ー拾肆ー
秋は、目の前で塵となった青柳梓を直視できずにいた。月明かりが反射し、キラキラと光る塵の上には、梓のピンク色の衣服が抜け殻のように横たわる。
これは正しい行いだ、と頭では言っているものの、胸がムカムカし、己が良心が語りかけてくる。
(おれは、人を殺した……?)
命を落とす寸前、微笑みながら「よかった」と梓は言った。
肉体は悪魔でも、心はまちがいなく人間だった。これまでに悪魔が人間にもどったという事例は、非常に稀なケースを除いてほとんど存在しない。悪魔祓いの常識の中では、悪魔が人にもどるという常識はない。すくなくともいまは。
「秋、大丈夫か?」
須賀の包みこむような声に——秋はわれに返った。
「うん」
「怪我は? 早く酸を食らったところを手当てしねぇと」
「あぁ、そうだね……」
すると、遠くからパトカーのサイレンが小学校に近づいてきた。三台のパトカーから数名の男性警官と、ひとりの中年女性が降りた。穴だらけの土や、外壁、割れたガラス窓——警官は散開して学校を荒らした主を探す。
「あずさ? いるの? あずさ!」
声をあげた女性は梓の母だ。男性警官に付き添われながら彼女は、あたりを見回し、闘いの痕跡をたどり、学校の裏庭に来た。
そこに積もる塵。見覚えのあるピンク色の服。それを見た梓の母は駆け寄り、膝を折り、塵を手ですくい、衣服を抱きしめ、泣き崩れる。そのかたわらで秋は立ち尽くした。
須賀と男性警官は互いに敬礼し、現状説明を交換しあう。泣きじゃくる梓の母は、秋を見た。手には刀——。
理由はどうあれ娘の命を絶った人間が目の前にいる。四つん這いのまま近づき、秋の左脚を掴んだ。拳を握りしめ、立ち尽くす秋の足に何度も叩きつける。
あわてて須賀が駆け寄り、梓の母を秋から剥がした。
「お母さん! この子はわるくない」
「あんたが殺したんでしょっ! あずさを——あずさを返してっ!」
「お母さん、この子は悪魔祓いの仕事をしただけだ。おねがいだ、わかってくれ」
須賀は片膝を折って彼女に寄り添い、震える肩に手を添えた。
「ねぇ」地面を涙で濡らしながら、梓の母は言った。「悪魔のいない世界を作ってよ……。おねがいだから」
それは、悪魔化した娘を消した人物に対する、精一杯の言葉だった。忌ごとを投げつけることもできた。しかし掻き乱れる心をなんとか落ち着かせ、どうにか建設的な言葉を選んだ。梓の母は、男性警官に肩を持たれつつ、その場から去っていく。
梓の着ていた服のポケットから、ピンク色の可愛らしいネコミミケースを着たスマートフォンが滑り落ちた。その画面は「Low Battery」と、赤い電池のマークを表示させ、自らの電源を落とした。去る母の背中を、見届けたかのように。
秋は刀を月明かりに反射させて、刀身の痛みを確認しながら考えた。
——悪魔を斬る以外の道はないのか——
須賀は携帯で刑事らしく、どこかに連絡をしている。すると小学校のグラウンドの方から、重厚で大きい金属の塊——乗用車一台が空から落ちてきたような大音が聞こえた。
その音につづき、男性警官たちの叫び声が辺りにこだました。
秋と須賀は目を合わせ、なにかおきた…、と暗黙で意思疎通すると、すぐさまグラウンドに駆け出した。
グラウンドにたどり着くと、そこには、先ほどまではありもしなかった貨物用コンテナがあった。幅と高さは4メートル弱。グラウンドの土には、コンテナを引きずった跡も、なにかの重機に運ばれてきた形跡もない。
「なんだあれ、空から降ってきたのか?」須賀の口がポカンと開く。
コンテナの上から足を投げ出し足組みをして座るひとりの男。
「へぇ。立神のか。そんな気がしたよ。やけに風が心地よいからさ。うっとおしいくらいに、ね」
「な、なにもんだ! そのコンテナはなんだ! どうやって運んだ!」須賀は銃口を向ける。
「立神の、秋くんだよね?」
男は須賀を無視して、秋に声をかけた。
赤い瞳が深く、深く、こちらを覗きこむ。
白髪が、夜風に揺れる。
「強酸を使う悪魔。なかなか面白かったでしょ? ぼくが用意したおもちゃとの遊びは、楽しかったかい?」
彼はそう言って無邪気に笑った。