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刀闘記  作者: 燈海 空
風銀立神 篇
20/98

ー拾玖ー



「上からなら、馬鹿力、でないこともない…」

「わかりました」


 時を待たずに、大蛇は躰をぐらぐらを揺らしていく。例によって氷山の根本にヒビが入り、また折れしまえば、試合再開だ。


「ですが——」東子が言う。「あなただけでは斬れません」

「なら、どうする」

低温脆性ていおんぜいせい、ご存知ですか?」と言った。

「低温ぜいせい? ぜいせいって、どんな字だ?」

「ひくい、おんど、もろい、さが、です」 

「あぁ……」

「わたしのやりたいこと、理解していただけますね?」

「理屈はわかる」

てつはがねなどの硬い金属きんぞくが、ある一定の温度下まで凍ると、強い衝撃に弱くなる現象です」

「ご丁寧に解説、どうも……」


 大蛇を突き刺す氷山の根本にヒビが入った。

 もうあまり、話し合いの時間は無い。


「あいつが動き回ってても、氷で動き止められないか」

「どうでしょうね。善処しますけど。最低でも二箇所。首と尻尾付近を固めないといけません。ばかでかいホチキスでもあればいいですけどね」

「——笑うところ?」

「さぁ。ご自由に」


 ふと——東子は頭痛を感じた。

 こめかみに片手をやると、いま考えるべきではない光景がよぎる——


 ・…………………………・


 三年前。とある病院の一室。


「東子、そんなに泣かないの」

「おかぁさん! 死んじゃいやだ! なんで治せないの! 病院を変えよう? 余命宣告なんて、もう一週間しかないってうそだよ! 絶対にちがう! そんなわけない!」

「東子、よく聞いて」

「なぁに?」涙にまみれた顔を、東子はセーターの袖で拭く。

西威せいは優しい子。だからこそ、道を踏み外すかもしれない」

「お兄ちゃんは警察の悪魔祓いだよ。すごく立派になったよ」

「そうね。でもね東子。ひとつだけ約束してくれる?」


 東子は涙目を、ベッド上の母に向ける。風に吹かれたレースのカーテンが、オレンジの夕陽をわずかにちらつかせる。


「もしも西威せいが、暗い闇に落ちてしまったら。あなたが照らしてあげて」

「照らす? どういうこと?」

「陽は——東から昇る。どんな雨雲にも暗闇にも、お兄ちゃんにも負けないくらい。強くなって。強くなるのよ。強く煌って。——そして信じてあげて。あなたが西の海に沈んでも、西威は月光のように優しくあなたを照らして、探して、かならず朝へとつないでくれる。だって、優しいお兄ちゃんだもの」


 ・…………………………・




「——い!」


 だれかの声がする。


「——おい、雪女!」


 となりに立っている秋が肩を揺らしているのに気づいて、東子は我を取りもどした。


「ごめん……、なさい」

「くるぞ!」


 大蛇は四肢をベタりと地面に押しつけて、駆け出す寸前。


「動き、止められるか?」秋が言う。

「——ええ」


 走りだす大蛇。

 東子は高速で滑りだし、ロケットスタートの速度。

 相手を釣るように動く。


 秋は大蛇の動きから機を見て、グラウンドの中央に居座るコンテナに思いっきり飛び蹴りをした。空砲くうほうまじりの強力な蹴り。地面を滑走かっそうする4メートル四角形しかっけい鉄製てつせいコンテナは——大蛇の横っ腹に衝突。さすがに巨体はひるんだ。


「行けるか!」秋が叫ぶ。

「わたしまで潰す気!」


 東子は怒号を漏らしながらも、すぐに蛇頭に飛び乗る。


「動かないで——よっ!」


 大蛇の頭は地面ごとみるみる氷漬こおりづけにされてゆく。

 しかし、尻尾が暴れる。


「うおああぁっ!」


 どこで見ていたのか、須賀と警官たちが叫んだ。叫びながら彼らは大蛇の尻尾に飛びついた。大の男、数名が躰を重ね、大蛇の尻尾をなんとか拘束こうそくする。


「おっさん!?」

「おれたちだって、やるときゃやるんだよ!」

「う、うああああ!」暴れる尻尾から、警官のひとりが投げ飛ばされる。


 東子は大蛇の頭を氷で拘束こうそくし終わった。

 すぐに須賀たちが押さえる尻尾を拘束こうそくするために駆ける。


「離れて!」東子の声で、男たち大蛇の尻尾から離れる。すぐに尻尾を氷漬こおりづけにする。その間、秋は斬れる腕を斬れるだけ斬って、すこしでも四肢が機能しないようにかまいたちの様をまねていく。三本の腕は簡単に塵になるが、やはり弱点である一本の腕は傷を走らせるのがやっと。


「よし……」


 尻尾が氷漬けになった。

 東子は、最後の作業にかかる。


「頼んだぞ!」秋は、上に大きく跳んで、小学校の屋上に足を降ろした。柵の上に立って、眼下のグラウンドを狙う。


 弱点の腕にえた手、東子は全神経を集中させる。ここですべての体力が死んでもいい、そう思った。


 大蛇の腕は、ぶるる、と寒さで痙攣けいれんしてから、しおれた花みたいに弱々しくなった。


「いまっ!」東子が上を見て叫ぶ。


 風に運ばれ、大蛇の真上。

 見定めて、振りかぶる。

 一直線に落下。

 ほほにあたる風圧。

 

 それを見ていた須賀は、数年前を思い出した。

 


 ・…………………………・


 三歳の秋に、寺院じいんの庭で稽古けいこをつける父、直之なおゆき。そのふたりを縁側にいる須賀は茶を片手に見ていた。


「たかーく飛んでから、ビューン! と落ちて、ドーン! て、攻撃する技だぞぉわかるかぁ?」直之がしゃがんで言う。

「……わかんない」少年の秋は困ってしまう。

「お、そ、そうか、よし! じゃぁ見てろぉ」


 木刀ぼくとうを手に、直之は寺院じいんの屋根に飛び乗る。そこからさらに軽々と飛んでから、いきおいよく落下して木刀ぼくとうを庭の石に振り落とす——。庭の石はぷたつに割れた。直之の足元もクレーターのようにへこんでいる。


「しゅごい、しゅごーい! ぼくもやるー!」


 おさない秋は父の技を見て喜んだ。木刀を手に持ち、近くにあった背の高い庭石にわいしに「よいしょっ」と可愛らしく登る。


「あ、だめだ秋! まだ受け身の風を教えてない!」


 父の言葉は届かず、秋はすぐにぴょん——。


 ボコッ——


 まともに地面へと落ちてしまった。足をくじき、尻餅しりもちをついた。本来なら、急降下しても風の能力がクッションのように体を守るのだが、幼い秋はまだそこまでの技術を体得たいとくしていない。


「いだぁぁぁい! うえええええん!」

「こらこら、ちゃんとお父さんとやらないから……」直之は介抱する。

「だ、大丈夫か!?」須賀は茶を吹き出した。シャツを濡らしながらも、むこうの心配をする。「えっほ、えっほ——きゅ、救急車呼ぶか!?」

「ごめん真也、くじいただけだよ、おれがついていながら、こんな光景さまを見せてしまった」


 秋の泣き声を聞いたかすみが庭に駆けつける。


「なお! なにさせたの!」

「す、すまん……。見てはいたんだが」

「見てないからこうなったんでしょ! もう! 秋おいでー、よしよし」


 裸足で庭に降りて、かすみはまっすぐ秋を抱き抱えた。そのまま屋内に連れて帰ろうとする。


「足、冷やさないとね」

「ごめん、頼むよ」直之は気まずい顔。

「もう、今度からわたしが監督します」

「そりゃ、とても安全で、いい稽古になりそうだ」


 苦笑いの直之は、須賀と似たような表情を交換しあった。そこに——


「くおおおらっ! 直之! なにしとるか! 石!」


 当時まだ人間だった銀次ぎんじが駆けつけて怒鳴った。怒りの内訳は、庭の石を割ったことに対してだ。


「オヤジ、ごめん!」


 直之は手を合掌して謝まった。ぷりぷりと怒りながらも、銀次は草履ぞうりいて庭に降り、割れた石に近づく。——庭の砂利じゃりへこませるちいさなクレーターに気づいた。


「これは秋の仕業しわざか?」

「そうだよ」

「三歳じゃのに、やりおるの……」

「まだ風と友達になるまで、いかないけどね」

「おまえが三つのとき、覚えとるか?」

「いや——」

「地面をへこませることすら、できんかったよ」

「そうなの?」

「こいつぁ、ばけけるぞ」

「そうだと、嬉しいよ」


 悪魔祓い一家ならではの光景に、須賀は微笑んだ。濡れたシャツなどどうでもいいとばかりに、居心地のよさを身に染みこませる。——湯呑みに半分ほど残っている茶を飲み干そうとすると、


「おっ」


 須賀は手を止めて、湯呑みのなかをじっと見た。茶柱が立っていた。淹れたての茶なら立っているのもわかるが、すこし飲んで量が減っているのにめずらしいな、と思った。


「最後まで、あきらめんな——か」


 なにかご利益がありそうなその茶を、須賀は一気に飲んだ。


 ・…………………………・



「みんな退がって!」


 東子が叫び、大蛇の体から飛び退く。

 須賀と警官たちも全員、大蛇から離れる。


 最後の抵抗ていこうかのように、大蛇は強い邪気を真下ましたから打ち放つ。息を吸うだけで胃がひっくり返りそうな、気味のわるい邪気。


  ナニモカワラナイ

  タダノイノチダ

  イノチガヒトツ、オワルダケ

  ライメイガトドロクトキ

  イクツモノ

  イクツモノ

  イクツモノ



 ——死を斬って混沌に染まれ——



 なんだ?

 この声。

 西威か?

 いや、ちがう。

 女の声のようで。

 男の声のようで。

 生き物の鳴き声みたいな。


「——秋! 刀を信じて!」


 叫んだのは澪だ。この瀬戸際に駆けつけ、秋を見つけた。空中で振りかぶる彼の刀身が、視線が揺れていることを直感で悟り、反射的に声を投げた。

 

 ものの数秒のようで、しかし何時間も経ったような感覚。

 頬にあたる風に気を覚まして、

 澪の声を両目の奥にまっすぐ置いて、

 いま振るうべき一太刀を——



 氷が砕ける音。

 しずまる邪気。

 肉体が悲鳴をあげて。

 魂が断末魔を叫ぶ





 夏に、雪が降ったんだよ。

 朝陽は——

 一片いっぺんも残らずちりとなった大蛇の全身を美しく、美しく、しろがねに染めた。


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