ー壱ー
「突然、酔った男が入ってきて……」
コンビニのバックヤードで、監視カメラの映像を映しながら、店員がおびえた声で言った。会話の相手は、いかにも刑事らしい男だ。
「あいつ、酒だ! 酒はどこだ、とか騒いで……」
モニターの映像が早送りされる。
店内の棚を力任せに破壊するサラリーマンが映る。
「あぁ、ここです。もうすこししたらかな……、今度は若い男の子が入ってきて」
店員はさらに映像を早送りさせる。
若い男の子が入店するところが画面に映った。
「その男の子、酔っ払いを背中から蹴ったんです。そしたら酔っ払いが吹っ飛んで……」
蹴られた方は、大型の空気砲でも食らったみたいに吹っ飛んでいる。酔っ払いは、そのまま監視カメラの映像からフェードアウト。低解像度の映像だが、たしかに確認できる。
別の監視カメラの映像では、ドリンクを冷蔵しているガラス張りの冷蔵庫に頭から突っこんでいる酔っ払いが映っていた。
「《《ぶっ飛んだ》》、って感じだな」刑事が言った。
「そのあと駐車場に男の子が出て行きました。酔っ払いもすぐに起き上がったと思ったら、物に八つ当たりをしながら、その子を追いました」
酔っ払いの男は、頭をガラス張りの冷蔵庫から引っこ抜くと、体に触れるもの、進路を妨げるもの、すべて蹴散らしながら雑誌などが置かれている棚ごとガラスを突き破り、駐車場に飛び出した。
「あとは——」コンビニの店員が言いかけると、刑事が「刀……?」とつないだ。
「はい……、駐車場の監視カメラだと、あっという間に、サラリーマンが倒されていました」
「わかりました。ご協力感謝します」刑事は、店員に向かって軽く敬礼をした。「ひとまず、店員さんに怪我がなくて良かった。店のこと、しばらく大変かと思いますが、こちらも警備を置いておきますんで。とにかく命があることが何よりです」
「須賀さん」別の警官が、部屋のドアを開けた。須賀の背中に話しかける。「鑑識、回していいですか?」
「おう、ちょっと待ってくれ」
バックヤードから出た須賀は、商品とガラス片が散乱したコンビニの店内を抜けて駐車場にもどった。数台の警察車両が赤と青のランプをそれぞれに光らせている。
駐車場のほぼ中央で、黄色のテープが囲んでいるのは、灰色の粉の山がふたつ。それを元人間の死骸だとだれが信じるだろうか。
*
午後四時。夕方と言ってもまだ陽は高い。月に場所をゆずる気はまったくないと言わんばかりに、図々《ずうずう》しく、暑苦しく、太陽が地面を照らしている。
立神秋は自宅でもある寺院の中、庭に面した縁側の上で寝転んでいる。枕も置かずに仰向けになって、ただただ熟睡している。
庭は、砂利と庭石とで埋め尽くされた枯山水で綺麗に整えられている。石や砂だけで、山や水の流れを表現する日本庭園の風物詩。
庭の裏口から、縁側に向かってひとり分の足跡がついている。踏まれた砂利を、熊手で直す一人の女性は、足下まである深い紺色の和装に身を包んでおり、頭髪は綺麗に剃り上げられている。
「きのうも闘ったのですね」
女性がだれかに話しかけた。
しかし寝ている秋以外に人の姿は見えない。
「あれくらいの下位魔なら、敵じゃぁないよ」老人の声が応える。
「おじいさん。頭の上に乗られると、くすぐったいですよ」女性は自分の頭に手をやった。
白く、綺麗な手にひょこっと乗ったのは一匹のハムスターだ。全身、白黄色の毛並みで、背中には濃い茶色の毛並みが尻尾から頭に向かって、細く一直線に伸びている。
「おぉおぉ、すまんの。つい居心地がよくてな」
おじいさんと言われたハムスターは、坊主の女性の手に運ばれ、秋が寝ている縁側にひょこっと小さな体をおろされた。そのまま孫の頭の横までかわいらしく歩き、ころんと座る。
自分の顔を両手で毛づくろいをするそのすがたは、普通のハムスターと何ら変わりはない。
「きのうは、どんな悪魔だったのでしょう」
「酔っ払いに毛が生えた程度じゃろうて」
「酔っ払いですか」
「秋、まったく動いとらんかったようじゃ」
老人ハムスターは、秋の服や靴が汚れていない事に気付いていた。もし激しい戦闘をしていたのなら、衣服がすくなからず痛んでいるはず。
「さすが先輩は違いますね」
「なぁに、先輩でもなんでもないよ」
「おじいさんもお酒、よく飲まれていましたね」
「そっちの先輩? 刀じゃあなくて?」
「この子もいずれ、お酒を飲むのですかね」
「どうじゃろな、血は争えんと言うからの」
左耳からは、母の声。
右耳からは、ハムスターの声。
「うるさいな……」幾分平和なステレオ音声を左右の耳から聞かされた秋はたまらず目を覚ました。ふたりはわざと秋を挟んで会話をして起こそうとしたようだ。
「おはよう」母が声をかける。
「いま……、なんじ?」秋は寝ぼけている。
「四時じゃよ」ハムスターが言った。
「朝の?」秋は真顔だ。
「夕方よ」母が応える。
「夕方?」
「うん」
「夏だから、どっちかわからない」
「夏といっても、朝はこんなに暑くないわよ」
「そっか……」
「ごはんたべな? そうめん茹でるから」
「まだいい。ありがと」
「母さん」
「ん?」
「火は?」
「大丈夫よ」
「そっか……」
秋は安心したような、しかしどこか不安そうな顔ですこしうつむいた。
「寝ても覚めても、火を心配しとるのぉ」
ハムスターがわざとらしく言った。
秋の自宅である寺院の本堂には、緑色の火が常に灯っている。その火は悪魔祓いの力を強く保ち、夜に活発になる悪魔の襲撃から寺院を守る結界の役割を担っている。
数時間毎に薪をくべ、朝晩に決められた経を読むことで、火はその力を維持している。
日夜、火を守り続ける者を火守り人という。かすみは、秋の母であり、この寺院の火守り人だ。
夕日の明かりが山影に沈もうとする刹那、三人はおなじ景色を思い出していた。秋の父が死んだ、十年前のあの日——。