逃亡
ジェリーは鰐の死骸がある場所の周りに血糊をばら撒いてから
「この際なので私も逃げます」
と宣言した。
ベッタが
「ついてくるな!」
と喚いたので
ジェリーは理路整然と冷静に説明した。
「良いですか?よく考えてください。逃亡者が出た場合、逃亡者本人だけでなく協力者も止めなかった傍観者も罰せられます。
だからこそ此処の子達は逃亡計画を立てる時には『仲良しさんみんなで逃げる』という事になり、大掛かりになって露見しやすくなる。
それを防ぐために気が合わない者を排除しておこうとする心理が働くのでイジメも苛烈化しやすい。
しかも伝統的にイジメが繰り返されるうちに『何故この環境では皆が気に合わない相手を殺してでも排除しようとするのか?』という部分への理解も失われて、模倣と反射的衝動だけでイジメを繰り返そうとするから始末が悪い。
ベッタが逃げると『ベッタが逃げ出す状況を作り出した』ベッタのグループの子達は罰せられます。
それは自業自得だし問題無いでしょうが、私はベッタが縛られて置き去りにされた話を小耳に挟んで直ぐにこちらへ向かったし、私のグループの人達がそれを見てるので、此処で止められずにいると『止めなかった』という事が引き合いにされて罰せられます。
ベッタを連れ帰れないなら私も逃げるしかないんですよ。此処を出た後では貴女と行動を共にする気はないので、どうぞ私にはお構いなく」
ベッタは説明されて余計にムカついたようで
「知ったことか!ついてくるな!」
と威嚇するような表情で怒鳴ったが
「…通路内では大声は控えてください。早々に逃亡がバレますよ」
とジェリーが指摘すると
「………」
急に無言になった。
「傭兵さんは噴水がある広場に面した公舎から地下通路へ降りて来てるんですよね?」
「…そうだが。よく分かったな」
「外部の人間にとって最も分かりやすい出入り口だと思います。時間帯によってはあの広場は無人になる事もありますが…基本的にあの場所は目撃者が多く出ます。
誰にも見られずに済む裏通りの公舎へ出る階段まで案内しますので着いてきてください」
「…分かった」
傭兵もベッタも大人しくジェリーの後について来た。
逃げ出したとして、引き戻されたら拷問されるのだ。
怖くて実行に移そうとは思えなかったが、潜在的には脳内で
「もしも逃げるなら人目の無いルートで逃げる」
とシミュレートしていたのかも知れない。
ジェリーは迷いなく二人を案内して町外れの公舎へ出る通路まで辿り着いた。
途中小声でベッタが
「バカ。迷子になるよ」
と悪態をついていたが、ジェリーが迷子になる筈もない。
迷路の入り組んだ深部だという事もあり、地下通路へ降りる公舎の中では最も使われていない場所なのだろう。
蜘蛛の巣と埃がスゴイ。
「物に触れないでください。此処を通過した痕跡を残すと、追手に見つかる可能性が跳ね上がります」
ジェリーが注意するまでもなく傭兵は気を付けていたが、ベッタは言われてやっと気づいたようだ。
またもムッとした表情になる。
格子扉の向こうに階段があるが
「鍵が掛かってるぞ…」
傭兵がガッカリしたように言う。
ジェリーは
(想定内だよ)
と言わんばかりに頷いて
「4桁の数字を合わせるダイヤル式の錠です。手鏡代わりの銅板を持ってますので、これを格子の向こう側へ翳して錠の数字が見えるようにしててくれますか?」
と躊躇いもなく指示する。
「数字ったって古代文字の数字だろ?判るのか?」
「ええ、多分」
ジェリーは自信満々にニッコリ微笑んだ。
鏡越しに見える数字を解錠コードとおぼしき数字に合わせる。
古代文字が普通に読める人間にとっては迷路はただ増築を繰り返された通路。
地下通路を作った人々は利用者達を迷わせる意図など無かったとハッキリ判る。
解錠コードも公舎ごとに分けたりしておらず全て同じ可能性が高い。
教務官達の一人が何でもメモに書く癖があるが、その人物は手首に4桁の数字を刺青していた。
公舎の数は12。
アドリア大陸では12という数から円卓が連想されていた。
円卓の略字二文字を(「メンサ」「ロトゥンダ」の頭文字を)数字に変換すれば、刺青の4桁の数字と合致する。
案の定、すんなり解錠できた。
「開きました。ですが、此処を通った痕跡を残さないためにも、向こう側へ出たらまた施錠しておきましょう」
ジェリーがそう言うと傭兵とベッタが神妙に頷いた…。
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ジェリーには
「下水路にも区画がある」
「最近補修された区画は3区だ」
といった具合に割り振られている区画の番号が判る。
現在地が全体のどの辺なのかも分かるのだが…
アドリア大陸の共通語を知らない普通の子供にはそれが分からない。
下水路に割り振られている区画番号は1〜9までの数字を魔方陣形に割り振った単純なもの。
そうした知識もアドリア大陸の無償教育で習ったものの一つだった…。