でもしたように、一瞬で女の悪魔の真後ろに移動していた。
「死んでくーださぃっ♡」
娘は楽しそうな顔のまま居合斬りをした。その太刀筋は速かった。肉眼では確認できないほど。
一匹だけ残された上位魔は——隊長らしき男を目掛けて、飛んだ。
「キサマァァッ!」
大砲の弾が放たれたような風圧と共に上位魔は隊長の元へ一直線に飛び迫る。隊長はソードオフショットガンを抜き、姿勢の整った構えで迷うことなく引き金を引いた。
散弾を食らった上位魔はいきおいあまって地に転がった。その胸には蜂の巣のような穴があいている。
しかし銃創をものともせず、上位魔はすぐに体勢を整える。ふたたび飛び迫る。
「木木・燦燦」
隊長が唱えると突然、上位魔の銃創から木の根が生えた。その根は地面に深く刺さり、上位魔の体を地面に引っ張って叩きつけた。
木の根は強靭な肉体にからみつき、ウネウネと身体中を這いまわる——。
首から上だけをさらけ出すようにして上位魔は木の根に巻かれたミイラになった。しかもこの根、悪魔にとっては触れただけで力を奪われてゆく厄介なものだった。
「ンァァッ! ンゥゥ、アァッッ!」
なんとか木の根を引きちぎろうとする。しかし、体は全く、動かない。力が、入らない。精気が木の根に根こそぎ吸い取られてゆく感覚が上位魔の全身を容赦なくおそう。
「キサマ! ギザマァァッ…!」
唸る上位魔の頭のそばに近づきヤンキー座りをする隊長。ふう……とタバコの煙を顔にワザとらしくかけた。
このタバコも、この男が自分の木の能力で生み出した種を育て、栽培し作ったオリジナルだ。この煙にも悪魔を祓う力が宿っている。ゆえに彼らにとってはとても《《くさい》》。
「西威は、どこ行った?」隊長が質問する。
「ハハハッ––––! シルカ、シルカァッ!」
声を裏返しながら、不協和音が答えた。隊長は、スッと立ち上がった。
「はい、お疲れ」
刀を抜き脳天に突き刺す。上位魔はあっけなく塵になった。木の根は宿主を失い、枯れてゆく。ショットガンが放ったのは植物の種で——悪魔の体はプランターだったということか。
「キャッ! せんぱいかっこいいっっ!♡」ツインテールの女隊員は喜ぶ。
ヘリからこの部隊が降りて来てから、悪魔が全滅するまで、あっという間だった。時間にして5分、あったか、ないか。唖然と状況をながめていた須賀が、隊長に声をかける。
「あ、あんたらまさか」
「討魔第弐分隊。雑賀仁」仁は、空にタバコの煙をはいてから応えた。
「ワタシは、とーまだいにぶんたいの副隊長、覇南彩音ですっ♡」ツインテールの娘も名乗った。
「討魔分隊が、なんだってこんな田舎に」
「あんたは?」
「火ノ花町で刑事やってる、須賀だ」
「ほう、ガキの悪魔祓い連れまわして悪魔退治か。ご苦労なこって」
「兄の三代西威のこと、なにかご存知ですか?」
東子が口を開いた。
仁は、東子を見るや否や——
物珍しそうに近づく。顔をのぞきこむ。
タバコの匂いが東子の鼻をツンと刺した。
「なんですか?」
「ほう」
まんじりと、東子を観察する。
「そっくりだな、目が」
「兄妹ですから」
「真っ赤に染まる前のあいつの目に、似てるわ…」
「なにがあったの!?」東子が迫る。「兄が白魔になった理由——知っているんでしょう?」
この人ならなにか知っている——そう思い東子は食い気味に声をあげた。仁は変わらない仕草でタバコを味わっている。
「人間はな、結婚してぇほど好きになった相手を殺されちまえば、すこしはおかしくならぁ」
「その人のせいなの?」
「——」仁は下向きで煙を吐いた。「だれのせいでもねぇ。天魔さまのせいだわ」
「なによそれ、ふざけてないではっきり言いなさいよ!」
プロペラがまわりだし、分隊は帰投の準備に入る。仁はヘリのステップに片足だけひっかけて、タバコを携帯灰皿に押しこむ。
「教えてよ、兄はまだ——兄なんでしょう!」無駄と知っていても、東子はすがる思いで言った。
「——いいやつ、《《だった》》わ」
ヘリの羽音にかき消されない、必要にして最低限の声量で仁は言った。嵐のように現れ嵐のように去った、討魔分隊——ふたたびしずまったグラウンド。
兄は死んだ。
わたしはひとりだ。
ひとりの道を歩いてゆく。
お母さんと約束をしたから。
暗闇から兄を救う太陽になると約束、したから。
「おい」気を取りもどした秋が口を開く。
「あら、起きたの? 役立たずさん」東子が振り向く。
「——すまなかった。動けなくて」
「——いいわよ別に。どっちみち、あの黒服さんたちが来てくれていたんでしょうし」
東子は帰路に躰を向けた。
朝日が、うすい霧に虹をかけていた。
「——いいわよ別に。わたしにはもう、味方なんていないから」
その言葉は東子の耳だけに触れて、落ちて、溶えた。
刀闘記
〜雪〜




