バルドゥッチ士爵家
フラッテロ子爵邸にてーー
アンジェロ・フラッテロは報告書を前に少し考え込んでいた。
金銭的に余裕のある複数の侯爵家が暗部組織を持っている。
フラティーニ侯爵家もそうした侯爵家の一つ。
暗部の者達が情報収集並びに暗殺や風評攻撃を担っていて
私属騎士の連絡要員が暗部から集めた情報を侯爵へ報告。
侯爵の指示次第では寄子の傘下貴族へも情報提供。
そんな社会的慣習がある中ーー。
フラティーニ子爵もフラッテロ子爵も、そうした事情でフラティーニ侯爵家の暗部から報告を受け取る事がある。
「ジェラルディーナ関連でのガストルディ侯爵派の動き」
はそうした
「フラッテロ子爵も共有を許される情報」
の一つ。
今回、情報共有された報告で分かった事は
「ジェラルドと一緒にダレッシオから逃亡したベッティーナ・ボッチと表向き恋仲になったとされる傭兵の身元」
である。
傭兵の身元ーー。
それが
「東部バルドゥッチ士爵家の四男」
という事が分かった。
バルドゥッチ士爵家ーー。
首都だけでなく東部、南部、西部、北部にもある。
しかも各地域ごとに複数。
つまり国内に何人もバルドゥッチ士爵が存在する。
バルドゥッチ家は
「裏王家と呼ばれるバルディ侯爵派の武の面を支える家」
という事もあり、代々武勇に優れている家門だ。
フラティーニ侯爵もフラッテロ子爵アンジェロも
「バルディ侯爵派=占星庁」
という図式を疑っている事もあり
「…占星庁はいよいよ教皇派を粛正する気か?」
という感想を持った。
アンジェロは
「…今はまだ色々と不確かだ。とりあえず、ルーベンとアメリーゴにも情報共有して見解を聞いておくべきだろうな…」
と思い、連絡要員の騎士が去った部屋へと早速側近二人を入室させた。
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ルーベン・フラッテロは、くだんの男に対して
「男としての能力」
の面で少しだけ引け目を感じた。
東部バルドゥッチ士爵家四男ブリーツィオ・バルドゥッチ。
随分と手の早い男のようだ。
ベッティーナ・ボッチに個人的に近づいたのは今後も教皇派がベッティーナを付け狙ってくる事を想定したものだろうし、「恋仲」というのは明らかに演技だろうに…
「演技で近づく不器量な女にもちゃんと手を出せる」
という所に神経の図太さを感じ、ルーベンは少し羨ましく思ったのだ…。
「…すげぇな、ブリーツィオ・バルドゥッチ。よくあんなブスで性格も悪そうな女とヤれたもんだな。俺だったら勃った筈のものさえ萎えるぜ」
とアメリーゴが呟いたので
ルーベンも思わず
「それな」
と賛同した。
アンジェロのほうは下世話な側近二人に対して内心で呆れながら
「…お前らの正直過ぎる下半身事情はこの際置いておいて、今はそれが問題じゃない。俺達が考える事は今後の占星庁の動きの予想だ」
と無表情で宣うた。
アンジェロは自分自身の感情や嗜好を無視して性行為を行える図太い人間の一人。
ブリーツィオ・バルドゥッチの気持ちもかなり理解できる。
なのでその点はアンジェロにとっては心底どうでも良い。
「普通に考えて、『教皇派がベッティーナ・ボッチに制裁を加えようと接触してくるだろう事を想定してブリーツィオ・バルドゥッチが貼り付いてる』って事でしょうね」
ルーベンが当たり前の事を当たり前に述べたところ
「護衛目的とかあるんでしょうか?」
とアメリーゴが首を傾げた。
「どうだろうな。バルドゥッチ家だからな。要は占星庁側は、ベッティーナを攫うなり殺そうとするなりしてくる連中を逆に拉致・拷問し、教皇派にとっての不利なネタを証言させて教皇庁の解体・人材入れ替えをしようとしてるとかなんじゃないか?
そこで『囮の命を尊重しよう』とするような人倫が存在すると思うか?お前達はこの国の占星庁に人間の心があるように思えるのか?」
「「思えませんね」」
リベラトーレ公国占星庁は誰にとっても人間の心などない連中の巣窟に見えるという事だ。
今回のように
「囮に対して愛情を持ってるフリをする」
のは胸糞悪い。
自己保身のために嫌いな相手に好意的なフリをする事はアンジェロにとって度々ある事だが…
あくまでも自己保身のための演技だからこそ、自分よりも社会的に弱い相手に対しては好意的擬態などしない。
社会的弱者に対して騙して利用する事は自己保身の範疇の行為ではないからだ。
「そう言えば、東部のパン職人ギルドでしたよね。ベッティーナ・ボッチの奉公先」
アメリーゴが何か思い出したように言うと
「東部のパン職人ギルドと言えば、パンの材料をルドワイヤンからの輸入に頼っていたギルドだな」
とルーベンがすかさずアメリーゴの疑問に言及した。
「ルドワイヤンとデルプフェルトの戦争状態のせいで、それまで安価だった小麦の値段が3倍程に跳ね上がったんだったな。
食料自給率だけは下げてはいけないと、あれ程、国全体で反対してたのに、東部のパン職人ギルドはルドワイヤン産の粉物を殊更『国産より品質が良くて安い』と言い張っていた。
当然、東部の異端審問庁がパン職人ギルドを調査したが『何も異端の(売国の)証拠は出なかった』としている。
そのせいで『異端審問庁東部支部自体がおかしな事になっている』可能性があると判ったのだったな」
「最初は安値で売り込んで、良いイメージを作り出して依存させてから何かをキッカケにボッタクリの値段に引き上げる、というのは標的国からカネを搾り取る手口の定番ですからね。
余程のバカじゃない限り引っかからない筈ですが『賢い工作員が現地のバカに成りすましてる』事もあるんで異端審問庁こそがシッカリしてなきゃいけないんですが…」
「ガストルディ侯爵派は一体、この国をどうしたいんだろうな…。連中が異端審問庁に食い込んで来てから、ろくな事がない」
「ガストルディ侯爵派の何人かが『本物は殺されてて、偽物のルドワイヤン人が成りすましてる』可能性があると思いますよ…。
しかも本物のガストルディ侯爵派のリベラトーレ人は『外国人の特殊軍属はそこまでする』という事実を未だ理解できずにいるのかも知れません」
「平和ボケ貴族はそもそも異端審問庁に対して『無駄に残酷だ』という風評を流して、自分達の嘘を自分達で信じてしまってます。
ガストルディ侯爵派が占星庁の後ろ盾を得て異端審問庁を掌握したものの、上手く業務を回せず、国内を外国人工作員の暗躍天国に変えてしまい、その事実にすら気付かない無能ぶりだったとしても不思議ではないんです」
「東部は西部の次にフラティーニ子爵家の縁者が多く住み着いてるんで、頑張って異端審問庁東部支部を正常化させて欲しい所ですね」
そう言いながらルーベンはふと思った。
(占星庁には異端審問庁を使いこなせる器の者がいないんじゃないか?)
と。
名匠により鍛えられた剣を使いこなせる剣士がいない場合
剣は使い手のレベルにまでその価値が引き下げられる。
異端審問庁の機能麻痺。
それは異端審問庁の上部組織である占星庁の質の低下が原因なのかも知れない。
番犬を使役できない飼い主が番犬に殊更首輪と鎖で制限を科し、恐れながら卑しめる。
そんな非合理が起きているように感じられるのだ。
(…いや、まさかな…)
と疑念を振り払おうと首を横に振ったが…
その後もルーベンの心中から占星庁への不信は拭えなかった…。




