偽物と本物の男爵令嬢
通いの使用人達は夕食分の賄い飯を食べずに帰るので
夕食時には使用人用の食堂に出入りする者の数も減る。
と言ってもーー
朝食・昼食は小さなパンとスープのみなので食事の所要時間は短い。
皆で一斉に着席すれば足りてない席も、交代で食事に来てサッと食べて立てば、不便を感じる程には混まない。
夕食時だけは比較的腰を落ち着けて住み込み使用人達が食事を摂るので、その時に住み込み使用人達の顔と名前を確認できる。
ジェラルディーナが覚えたいのは同世代の女中達だ。
男性使用人達は女性使用人達の居る前では余りお喋りしない事もあり、男女入り混じる食堂では大抵女性使用人達の話し声が満ち溢れる事になる。
中年の女中達の声は高くないので、近くに居ないと話の内容を聞き取れないが…
若い女中達の声はカン高い。
少し離れていても何を言ってるのかがよく聞き取れる。
そういった若い女中達の話は
「社会の特定の面にのみ理解が深い」
ので、ジェラルディーナにとって参考になる。
そんな若い女中達の中心にはいつも
「首都育ちの女中」
が居る。
アリーナという調理補助の女中。
実際には調理補助というより
「出入りの業者との交渉で仕入れ値を値切る」
のが主な仕事らしい。
一方で、田舎から口減し感覚で奉公に寄越されている女中達は都会の事情を何も知らない。
都会での値切り交渉など夢にも思わない素朴な人達。
首都育ちの女中に大人しく仕切られているようだ。
彼女達の関心は主にゴシップにあるらしく
国立学院や王立学院に在学中の貴族ネタや
社交界の醜聞ネタが多い。
先程から
「レオジーニ公爵令息が婚約者の妹に手を出して婚約を破棄した」
とかいう話を皆で面白おかしく噂していた。
盛り上がっている様子。
フランカとジェラルディーナは生温かい目で女中達を見遣る。
(…高貴なる人々の不幸や不評が楽しく感じられるお年頃、という事なんだろうな)
と「他人事」感覚で聞き流していた。
しかし途中からネタが変わって
「ガストーニ子爵令息とドニゼッティ男爵令嬢との婚約が解消される」
という話が聞こえーー
ジェラルディーナは思わず息を呑んだ…。
「………」
(…「ドニゼッティ男爵令嬢」って騎士団訓練に見学に来てた婚活令嬢の一人だよね?…)
名前に聞き覚えがあったせいで、余計に気になった。
女中達の噂によると
「ドニゼッティ男爵令嬢は病気療養で田舎から出て来れないという話になってたけれど、実は行方不明になっていた」
「令嬢が見つからずに一年経ったので、男爵側は男爵の姪を養女にして、引き続き婚約を維持しようとしたが、それがバレて婚約解消秒読み状態」
との事らしい。
(…ドニゼッティ男爵令嬢…。騎士団訓練場で会った時、「行方不明ネタ」に関して「従姉妹も行方不明になってます」とか何も言って無かったよな…)
という点で疑問に思うが…
(考えてみれば、あの男爵令嬢は「養女」のほうだ。本物の男爵令嬢は未だ行方不明で、そのお陰で男爵令嬢になれた訳だし…。下手にそのネタに言及すれば「実は最近まで平民でした」と自分で暴露する事に繋がる…。だから敢えて「行方不明ネタ」では沈黙してたという事か…)
と考えると、ストンと腑に落ちた。
女中達の言う「ガストーニ子爵令息」がトリスターノ・ガストーニなら…
まさにあの騎士団訓練場にドニゼッティ男爵令嬢が居たのは
「婚約解消の阻止を目指す悪あがき」
の為だと予想がつく。
「………」
(…あの令嬢、こっちが平民だからって随分高飛車に振舞ってくれてたけど、自分だって少し前まで平民だったんじゃないか。…アホなのか)
ジェラルディーナがドニゼッティ男爵令嬢について考えているとフランカが
「どうしたの?しかめ面して」
と尋ねてきたので
ジェラルディーナは深く考えもせずに
「あ、いや。そっちの子達がドニゼッティ男爵令嬢の話をしてたから、今日会ったドニゼッティ男爵令嬢の事を思わず思い出してたの」
と正直に答えた。
ーー途端に
女中達にもジェラルディーナの声が聞こえたらしく
クルリと全員がジェラルディーナの方へ振り返り
爛々と目を輝かせた。
「偽物のドニゼッティ男爵令嬢に会ったの?!」
と喰い気味に調理補助の女中アリーナが訊いてきた。
「偽物て…」
「言い方…」
周りがツッコミを入れているが
アリーナはジェラルディーナから目を離さない。
「『ビビアナ・ドニゼッティ』と名乗る令嬢だったけど、その方が養女になられた新しい男爵令嬢なんだよね?」
とジェラルディーナが訊き返すと
「そう!そうなの!ビビアナ。元々は男爵令嬢の従姉妹として田舎でのさばってた酒場の娘でしかないのよ。なのに男爵家の養女になって調子に乗ってるって、影じゃ悪口を言われまくってるらしいわ」
とアリーナがニコニコ笑顔で宣うた。
(そうだったんだ…)
「騎士団訓練にガストーニ子爵令息が一般参加してたんだけど、観覧席にドニゼッティ男爵令嬢が居たのは偶然という訳じゃ無かったんだね?」
「うわぁ〜…。婚約継続を頼むために休日ストーカーしてるとか、益々嫌がられるんじゃない?サイテーな女ね」
(「サイテーな女」という表現には同意する…)
「…もしかしてガストーニ子爵令息はストーキングで嫌気がさしてる、とか、そういう事ある?」
ジェラルディーナが自分に対するトリスターノの態度を思い返しながら尋ねると
「そりゃあ嫌でしょう?貴族令嬢のフリしてても所詮は偽物。平民の女だよ?無駄にプライドの高い貴族令息が平民女に付き纏われて『嫌だ』と思わない訳ないじゃん」
とアリーナが自信満々に答えてくれた。
「あとね。お貴族様って、自分が相手に付き纏って、相手の事をアレコレ嗅ぎ回るのは良くても、自分が付き纏われて嗅ぎ回られるのは嫌がるものよ。
そもそも付き纏ってるのが平民だと滅茶苦茶キレるのが普通の反応。
下手に付き纏うと『婚約解消』じゃなくて『婚約破棄』になるんじゃない?」
「そうなんだ…」
何気にジェラルディーナは傷ついた。
(…私もドニゼッティ男爵令嬢みたいに「付き纏ってる」と思われたみたいだし…。本気で嫌がられていたのか…)
と思い当たってしまったのだ。
ジェラルディーナの気も知らずに女中達は
「にしても、『偽物』とか『本物』とか言う呼び方も紛らわしいね」
「偽物はビビアナって名前なんでしょ?本物はなんて名前なの?」
などと言っている。
アリーナは既にジェラルディーナに興味をなくして
他の女中達に向き直り
「…う〜ん…。なんて名前だっけ?」
と首を傾げた。
「…お姉ちゃんに訊けば判るかも?」
とアリーナが言うと
「フルーツパーラーの店員さんでしょう?」
「カッコイイ〜」
「王立学院の女学生に人気のお店なんだよね?」
と女中らが「お姉ちゃん」に関して話してくれたので
(アリーナの姉がフルーツパーラーに勤めていて、そこで女学生達の噂話を仕入れてるって事かな?)
とジェラルディーナの方でもアリーナが噂を仕入れているルートに予想がついた。
アリーナの方では
「!そう!そうだ!本物の男爵令嬢の名前!思い出した!」
と急に大声を出して自分の膝を叩いた。
「フィロメーナ・ドニゼッティ男爵令嬢!」
フィロメーナと聞いてーー
ジェラルディーナは咄嗟に、ダレッシオの地下牢で同じグループだった「フィロ」を連想したのだが…
(この国ではよくある名前なんだよね…)
と思い、嫌な予感を感じそうになる自分に気付かないフリをした…。




