侍女長権限
サルヴァトーレが御者に向かう先を告げ
馬車がフラティーニ侯爵邸前まで辿り着くと
呆気ないくらいアッサリ
サルヴァトーレはジェラルディーナを解放した。
(訊きたい事を聞き出したので用済み、って事か…)
と少し癪に障るものの…
これで顔を合わせずに済むのは有り難い。
「では、これで失礼させていただきます」
「うん。またね」
と手を振られたが、今度は無視した。
(「手を振られて手を振りかえす」といった軽い社交辞令を利用して近付いてくる人間を避けようと思うと…人間、とことん愛想のない性格にならなきゃいけなくなるんだろうな…)
とウンザリした。
挨拶をされたら挨拶を返す、という行為は社会生活に必要な社交辞令だが…
それを悪用する詐欺師まがいの人間が大きな顔をしてのさばれば
「詐欺師を忌避する事=社交辞令に従わない」
という事になってしまう。
(そう言えば、以前、母さんに言われた事があるな…)
「悪女と噂される女性の多くが、風評面で親族から護られてない人達。逆に評判の良い人達の多くが、風評面で親族から護られている人達」
という話。
「本当の悪人は『悪人だ』と噂を立てる人達を野放しにはしないので、本当の悪人こそ、なかなか『悪人だ』という事実は広まらない」
もの。
世間様が
「悪女だわ。コワイわ」
と囃し立て標的にする元凶が実は
「挨拶を返さない」
などといった愛想の悪さに対する腹いせだったりする。
しかも男性と違って女性は直接的暴力も大して強くない。
「悪女だ」
と噂されて嫌われてる女性は、辛辣な悪口を聞こえよがしに言われても、誰も味方してくれないので激昂して報復する事もできない。
耐えかねて激昂のまま直接的暴力を振るっても、大した痛手を与える事ができない上に、悪評に正当性を与えてしまうことになる。
そういう
「悪者を阻害して身を守ってるフリをしながら、リスク無しで弱い者イジメを楽しむ」
ような手口が社会では普通に普及しているのだ。
そんな事もあり
「だから挨拶は大事なのよ。たとえ無視されたとしても、顔見知りなら会釈するくらいの挨拶はしなきゃね」
と言い聞かされて、ジェラルディーナは礼儀正しい子に育った。
フラッテロ家の女性は見た目が美しい者が多いので、特に
「挨拶を返さない」
という程度の事で悪意を持たれて悪評を捏造されやすい。
それを警戒するのでフラッテロ家の女性の場合は
「美人を鼻にかけてお高くとまっている」
という世間の美人事情が当てはまらない。
ゆえにストーカーが湧いて出るのだった…。
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ジェラルディーナが侯爵邸に戻り自室へ着くと、ベッド傍のサイドボードの上に書き置きがあった。
蝋板に
「戻ったなら至急奥方様の元へ挨拶へ来るように」
と書き付けてある。
「コレ、誰が書いたんだろ?不気味だなぁ…。勝手に人の部屋に入ってくれちゃって…」
ジェラルディーナが途端に仏頂面になった。
(そもそも奥方様と会うのは「確実に震えを止められるようになってから」と指示されているのに…)
(どうせ「新人使用人が奥方様に挨拶にも来ずに、不敬な!」とか何とか吹き込んだヤツが居るって事だろうなぁ…)
「チェザリーノさんに相談すべき案件だな…」
と分かるので、早速チェザリーノの元に出向く事にした。
と言っても、チェザリーノが何処に居るのかは分からない。
ただ
(…おそらくもう1人の執事は旦那様の職場まで付いて行って旦那様の秘書をしてると思うけど、今日はチェザリーノさんは子爵邸に出向いて別行動だったし…。今日は家令の執務を手伝ってるって所かな?)
と予想はつくので、第二執務室へと向かってみる。
ノックすると、家令のカッリストの声ではなくチェザリーノの声で
「どうぞ」
と聞こえた事もあり
ジェラルディーナは
(うん。私の予想通りだった)
と密かに悦に入った。
チェザリーノがジェラルディーナを見て直ぐに
「何か問題がありましたか?」
と訊いてくれるのが頼もしい。
「はい。実はコレなんですけど…」
と蝋板を見せ
「帰ってきて早々に部屋のサイドボードの上に置かれているのを発見しました」
と事情を述べた。
カッリストが覗き込んで
「あ〜…。何故か直ぐに事情が分かってしまうのが何とも悲しい所ですね」
と言い
チェザリーノは
「奥方様の命令で呼び出されたのなら従うしかないですが、奥方様の侍女のロザリンダが勝手に奥方様の名前を出して使用人に不当な命令をする事も度々あるので、一応今から確認して来ます。
このフラティーニ侯爵邸では、使用人が非番の日に呼び出される事は原則としてありません。
余程重大な用件があるのか、単に非番の使用人に対しても命令する権限があると勘違いをしているのか、どちらかだと思います」
と背後にありそうな事情を説明してくれた。
「では、ちょっと確認してきますので、お茶でも飲んで待っててください」
と言ってチェザリーノが早足で廊下へ消えた。
しかしお茶でも飲んで、と言ってた割りに、お茶は出てない。
(自分で淹れて飲めって事だろうな)
と思い、執務室脇の給湯室でお湯と茶葉を準備していると
「あっ、私の分とチェザリーノの分も淹れてください」
とカッリストが言ってきた。
「はい」
(でしょうね)
と返事をして、習ったセオリー通りにお茶を淹れる。
「…ロザリンダさんて、侍女長ですよね?この屋敷では侍女長はどの程度権限を持ってるんでしょうか?」
思わずジェラルディーナが尋ねると
カッリストはニッコリ微笑んで
「侍女長の権限は家政婦が居るか居ないかで変わります。それは執事長の権限にも言えます。貴族家によっては家令や家政婦を雇えない家も多いのです」
と答え
「この屋敷の場合は家令も家政婦も居ますので、執事長も侍女長も大した権限は持ちません。
侍女長は家政婦が命じた事の下請け以上の事を他の侍女に強いる事はできないので、その点は安心してください」
と言葉を継いだ。
「侍女長のロザリンダさんは非番の日はどう過ごされているんでしょうか?何かご存知ですか?」
「非番の日、ですか?」
「はい。ロザリンダさん自身が非番の日にも呼び出されて普通に仕事させられてたりしてるなら、どこまでが給金の範囲での譲歩かが曖昧になってても不思議ではないだろうな、と思いまして」
「そうですねえ。アルフレーダからは『侍女長は休日の度に出掛けている』と聞いてますし、ロザリンダが無休で働いているという事は無いはずですが…。
休日に出掛ける用事自体が奥方様のためだったりする場合、ロザリンダの中で『侍女は無休で女主人のために仕え続けるべし』という考え方が固定しててもおかしくはないですね」
「彼女、非番の日に何処に出掛けてるんでしょう?」
「それはいつも同じ場所なんで調査済みです。ロザリンダは奥方様のご実家、バルダッサーレ伯爵家へ出向いてます」
「…なるほど…」
「伯爵邸の知己に会いに行ってるのか、伯爵に奥方様の結婚生活の有り様を歪曲して伝え続けているのか、判断しかねる状態ですね」
「スパイを送りつけたりとかは…難しいですよね?」
「ええ。普通の伯爵家とは違いますからね。幸いウチの旦那様の能力が高いので、会話を誘導して相手がこちらの知りたい事を連想してくれれば、それで情報収集可能です」
「一族の異能が上位互換仕様なんですね?」
(マカーリオ・フラッテロと同じ。やっぱり他にも居たんだ?!)
ジェラルディーナが思わず食いついたところで
「確認して来ました」
とチェザリーノが入室してきた…。




