ー拾陸ー
東子は刀を突きつける。その眼差しは、兄に対して向けられたものではない。兄の肉体を乗っ取る《《なにか》》に向けられている。
西威は悲しそうな顔をした。東子を抱きしめるつもりで広げた両腕を、ダラリと下ろす。
「そんなにぼくがきらいなのか?」
「お兄ちゃんを返せ」
「ぼくは、ここにいるじゃないか」
「おまえはちがう。ただの白魔だ」
「どうして信じられる? この見た目かい?」西威は一歩ずづ近づく。
「そこにいる風使いのばかはどうせ知らないでしょうけど、刀詠みが言っていたわ。白き悪魔が起きた——と」
「そうか。そりゃ、魂の専門家には空気でわかるわけだ」
壁に刺さった釘のように東子の刀は一直線をたもったまま動かない。そのきっさきまで目と鼻くらいの距離まで近づいた西威は——片手で刀身を握った。
手首に伝って、ポタポタと落ちる赤い血は、西威が刀から手を離した途端に乾き、灰色の塵と化し、風にさらわれて踊る。それは人間の血ならありえない現象だ。
「ぼくは——ほら、悪魔だ」
「うるさい!」
東子は刀を振るった。
悪魔を斬るための刀を。
それを受け止めたのは、数十匹のヘビだ。
深緑の躰をした蛇が、突き出された西威の右手から現れて、つながって、刀身へとわらわら集って、からみついて、妹の一太刀を簡単に静止させている。
「これがぼくだ」
横に流れた西威の瞳が、一瞬かなしいものに見えた——いや、気のせいだ。白魔は感情を失っている。あるのは殺戮欲求だけ。
「——っ!」
東子は奥歯を噛んだ。身から溢れる冷気を刀身まで伝達させて、からみつくヘビの藁束を冷凍させる。人間用の刀を抜いて、凍ったヘビたちの塊を一刀で思いきり砕いてみせる。
次に切るのは——西威だ。
だが、彼はまばたきの刹那に、目の前から消えていた。
「ふざけやがって」東子は言った。
わかっている。あのヘビは透明になるし、宿主をも透明にすることができる。カメレオンのそれよりも厄介であることは古い書で読んで知っている。
「また会おうのひとことくらい、言ったらどうなの……」
しかし怒って拳を握っている余裕もなさそうだった。須賀は、その場に残っていた数名の男性警官たちにこっちだ! と声を上げた。
警官たちはおびえ、あわてふためきながら、まるで火事から逃げるようにその場から離れる。
秋が刀を構えた方向——貨物コンテナの中から、四本の巨大な腕を生やした大蛇が這い出てきた。
長さはおよそ7メートルの巨体。アメンボの足みたいに生えた4本の巨腕は、人間の腕とおなじかたち。人間ひとりくらいならば、容易く飲み込みそうなほどの大きな口を開けると、その中に牛の角みたいな牙が二本——その牙と牙の間から、先の割れた舌を出し、秋を威嚇している。
それを見た東子は刀を握った。
これは兄が作ったもの。
兄のせいで生まれたもの。
私にはわかる。
だって見たことがあるもの。
子供のころ、兄は粘土であんな見た目の生き物を作っていた。そのときは「かっこいいだろ、東子」などと無邪気に言うすがたが、かわいらしく思えたものだ。しかしいまは、笑えない冗談を目の当たりにしたいまは、あの——
「度のすぎたおもちゃが」
憎くて、
憎くて、
しかたない。
東子の周りに白い霧が立ち込める。
霧は次第に雪となり、ほてった地面に触れて溶ける。
吹雪が舞う。
大蛇の腹下の地面が白く凍った。結晶を含みキラキラと輝く白い霧が、大蛇に収縮したと思った次の瞬間、先が尖った氷山が地面から出現し、大蛇の腹を貫き持ち上げた。
氷山は四メートルの高さまで大蛇を持ち上げ、大蛇の腹に大穴を開けた。氷山に下から穿たれジタバタと暴れるすがたは、まだ息のある虫の標本みたいだ。
秋は体を止め、刀のきっさきを大蛇に向けたままおどろいた顔を東子に向ける。
「半袖で大丈夫ですか?」東子は近づきながら言った。
「雪女……」
「東子です」
「半袖のなにが悪い、いまは夏だ」
「ダウンジャケットくらい、着てこないと」
「は……?」
呆気にとられる秋をよそに、東子はさて……やりますか、と言いたげにメガネを指で持ち上げた。
「今夜は冷えるわよ。わたし、キレてるから」




