迷惑料
バルドゥッチ士爵家四男のブリーツィオ・バルドゥッチは首都に戻って来ていた。
ベッティーナ・ボッチの側に張り付くためとは言え
「恋人のフリ」
をし続けるのは苦痛だった。
容姿が良くなくても性格が良ければ女は可愛い気で勝負できるだろうに…
ベッティーナ・ボッチの場合
顔が中の下でそこまで悪くなくて
性格が下の下という有り様。
一緒にいる時間が長くなればなるほど疲れる相手なのだった。
だが占星庁からの指示は絶対。
「教皇派がベッティーナを再び攫ってダレッシオで見せしめ拷問する可能性が高い」
「教皇派を捕縛して、拷問にかけて根こそぎ情報を吐かせろ」
という指示の他
「ダレッシオの下水路に鰐を放った奴が迷惑料代わりにとベッティーナに何か償いをしてくる可能性もある」
「ベッティーナ・ボッチに接触しようとするのが教皇派なのかアルカンタル王国占星庁なのか、ちゃんと見分けて対処しろ」
と言われていた。
どうやらリベラトーレ公国占星庁は
「ダレッシオの下水路に鰐を放ったのはアルカンタル王国占星庁だ」
と思っているらしい。
そして揉める意志はないようだ。
要は
「アルカンタル王国占星庁が迷惑料を払ってくれる気なら受け取れ」
という事。
(迷惑料の支払いとか、そんな律儀な事、本当にしてくれるような連中なのかよ)
とブリーツィオは首を傾げたものだったがーー。
ある日、宿に戻ってみると見知らぬ男達が縛られた状態で置かれていた。
ご丁寧に教皇派の一部の連中がしていると言われる「羽根の生えた蛇」の入れ墨がよく見えるように袖の破られた左腕丸見え状態で…。
ベッド脇のサイドボードの上にはこれまた何故か重要書類があった。
ブリーツィオはそれらをバルドゥーニ子爵へ引き渡して、ベッティーナを囮とした護衛任務を終了した。
ベッティーナと別れる時に
(泣き付かれるかも知れない)
と面倒ごとの予感を感じたが…
意外にも
「アンタみたいな男、アタシとは釣り合わないのよ」
とスンナリ別れてくれた。
どうやら一度「彼氏」ができると、女は自分自身に妙な自信を持ってしまう生き物らしい…。
(とんでもない勘違いだが)
「揉めずにいられたのだから、わざわざ客観的事実をベッティーナに教えてやる必要もないな」
と思い、そのまま東都を発ち首都へと戻った。
首都に戻ってからは
占星庁本部勤務のトマーゾ・バルディーニを訪ねた。
親戚にあたるが友人でもある。
トマーゾは平凡な容姿の割になかなか優秀な男である。
トマーゾが間借りしているフラットがドニゼッティ男爵のタウンハウスの近くにあるという事もあり、トマーゾは休日には一日中ドニゼッティ男爵家の様子を監視している。
「俺はやっと仕事にひと段落ついたよ」
とブリーツィオが近況報告すると
「俺の方は大詰めに差し掛かってるかも知れないなぁ」
とトマーゾが苦笑した。
ドニゼッティ男爵ーー。
ダレッシオに囚われていたフィロメーナ・ドニゼッティの父親。
フィロメーナはつい先日遺体で発見されている。
教皇庁の手の者が
(自分達が殺したくせに)
「逃亡者が出たせいで粛正されたのだ」
などと告げて恨みの矛先を操ろうとしてくるかも知れない。
フィロメーナ・ドニゼッティはジェラルディーナ・フラッテロと同じグループで作業していたらしい。
遺体で見つかった8人のうち、フィロメーナ達4人はジェラルディーナの逃亡がキッカケで殺されているという事になる。
「…ジェラルディーナが異端審問庁に正式に提出した事情陳述書によると、『ベッティーナ・ボッチの逃亡の意志が固くて説得できず、逃亡を見逃した罪で罰せられる予想がついたため已むなく自分も逃亡』という話だ。
要はジェラルディーナの場合、自分が殺されるか同じグループの4人が殺されるかの選択において、後者を選択したからこその逃亡だった訳だな」
トマーゾはそう言うと
「まぁ、誰だって他人の命より自分の命が大事だ。ジェラルディーナの選択を責める権利は誰にもない。
そもそも他人を見捨てて逃げるよりも、残った人間を殺すヤツらの方が絶対的に悪いんだし」
と肩をすくめた。
「…そう言えば、ジェラルディーナ・フラッテロはガッダでも似たような事件に巻き込まれてたんじゃないか?」
「…貧民の暴徒化だね。あれもやっぱり誰だって『自分だけ逃げる』選択をするんじゃない?
基本的に刑吏一族にとって大事なのは自分の所属血族だけ。
フラッテロ家のジェラルディーナがコスタ家のヴァレンティノのために囮になって、彼と彼の女を命がけで助けなきゃならないという義理は全くない。
そもそもヴァレンティノ・コスタはジェラルディーナが気に入らなかったとかで普段から随分とキツくあたっていたそうだ。
そんなヤツを自己犠牲して助けるという人間がいたら、その方が自虐趣味の狂人じゃないか?」
「だが見捨てられた側の親族はそういった当たり前の道理をなかなか納得せずに逆恨みする傾向があるんだろ?コスタ家にしろ、ドニゼッティ男爵家にしろ」
「コスタ家はフェッリエーリ伯爵の不興を買い、フェッリエーリ伯爵派の派閥から追い出される事になったそうだよ…」
「…コスタ家の連中って元々異端審問官に向いてない人種だったのかもな?」
「…本部にはコスタ家の人間が居ないんで、その辺の判断は僕にはできないな」
「フェッリエーリ伯爵がトカゲの尻尾切りをしたと思うか?」
「…最近までは『フェッリエーリ伯爵もコスタ家とグルになってジェラルディーナを拉致して殺したんじゃないか』って思ってたけど…。
少し前にフェッリエーリ伯爵になった現伯爵のランドルフォ卿はジェラルディーナに好意的で婚約を申し込んでるらしい。
『責任を取りたい』とかって話なんで『やっぱりコスタ家が何かしてたのか?』と思ったら、どうやらその事ではないようだ」
「ランドルフォ・フェッリエーリ…。占星庁お気に入りの妖術師…」
「『当人がもう隠す気もないから』ってことで、僕も先日実家で教えてもらったけど、精神干渉魔道具のエキスパートなんだってね。
そしてその彼がジェラルディーナの新人研修の教官だったそうだ。
研修内容が規定のものと大きく異なっていたとかで、本来なら処罰の対象になる筈だったけど…何せランドルフォ卿は妖術師。
何をしてもお咎めなしという特別扱いはガッダ支部でも本部でも同じ」
「やりたい放題だな」
「ジェラルディーナが本部へ配置換えされた時にランドルフォ卿も本部への移籍願いを出して受理されている。
今思うとちょっとしたストーカーだったんだね。残念ながら事務処理が遅れたせいで彼が本部に来たのは丁度ジェラルディーナが行方不明になった翌日だった」
「…妖術師なんて薄気味悪い人種は一体何考えて生きてるんだろうな?」
「さぁ?僕達は妖術師を庇護する人達に従って生きるしかないんだから、あまり考えても仕方ない」
「だけど、他人の肉体を奪って生き続けるような連中なんだろ?普通に怖えよ…」
「…僕達が気にするべきは、妖術師に肉体を盗られた側の絶望とかではなく、その人達の魂の行方じゃないか?案外ちゃんと天国に行けてるのかも知れないし」
「…そうだな」
「………」
「それで?ドニゼッティ男爵へ不審な人物から接触は有ったのか?」
「それはーー」
トマーゾがチラッと窓の外を見て、急に血相を変えたことでブリーツィオの問いの答えは聞けなかった…。




