ー拾捌ー
時間は深夜。
場所は小学校のグラウンド。
学校の廊下についた照明と、月明かりが力を合わせるように真っ暗なグラウンドを照らしている。
大蛇は、体の側面から生えた四本の巨腕で自分の腹を突き刺す氷山を掴み、体を左右にユラユラとゆらした。巨体の重みとゆらされた反動によって、氷山の根本付近に横ヒビが入り、氷の山は——そのまま真ふたつに折れた。
土に龍の死体が落ちたような——ドスンと腹に響く大きな音。大蛇の体は地面に叩きつけられ、横転。腹にはまだ氷山の一角が突き刺さったまま。
大蛇は、腹の氷山を両前腕でわしづかみ、腹から抜いた。その鋭利で大きい氷山の一角を、東子に向かって投げつける。東子は横に素早く移動してそれを避ける。氷山はグラウンドの地面に突き刺さる。
「大丈夫か! 雪女!」秋が大声をあげる。
「雪女って呼ぶの、やめてくれますか」
東子は服についた土埃を叩きながら返事をした。
何重にも重なった男性の声のような、奇怪な雄叫びが大蛇の腹から溢れて空気を雑に揺らす。
その聲は《《この見た目》》でも元は人間だったことを匂わす。大蛇は尻尾を地に押しつけて上半身を持ち上げた。
横から見るとSの字だ。そのまま四本の腕を左右に大きく広げて、見下す。腹の穴はすでに完治している。
——前に倒れる、どすん、と四本の手を地面に押しつける、秋に向かって大口を開く、手を虫の足のように使って駆け出す。
「こいつ! 食う気かっ!」
ひとまず逃げる。途中、素早い動きでUターン。大蛇は重い。小回りが効かない。大蛇の左側面。すれちがいざまに太い腕を斬る。
左前腕の、手首から先が塵と化した。大蛇は支えを失い、地を削るように倒れこむ。さながら左前タイヤが外れた車のように。そこに東子が頭に飛び乗り、脳天を突き刺す。大蛇は轟音ともいえる悲鳴をあげ、上半身を大きく仰いで持ち上げた。東子は跳んで離脱。
大蛇はしばらく痛みに悶えたかと思った。しかし、斬られた手はすぐに再生して元どおりに。脳天の小さな刀傷も塞がり、せいぜい蜂に刺されたくらいのダメージ。まったく手応えがない。
秋が、次のひと太刀を入れるべく駆け出す。背後からくる殺気を察知し、大蛇は黒光りする尻尾を振った。それを秋は側転を混えた大きなジャンプでヒラリと躱す。着地点からすぐ目の前にある太い腕を斬る。いったんは塵になったが——すぐに再生してしまう。
頭もだめ、腕もだめ。
弱点を見つけられない。
吹雪をまとった東子は靴の底に氷の刃を履かせて、スケートのように滑りだした。まるでフィギュアスケーターのような彼女を、大蛇は手の平で叩き潰そうとする。
しかし地面を叩くばかりで、下手くそなモグラ叩きみたいだ。東子は大蛇の周りをぐるぐると滑りながら、四本の腕を切り刻む。それからまた、氷山を大蛇の腹下に出現させて、穿ち、虫の標本を繰り返す。だがこれは時間稼ぎにしかならない。
東子は颯爽と秋の近くまで滑走し、キュッと氷の刃を地面に噛ませ、止まった。
「わかりましたよ」
「なにが?」
「あの蛇、もとは一本の腕だったみたい」
「一本の腕?」
「切り落とされた人間の腕に、悪霊が取り憑いた。それも、相当に強い悪霊が。加え、腕の細胞組織が再生する最中に、白魔がなにかの小細工をした。結果あの巨体が《《造られた》》とわたしは考えます」
「うそだろ……」
「さっき調べたんです。四の腕のうち、どれが《《本体》》なのか」
「どれだ。言ってくれればおれが斬る」
「斬れません」
「バカにしてるのか?」
「——」東子はいったん答えずに、ひと呼吸をおいて、 「弱点は右の前腕です。その皮膚、異常に硬かったです。鉄か鋼、それ以上に。そこに悪霊が居座っているから、守っているのでしょうね、いわば自分の心臓——弱点を」
そして東子は無感情な目を秋に向ける。
「風の能力なら、出ますよね?」
「は……? おい、顔が近い……」
頭をすこしかしげ、まぶたを軽くパチパチさせる東子の仕草には可愛らしさすら感じる。
「質量を非現実的に重くした空気をまとって、さらに上からの追い風で急降下して刀を当てる技なら、岩や鋼——あるいは氷を砕くほどの瞬発的な馬鹿力、出ますよね?」
そよ風が吹いた。
それは返事に困った秋が無意識に起こした風だった。