色仕掛け
落ち着いた日常に戻り、ジェラルディーナは白湯を啜って人心地ついていた。
(サルヴァトーレ・ガストルディ…。胡散臭い眼鏡男だよな…)
と、つくづく思う。
だが、事の次第をカッリストに報告した後には
「旦那様からの命令」
という事で
「サルヴァトーレ・ガストルディと親しくするように」
と指示された。
それには当然、色仕掛けも伴うので…
「避妊効果のある茶を飲むように」
と薬茶をポンと手渡された。
茶葉の匂いを嗅ぎ
(…なるほど。フランカからも見目の良い若い女中達からも同じ匂いがしたけど、コレが原因だったのか)
と一つ隠されていた事実を知った。
「色仕掛けが出来るのは若いうちだけ」
という制限がある。
見目の良い若者達は有効利用されているのだろう…。
もしかしたら、刑吏一族のような被差別者が辛うじて権力の末端に籍を置き続けられるのは、こうした面での涙ぐましい忖度があってこそなのかも知れない。
刑吏一族はどこの家も処女性やら貞操面ではかなり一般人らと異なる価値観を持っている。
ジェラルディーナも子供の頃に前世の記憶を取り戻した事もあり
その点では
「フラッテロ家は異常だ」
と感じていた。
ジェラルディーナの家族
父のライモンド
母のアルベルティーナ
兄のリナルド
弟のロベルト
彼らは全員ジェラルディーナと血が繋がっているが、兄のリナルドは異父兄であり、弟のロベルトは異母弟。
ライモンドとアルベルティーナの双方の血を引いているのはジェラルディーナのみ。
なのにーー
父も母も自分の子ではない子供を自分の子と同じように育てた。
嫉妬などの感情が全くない。
それはジェラルディーナの家族のみに当てはまる事ではなく、他のフラッテロ家にも当てはまる。
親族婚だからこそ
「結婚相手を独り占めにしたい」
ような欲求が薄く、愛情が煮詰まりにくいのかも知れない。
家族に対する共同体意識の愛情
相手を独り占めしたい愛情
その二つは全く異なるもの。
フラッテロ家には前者があり、後者がなかった。
(婚約者とか、夫婦とかって、もっと互いを求めて、互いを縛るものだと思ってたんだけど…)
フランカを見ているとフラティーニ家のほうでもフラッテロ家と似たようなものなのだと分かる。
(チェザリーノさんがマリアンジェロさんを愛してる愛し方のほうが刑吏一族にとって異常だよな)
と思う。
(ルーベン兄さんは、その点ではフラッテロ家の価値観を受け入れてるみたいだ…。私が寿命を全うできずに死ぬ事に対しては怖がってるみたいだし、変な男に引っ掛かるのを許せないみたいだけど、ちゃんとした相手だったら私が好意を持っても何とも思わない。リナルド兄さんと変わらない感覚でいる…)
そういった
「婚約者以外の男と寝ても婚約者に嫉妬されない」
という状況は少し寂しい。
だが色仕掛けで特定の相手と仲良くする必要性がある時には
「面倒臭さが減る」
ので、有り難いとも言える。
(ともかく、サルヴァトーレ・ガストルディのほうから連絡がないなら2週間後に学院寮へ出向いて、こちらから接触してみよう)
とだけ決めて、あとは考えることを放棄した…。
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「ここ10年くらい貴族の間では『運命の相手』と『真実の愛』を貫く事にして、婚約者を婚約破棄するのが流行ってるみたい」
という話題で食堂にて女中達が盛り上がっていた。
「元はアルカンタル王国で起きた出来事が『婚約破棄騒動』の流行の発端らしいわよ」
との事。
「アルカンタル王国の王太子が王立学院在学中に婚約者令嬢を婚約破棄して、幼馴染みの令嬢と結婚してから、婚約破棄が流行し出したのよね」
「婚約者だった令嬢はやってもいない罪を捏造されて貴族籍から抜かれたうえ、実質女囚刑務所の女子修道院へやられたってヤツね」
「婚約者の男から愛されずに浮気をされた女、って、そんなに罪深いの?って疑問に思うんだけど」
「アルカンタル王国では、それ以降、浮気してる側が婚約者の罪を捏造して婚約破棄するのが大流行。こっちでもバカ貴族が真似して流行らせてるって訳ね?」
「貴族って、ほんとクズ」
「いや、元々クズなのはアルカンタル王国の王太子でしょう。他は要するに猿真似なんじゃない?」
「真似をするべきお手本選び自体が間違ってるんだからクズはクズでしょうが」
「『真似するべきお手本』という枠自体がクズで埋め尽くされてるなら、それに倣って生きる側は必然的にクズになるしかないし、それは誰の真似もせずにただ初めからクズな人間と違って、本人ではどうしようもないんじゃないの?」
「アンタは猿真似クズ貴族に対して好意的な見方をするんだね」
「多分、ないとは思うけど。アタシらもそのうち、どっかのお貴族様に見初められる可能性もある訳でしょう?そうなると、そのお貴族様や世間全体が『真実の愛』を支持する人間性だったほうが都合が良いじゃない」
「「「…見初められる気だったんだ…」」」
「なに、その顔」
「この侯爵邸でも徹底してご主人様と遭遇できないようにシフト組まれてるダリダ達なら、見初められる可能性があるんだろうけど。この屋敷内ですら警戒対象にすらされてないアタシらでは色々無理があると思う…」
「そうそう。見初められたいなら、先ずは職場で警戒されるくらいに美人になってからにしないと」
「バカね。男がみんな面食いって限らないでしょう?」
「「「ええ〜…」」」
「男がみんな面食いだったら、この屋敷内の男全員がマリアンジェラに惚れて、誰も結婚しないって事になってる筈」
「そう言われてみれば…」
「それは結婚できるのが『先着一名様』だからよね?」
「その『先着一名様』にチェザリーノ氏が食い込んでるから皆諦めてるだけで、やっぱり男はみんな面食いだと思うよ」
「負け犬根性、情けねぇ〜…」
「いや、現実認識できてないアンタに言われたくない」
などなど…
女中達は今日も元気に男女の仲に関して噂話に花を咲かせている。
聞こうと意図もせずに聞いてしまってたジェラルディーナは、ふと
(そう言えば、以前「レオジーニ公爵令息が婚約者の妹に手を出して婚約を破棄した」とかってネタを話してなかったっけ?)
と女中達のほうを見つめた。
すると丁度
「そうそう、レオジーニ公爵令息の『真実の愛』の相手だけどさ〜」
と女中達の中心のアリーナがニヤニヤ笑いをしだした。
「えっ?なになに」
「『真実の愛』の相手って、元婚約者の妹だよね?」
「レオンツィオ公爵家の養女だよね?」
「うん。そのレオンツィオ公爵家の養女の妹のほう」
思わず聞き耳を立てたジェラルディーナは驚いた。
(そう言えば、レオンツィオ公爵家って実子が死産・事故・病死で1人もいない家だったよな。養子じゃなくて養女を迎えてたのか…)
「母親って、ルドワイヤン系の娼婦らしいんだ。でも、元は改易された貴族家の出。本来なら伯爵令嬢だったとかで、年増でも結構な美人。現役でレオンツィオ公爵の愛人に収まったから、連れ子を養女にしたとかで、公爵の血は一滴も流れてないの」
「ん?婚約破棄された義姉の側は公爵の血が流れてるの?」
「姉のほうは『公爵家の親戚から優秀な子を引き取って育てる』って事で養女になった筈だよ。少しは公爵家の血が入ってる」
「しかし、なんで『養子』じゃなくて『養女』なんだろ?」
「噂では『実は公爵には庶子がいる』って話。でも公爵家では嫡子が亡くなる事が続いたから『庶子当人でさえも公爵の息子だという事実を知らされずに市井で育てられた』んだって。
早めに引き取ると、自分の身を守れない状態で引き取る事になるから、公爵としては養女が学院卒業してから、庶子と養女を結婚させて後継者に指名するつもりだろうって言われてる」
「…えっ?でもそれだと、妹のほうはレオンツィオ公爵家の庶子にあてがわれてた嫁候補だよね?」
「そう。庶子の存在を伏せてるから表向きは妹は婚約者がいない状態だったんで、姉の婚約者を奪っても当人は契約破棄してないって見えたんだけど。
実際にはレオンツィオ公爵は妹のほうを庶子の嫁にするつもりだったんでレオジーニ家のほうから『婚約者のすげ替え』を要求されても、はいそうですかって認めたりはしないの」
「そりゃ、そうなるよね」
「その妹って、相当クズじゃない?姉の婚約者に色目を使って婚約破棄させるのもだけどさ。自分にも実質婚約者がいたのに、それをチャラにしようって所が…」
「更に下世話な噂になると、レオンツィオ公爵が妹養女をよそに嫁に出さない理由は『レオンツィオ公爵自体が妹養女に手を出してる』からだって言われてる」
「…妹養女の母親がルドワイヤン系の娼婦で、レオンツィオ公爵の現役愛人なんだよね?」
「そう」
「…愛人だけじゃなくて、その娘にまで手を出してるの?」
「血のつながりは全くないから、法的には問題にならないねぇ」
「うわぁ〜…」
「どクズ」
「気持ち悪いオッサン…」
散々な言われようだが…
父親ほどに歳の離れた男が
名目上父親を名乗りつつ
養女に性的に手を出すとなると
世間は情け容赦なく批判するものだ。
ジェラルディーナは
(世の中の皆様は恋愛やセックスのネタが大好きで、尚且つ自分も恋愛やセックスを楽しみたいって価値観なんだな…)
と、独り納得しながらパンを食べ終わった…。




