儘ならぬもの
ジェラルディーナが店のドアを潜って外へ出る前にハッと我に返ったランドルフォは
「あ!ま、待て!」
とジェラルディーナを追いかけようとしたが
「追いかけて彼女に何をする気だ?」
とサルヴァトーレに腕をつかまれた。
「くそっ放せ!」
とサルヴァトーレを振り払ったものの
店内の人達の視線はランドルフォに対して冷たくて
「どこのお貴族様だ?」
「ストーカーなんじゃない?」
「キモっ」
「ああまでキッパリ断られてしつこく追い縋るなんて醜い」
「相手の拒否権を否定する気なの?」
「可愛い子だったなぁ〜」
「脅迫とか薬漬けとか、そういう事があったのか?」
「粘着そうな男よね」
「やりかねないんじゃない?」
などと好き勝手なヒソヒソ話が聞こえてくる。
「…もう一度可愛がってやれば、あの子も素直になる筈なんだ。お前らが揃いも揃って邪魔さえしなければ…」
ランドルフォが憎々し気にサルヴァトーレを睨むが
サルヴァトーレはどこ吹く風で
「アンタの言う『可愛がってやれば』ってのが既に犯罪くさいんだよなぁ。…強姦しといて、女が快感を得てたら『合意の上だ』と言い張るクズと同じ匂いがする」
とランドルフォへの不信を口にした。
「「「「それな」」」」
野次馬も同意の声をハモらせる。
「…とにかくどけっ!」
ランドルフォはサルヴァトーレを突き飛ばしてドアへ向かい
「あっ!お客様!お勘定!」
と店員が叫んだが無視。
(これ以上、『スペクルム』の邪魔をして機嫌を損ねるのもマズイか)
と思ったサルヴァトーレは無言でランドルフォを見送り
(…にしても、やっぱりジェリーは処女じゃなくて、「スペクルム」ともヤッた事ある仲なんだな…)
と少し落ち込んだ。
「スペクルム」の言っていた「初めての男」云々の戯言も真実味を帯びてしまっている。
異端審問官は尋問前に色仕掛けをする事があるし、拷問係は普通に容疑者を強姦する。
異端審問官に貞操面での純潔を期待するのは間違いだ。
そもそもフラッテロ家に関わらず刑吏一族の女性は一族に降りかかる差別を緩和させるために積極的に高級官僚相手に性接待をする人種だという事が貴族社会ではそれなりに周知されてもいる。
だからこそサルヴァトーレがその手の接待を期待してジェラルディーナに近づく行為もフラティーニ侯爵によって許容されている。
一方で
(結婚ともなると、やっぱり別問題という事か…)
と流石に悟った。
ハァァーッとサルヴァトーレが溜息ついた傍らでは
店員がサルヴァトーレに対して
「お勘定…」
(代わりに払え)
と掌を差し出していた…。
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ランドルフォはジェラルディーナを追って店から出たもののーー
ジェラルディーナの姿は跡形もなく消えていた。
店の近くで見張らせていた護衛を手招きで呼び寄せて
「…ジェラルディーナがどっちの方角に行ったかちゃんと見ていたんだろうな?」
と訊くと
「おそらくフラティーニ侯爵邸に戻ったかと」
と言われた。
「…気を利かせて『とめよう』とか、考え付かなかったのか?」
「指示された以外の事はできません」
「だよな?お前ら融通利かないもんな?」
「…申し訳ありません」
「今から追いかけてジェラルディーナがフラティーニ侯爵邸に着く前に先にフラティーニ侯爵邸に着けるか?」
「おそらく無理だと思います」
「彼女は店を出てすぐに辻馬車に乗ったのか?」
「いえ、おそらくフラティーニ侯爵家の護衛騎士が抱えて走り去りました」
「…ん?…護衛騎士が抱えて走り去った?…ジェラルディーナを?」
「ええ」
「なら、すぐに馬車を呼べ。今から行けば先に着けるだろう」
「いえ、ですからそれは難しいと思います」
「人間の足と馬の足じゃ馬の方が早いだろうが」
「無理です。あの護衛、アルカンタル王国の『エチセロ』のようです」
「…はぁ?」
「…先程ジェラルディーナ嬢が入店される前にドニゼッティ男爵が捕縛されました。
トマーゾ・バルディーニがドニゼッティの監視に付いてた筈ですが、ドニゼッティの急な殺意と襲撃に対処できていませんでした。トマーゾも俺も。
ドニゼッティを取り押さえたのはジェラルディーナ嬢の後を尾けてきたフラティーニ侯爵家の護衛騎士、ルクレツィオ・フラティーニでした。
『チプレッソ』がそのルクレツィオを『エチセロ』と呼んでいましたから、おそらく間違いありません。
ドニゼッティを取り押さえる時もでしたが、ジェラルディーナ嬢が店から出てきた後の『エチセロ』の動きも、俺には見えませんでした。
ジェラルディーナ嬢に続いて『エチセロ』が出てきたと思ったら、次の瞬間には二人の姿が消えていたので、実は二人がどちらの方角へ向かったのかさえ分からないの現状です」
「………はぁ????」
(何言ってんだ、コイツ)
「…トマーゾ・バルディーニからは『増員を寄越すから、エチセロを追跡させろ』と言われてましたが、増員が着くより前に今のザマです」
「…ちょっと意味が分からんぞ?」
「俺もです」
「…なんで『エチセロ』がこの国に、しかもフラティーニ侯爵家にいるんだよ。おかしいだろ?」
「おかしいですよね…」
「………お前から見て、アベラルド・フラティーニ侯爵がアルカンタル王国とつるんでるように見えるか?」
「…流石にそれはないかと。フラティーニ侯爵へは先代の頃から監視が複数張り付いてます。アルカンタル王国と接触して取り込むのも取り込まれるのも先ず不可能です」
「だよな」
「…ルクレツィオ・フラティーニに関しては実は少し噂を聞いた事があります」
「ルクレツィオ・フラティーニってのが『エチセロ』な訳だな?」
「はい」
「それで?」
「西部の孤児院出身の騎士で身体能力がずば抜けて高いヤツがいる、という噂を西部騎士団で聞いたことがあって、その噂の主がルクレツィオ・フラティーニでした」
「なるほど。孤児院出身ならフラティーニ家には養子で入り込んでるんだな?」
「いえ、フラティーニ家の女性が一般平民に嫁いで、虐待されながら産んだ子がルクレツィオで、母親の死後に自分で孤児院に逃げ込んだとかいう経歴です。その後、フラティーニ家の養子になってますが、母親の兄の家に転がり込んだとかで、血縁的には元々フラティーニです」
「詳しいな」
「西部騎士団では結構有名な話です」
「お前は中央騎士団上がりじゃなかったのか?」
「西部です」
「そうか…」
(アベラルド・フラティーニ侯爵。案外クセモノなのか、単に偶然『エチセロ』が入り込んでいるのか謎だが…儘ならぬものだな…)
ランドルフォ・フェッリエーリこと「スペクルム」は疲れたように肩を落とした…。




