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アイツは傘をさす

スマホのバイブが、枕元で小さく震えていた。

顔をしかめてうっすらと目を開けると、画面が仄暗い明かりを放っている。

《若本明良》

LINEの通知。

んだよ……朝っぱらから……

無気力に目をこすりながら、画面をタップする。


【その、今日いっしょに学校行こうね】

【(嫌だったら拒否っていいから!)】


時間は、7時38分。

やばい。普通に寝坊気味。

それでも、返信せずにスマホを置いて、重い体を引きずるように起き上がった。

いつもなら、朝から騒がしい母の声が聞こえるはずだが、今日はなぜか静かだ。

階下に降りると、置き手紙とトーストがテーブルにぽつんとあった。


「お母さん今日は仕事で早出!パン焼いておいたよ!ファイト〜!」


ファイト、ねぇ……

口の中で呟きながら、パンを咥えて玄関を出る。

傘立てに傘はない。

天気予報?見てねぇよ。まあ、今日は晴れるって昨日言ってた気がする――

 

校門へ向かう小道を歩く。朝の空気はまだ涼しい。

そのときだった。

 

ポツッ。

頬に冷たい感触。

 

ポツポツッ……ポツ……ポツポツポツ……

 

「……雨、かよ」

見上げた空は、鉛色に覆われていて、雲の切れ間なんて一つもなかった。

ついさっきまで晴れてたのに、マジで意味が分からない。

「傘……ねぇし」

俺が小さくため息をついた、そのときだった。

 

「……っ、あの!」

声がした。

 

振り返ると、少し駆け足で、誰かが近づいてくる。

その人物は、紛れもなく――

 

若本明良。

地雷系の服装に、猫耳フードが雨でへたり、リボン付きの傘を片手に握っていた。

服が濡れないようにか、肩をすくめながら走ってくるその姿は、見てて少し滑稽だったが――

本人は、至って真剣な顔だった。

 

「っ……その、あのっ!」

俺の前で止まり、小さく息を整える。

「傘……持ってないよね……?」

 

「……ああ」

ポケットに手を突っ込んだまま答えると、明良はぎゅっと傘の柄を握りしめ、少しうつむいた。

 

「……よ、よかったら……」

唇が震えている。

まつげの先には、雨粒がちょこんと乗っていて――

その顔は、照れているのか、何かを我慢しているのか、判断できなかった。

 

「一緒に……入ろ?」

 

傘の中を、少しだけ俺のほうへ傾ける。

淡いピンク色の傘の内側に、白いハートの模様が散りばめられていた。

正直、男と相合傘するには、気まずいにも程があるデザインだ。

 

でも――

 

「……まぁ、濡れるよりはマシだな」

俺がぼそっと言うと、明良の目がかすかに見開いた。

 

「え、えっと……う、うん!」

顔を少し赤くしながら、嬉しそうに傘を差し出す。

 

二人の距離が、ぎこちなく縮まる。

傘の下に入ると、どうしても肩が少し触れてしまう。

そのたびに、明良はピクッと体を揺らし、こっちはこっちで、無言のまま歩を進める。

 

沈黙が続く。

 

雨の音が、逆に大きく聞こえる。

パタパタと傘を打つ音と、足元の水たまりを踏む音だけが、耳に残った。

 

隣で明良が何かを言いかけては、やめる気配がする。

ちらりと見ると、視線をそらす。

口を開けばいいのに。

言いたいことがあるなら、言えばいいのに。

「……あの」

蚊の鳴くような声だった。

それでも、ちゃんと耳に届いた。

「……休日って、なにしてるの……?」

目は合わせてこない。

視線は足元、もしくは微妙に俺の肩のあたり。

声には微かな震えがあった。

「休日?」

何の脈絡もない唐突な質問に、思わず聞き返すと、明良は一瞬、肩をすくめる。

「う、うん……べ、別に……その、聞いてみただけで……気にしないで……」

「……特に何もしてねぇよ。家で寝てるか、ゲームか、YouTube」

淡々と答えると、明良の指先がキュッと傘の柄を強く握るのが見えた。

そして――

「……あ、ああ、そっか……そ、そりゃ、彼女さんと出かけたりも、するよね……っ」

 

……は?

 

思わず歩みを止めた。

何言ってんだ、こいつは。

「彼女さん」?

「出かけたりも」??

 

「……は?」

声に出してしまっていた。

明良はビクッと肩を震わせると、しまった、とでも言うように口元を手で隠した。

 

「え、えっと……あの……っ!な、なんでもない!!聞き間違い、ってことで!!い、今のナシで!!ほんとナシで……!」

自分で言ったことを自分で全否定しながら、顔がみるみる赤くなっていく。

 

こいつ……

なに勝手に一人で脳内会議してんだよ。

まるで、「彼女がいる」という前提で話が進んでたじゃねぇか。

 

「いや、彼女なんていねぇけど」

俺が淡々とそう告げると――

 

ぱぁっ。

まさにそんな音が聞こえてきそうなほど、明良の顔が一気に明るくなった。

 

驚きと安堵と喜びが、混ざり合ったような表情。

ぱちぱちと目を瞬かせて、口元が少し緩み――

でも、すぐにそれを打ち消すように、視線を逸らし、頬を真っ赤に染める。

 

「えっ……そ、そうなんだ……!いや、べ、別に気にしてたわけじゃないけど……その、参考までに……?」

わけのわからん弁解が続く。

しどろもどろ、とはまさにこのことだ。

 

なんだこいつ。

マジで見てるだけで疲れる。

 

「……逆に、お前は?彼氏いんのか?」

口を突いて出たのは、俺としてはただの返しのつもりだった。

が――

 

「っっっ!!!」

 

ボンッ!!

という効果音が聞こえてきそうなくらい、明良の顔が真っ赤になった。

「なっ……な、な、なに、言ってんの!?そ、そんな、いないに決まってるじゃんっ!!」

傘がグラグラ揺れる。

もう少しで俺の肩から外れそうだ。

「い、いないよ!?えっ!?えっ!?な、なんでそんなこと聞くの!?純くん!!?」

こっちの名前をフルネーム呼び捨てしてるあたり、完全にパニック状態。

 

「いや、聞かれたから返しただけだが……」

「ひ、ひどい!!それって、遠まわしに、彼氏いなさそうだねって言いたいの!?あたしの人生否定!?それとも彼氏いたらいたで怒るパターン!?えっ!?えぇっ!?」

 

また始まった、ヒス構文。

まくしたてるように焦りまくる明良に、ため息が漏れた。

「……落ち着け」

「お、落ち着いてるもん!!でも、ちょっとだけ焦ってるだけでっ……!!」

もはや何を言っているのか、本人にも分かっていないだろう。

 

傘の中、気まずい沈黙。

そして、ふたりの耳に響くのは、雨音だけ。

 

ほんの一瞬、目が合った。

明良は恥ずかしそうに目を逸らし、また傘の先を見つめる。

 

――なんだよ、こいつ。

昔から、変わんねぇな。

一人で喋って、一人でテンパって。



電車のホームで、雨はしとしとと降り続けている。

駅のベンチに座っている俺たちのそばに、ふわりと富田蘭がやってきた。

「へへぇ〜、楽しそうですなぁ〜♪」

いつもの「はわわ〜」口調が、なんだか妙に響く。

「電車、一緒に乗りましょうかぁ〜?」

そう言って、蘭は俺の隣にいる佐伯類に話しかける。

 

佐伯類――この前、町田龍斗にいじめられてたあのオタクだ。

彼は困ったような、少し悲しげな目をしている。

「……なんで俺がこんなことに……」

小さな声で呟く類の表情は、自分の状況に戸惑いと恥ずかしさが混ざっていた。

 

蘭はそんな類の肩に手を置き、にこにこと言った。

「佐伯くんはねぇ〜、昨日助けてあげたからさ、代わりにLINE交換したの♪」

「……え?」

「でね、なんとご近所さんっていう事実が判明したからさ〜!」

蘭の明るい笑顔に、俺も類も驚きのあまり言葉が出ない。

 

そのまま3人で電車に乗り込む。

車内はしっとりと湿気を帯びていて、外の雨音が微かに響いている。

 

ふと見ると、若本明良はむぅっとした顔で少し離れて座っていた。

明良の眉間には深いシワが寄り、明らかに不機嫌そうだ。

 

(やっぱり、ウザい)

 

無言のまま、明良は俺たちをじっと見ている。

俺は目を逸らしながらスマホをいじった。

 

電車の中は静かだ。誰も喋らない。

でも明良の存在感だけはズシリと重かった。

 

(このまま、ずっと続くのかな、こんな雰囲気……)

 

しばらくして、蘭が軽い声で話しかけてきた。

「ねぇ、純くん、佐伯くんと仲良くなれそう?」

俺は首をかしげて答える。

「まぁ……悪くないと思う」

 

類は小さく頷き、ぽつりとつぶやく。

「みんな、優しいな……」

 

電車は次の駅に停車する。

降りる人もいれば、乗ってくる人もいる。

明良はまだむぅっとした表情を崩さないまま、傘を小さく握りしめていた。

 

(これが、今日の始まりだと思った)

 

──そして、長い1日がまた始まるのだった。

(続く)


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